甲府放火殺人事件の犯人「遠藤裕喜」は何者?現在の様子も紹介

遠藤裕喜の生い立ち

さて甲府放火殺人を起こした遠藤裕喜ですが、どのような生い立ちを過ごしたのか気になる人も多いでしょう。ここからは、遠藤裕喜の生い立ちを6つのトピックにまとめて紹介します。

  • 山梨県の田舎町で育つ
  • 離婚を機に父親と離れ離れに
  • 過保護な母親の存在
  • 不登校になる
  • 山梨県立中央高校に進学
  • 生徒会長に立候補する

生い立ち①:山梨県の田舎町で育つ

山梨県中央市の場所
出典:Wikipedia

遠藤裕喜は2002年に誕生しました。生まれた市町村は不明ですが、山梨県中央市の田舎町で育った事は判明しています。一家が幼少期に中央市に引っ越してきた時、「遠藤裕喜は恥ずかしがってドアの陰に隠れていた」というエピソードが残されています。

幼少期の遠藤裕喜は恥ずかしがり屋で、ごく普通の男の子だったのでしょう。

生い立ち②:離婚を機に父親と離れ離れに

父親は逮捕歴あり
出典:Rinnai

そんな遠藤裕喜の生活が一変するのは、両親の離婚です。2010年11月に父親が、中古の家庭用給湯器2台を盗み逮捕されます。当時の新聞は父親を「31歳の渡辺英喜という会社員男性」と記載しているため、当時の遠藤裕喜の姓は「渡辺」だったと推測されます。

父親の窃盗事件が全国紙に掲載された事で、遠藤裕喜は学校に行かなくなりました。当時の遠藤裕喜は7歳。家の前にポツンと立っている姿が目撃されています。3年後の2013年に両親は離婚。遠藤裕喜の姓は渡辺となり、母子は甲府市に転居しました。

転居の理由は学校でのイジメが要因とされます。幼少期の父親の犯罪と離婚。そしてイジメによる体験が、遠藤裕喜の性格を歪めた事は容易に想像できます。

生い立ち③:過保護な母親の存在

遠藤裕喜の卒業文集
出典:WONDIA

ただ遠藤裕喜は父親の気質を受け継いでいました。小学校時代に遠藤裕喜は、同級生のニンテンドーDSのソフトを盗んでいます。同級生が遠藤裕喜の母親に詰め寄るものの、母親は「息子がそんな事をするはずがない」と相手にしていません。

息子を疑いたくないのは当然ですが、母親としてはまずは息子に盗みの有無を聞くハズです。また定時制の高校に通っていた頃には、18時ごろには母親の着信履歴がびっしりと残されていました。父親も問題ですが、母親にも問題があった事が推測されます。

ちなみに遠藤裕喜の母親は、離婚から1年後に再婚。遠藤裕喜は裕福な生活を送るようになり、新しい父親にビリヤードのキューを買ってもらいます。また程なく、異母弟(妹?)も誕生しました。

また卒業時の文集で、好きなアニメに「デスノート」を挙げています。デスノートは名前を書かれた人は死ぬノート。遠藤裕喜は「気に入らない人間や、自分の過去をデスノートで消したい」と述べていました。生活が一変しても、幼少期の傷は癒えていませんでした。

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