シェイクスピアとはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や名言も紹介】

「シェイクスピアの四大悲劇」とは?

シェイクスピアの代表作として名高い「四大悲劇」は、四つの作品すべてをまとめた本が出版されるほど有名。

「シェイクスピアの四大悲劇」とは、シェイクスピアが執筆した悲劇の中でも特に名高い四つの作品をあらわす言葉です。

その四つの作品というのは『マクベス』『ハムレット』『リア王』『オセロー』の四作品。そのどれもが、シェイクスピアの人間観察力が惜しみなく発揮された名作であり、読む者の感情をダイレクトに揺さぶってくる、今でも読み継がれるだけの理由がある名作です。

「To be, or not to be: that is the question.(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)」のような、シェイクスピアを代表する名言が多数収録されているという意味でも、読んで損はない作品群ですので、皆様も是非映画や舞台などの作品に触れてみていただくか、書籍としてまとめられたものをお読みになっていただきたいなと思います。

シェイクスピアの本当の職業とは

全集や名作選など、多くの書籍が出版されているシェイクスピアの作品。「読むことが一般常識」のように言われることもあるが、実は作品の楽しみ方は読むだけではないようで…

『シェイクスピア名作選』『シェイクスピア全集』などが数多く出版され、「シェイクスピア作品を読んでいないのは常識知らずだ!」とまで言われることもあるシェイクスピア。その主張の是非はともかく、シェイクスピア作品がそれほど有名なのは皆さんも知っての通りです。

しかし、シェイクスピアの職業というのは、実は「読者に読ませる文章を書く人物=小説家」ではなかったことはご存知でしょうか?

シェイクスピアの職業は、小説家ではなく劇作家。役者に向けた文章を書くことが、彼の本分だったと言える。

記事冒頭の部分でも書かせていただいた通り、シェイクスピアの職業というのは、実は小説家ではなく”劇作家”。つまり彼は、観客や顧客に向けて文章を書いていたのではなく、舞台を演じる役者のために文章を書き、その作中の世界を舞台として演出することを生業としていたのです。

そう言った部分から考えると「シェイクスピアを読んだことがない」というのは、実はシェイクスピアの生業からすれば、役者でもない限り当たり前の事。むしろ、地の文などがないことから読みづらさを感じることも多いのがシェイクスピア作品ですので、その場合は映画や演劇など、役者の演技に触れる形で作品を楽しんでみるのも、またオツなものではないのかな、と思います。

シェイクスピアの直系の子孫は、現代にも存在するのか?

生涯において4人の子供を成したシェイクスピアだが、その子孫は現代にも存在するのだろうか?

文学界や作劇の分野に偉大な功績を残したシェイクスピア。彼は生涯に4人の子供を成したため、少なくともその血縁が一代後まで続いたことは確認できます。しかし、その子孫が現代にも存在しているのか、という問いについては、残念ながら答えは「否」だと言わざるを得ません。

シェイクスピアの嫡子である男子のハムネットは、11歳という若さでこの世を去ってしまい、遺された嫡子であるスザンナとジュディスはいずれも女子であったため、「シェイクスピア」という家名は彼のこの代で途絶えてしまっていることになります。

また、ジュディスとスザンナには二人合わせて4人の子――つまり、シェイクスピアには4人の孫が存在しましたが、その孫たちの内3人は若くして死去。唯一天寿を全うしたとされるスザンナの長女・エリザベスも、子をなすことなくこの世を去ったため、そこでシェイクスピアの直系の子孫は途絶えてしまったと言えるでしょう。

非嫡出子であるとされる次男、ウィリアム・ダヴェナントを家系に加えたとしても、ダヴェナントの息子たちが子を残したという記録も確認できないため、残念ながらウィリアム・シェイクスピアの血筋は、1670年代には途絶えてしまったと言えそうです。

シェイクスピアの晩年と最期、そして現在

シェイクスピアの終の棲家だった、ストラトフォード=アポン=エイヴォンのニュー・プレイス

1613年に俳優業と劇作家業を引退したシェイクスピアは、有り余る財を使って故郷にニュー・プレイスという家を購入。そこを終の棲家として余生を送りました。

故郷に引っ込んだ後のシェイクスピアについての記録は非常に少なく、彼の余生の実情を知る術はほとんどありません。ただ一つ、娘のジュディスの夫、トマス・クワイニーにまつわる醜聞については記録が残されています。

シェイクスピアはトマスが告発されたことで、自分が残すことになる遺産がトマスの遊興や放蕩に使われることを危惧。ジュディスに渡す遺産に関わる遺言を訂正したことが伝わっています。

シェイクスピアの死因は……ニシン!?

そして引退から3年が経過した、1616年の4月23日。奇しくも自身の誕生日と同じ日に、ウィリアム・シェイクスピアは天国へ旅立ちました。死因は感染症であり、感染源となったのは腐ったニシンであったとされていますが、詳細は不明となっているようです。

その後、シェイクスピアの遺体は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるホーリー・トリニティ教会の内陣に埋葬されました。内陣への埋葬は、余程の名声があるか、余程の高額納税者でなくては叶わない名誉であり、シェイクスピアは後者の理由で、内陣への埋葬を認められたのだと言われています。

シェイクスピアの墓所を示す記念碑と胸像は、現在も観光名所として親しまれている。

その墓所に近い壁には、家族によって建立されたと思われる記念碑とシェイクスピアの胸像が存在し、シェイクスピアの誕生日とされる4月23日には、胸像の持つ羽ペンを新しいものに取り換える儀式が、現代でも続けられています。

また、彼の墓の中には副葬品として、未発表の作品の原稿が眠っているという噂もささやかれていますが、当然ながら確かめた者はおらず、真相は今も不明のままになっているようです。

現代日本におけるシェイクスピアの姿

偉人のキャラクター化が流行中の現代日本。となれば必然的にシェイクスピアも…?

Googleで「シェイクスピア」と検索すると、サジェストには「シェイクスピア fgo」や「シェイクスピア モンスト」などの検索候補が表示されます。このように、現代日本におけるシェイクスピアは、作家としてだけでなくキャラクターとしても親しまれているのです。

『Fate/Grand Order』のシェイクスピア。饒舌でスマートな伊達男として、敵味方問わず様々なポジションで登場する名脇役の一人。

検索候補における「fgo(『Fate/Grand Order』)」では、最初期から登場するキャラクターとして、多くのプレイヤーから親しまれています。

自身の著作をこよなく愛し、その中の名言を会話に交えながら場を引っ掻き回すトリックスターのポジションのキャラクターであり、多くのストーリーに登場する名脇役としてプレイヤーに強い印象を与える人物です。

『モンスターストライク』におけるシェイクスピア。こちらも軽妙な伊達男のイメージが踏襲されている。

「モンスト(『モンスターストライク』)」におけるシェイクスピアも、軽妙な伊達男であると同時に、どこか危うい一面が見えるキャラクターとしてデザインされ、現代日本におけるシェイクスピアのイメージを作るキャラとなっています。

現代日本におけるシェイクスピアの名前は、単なる「偉大な劇作家」というだけにとどまらず、エンタメの分野においても様々な作品で扱われています。

「エンタメ作品のシェイクスピアは好きだけど、作品を読むのはちょっと敷居が高い…」
そう思っている方も、シェイクスピアの作品を読むことで、エンタメ作品の方への理解も高まること間違いありません。これを機会にぜひ挑戦してみてください!

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