シェイクスピアとはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や名言も紹介】

シェイクスピアの名言

「ハムレット」の石版(クロンボー城)
出典:Wikipedia

To be, or not to be: that is the question.(生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。)

『ハムレット』の劇中のセリフであり、おそらく最も有名なシェイクスピアの言葉だろうと思います。

人間の本質を巧みに表した意味もそうですが、英語として読んだときのリズムの良さも非常に秀逸。シェイクスピアという劇作家の凄まじさをただ一言で表す名言だと言えるでしょう。

Life is but a walking shadow.(人生は歩く影にすぎない。)

『マクベス』の劇中のセリフです。

後期のシェイクスピア作品らしい、非常に重い人生観を表すセリフであると同時に、少ない単語で台詞を表現するシェイクスピアらしさが表れてもいる名言だと言えるでしょう。

You gods, will give us. Some faults to make us men.(神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。)

『アントニーとクレオパトラ』の劇中のセリフです。

晩期シェイクスピア作品の、どこかロマンチックな息吹を感じる情熱的なセリフだと思います。そしてやはり、英語のセリフとして読んだ際の口馴染みの良さは格別なものだとしか言えません。

We know what we are, but know not what we may be.(私たちは、今はこうしているけれど、この先どうなるか分かりません。)

『ハムレット』の劇中のセリフです。

日本語で言う「一寸先は闇」をあらわすセリフですが、劇作家として成功を収めたシェイクスピアが、この言葉を常に胸に留めていたことは、彼が得たジェントルマンの爵位の紋章にも表れています。

Good night, good night! Parting is such sweet sorrow, that I shall say good night till it be morrow.(おやすみ、おやすみ!別れがあまりに甘い悲しみだから、朝になるまでおやすみを言いつづけていたい。)

『ロミオとジュリエット』の劇中のセリフです。

最早説明も不要だろうロマンチックなセリフは、セリフとして読んだときの口馴染みのよさも相まって、まさに文学の傑作と称するに相応しいものだと言えます。

シェイクスピアにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「シェイクスピア複数人説」

「”シェイクスピア”は数人の作家による共同名義だ!」という説は、単なる眉唾説として片付けられるものでもない

上記画像の漫画作品である『7人のシェイクスピア』など、たまに「シェイクスピアは複数人の共同名義だ!」という説が唱えられることがあります。一見すると「坂本龍馬フリーメイソン説」や「エルビス・プレスリー生存説」なんかと同じトンデモ説のように思えますが、実は「シェイクスピア複数人説」は、それらとは少し毛色が違っています。

というのも、「シェイクスピア複数人説」の根拠としては、

  • シェイクスピアの個人史に、大きな空白が存在すること
  • シェイクスピア自身が書いた手紙が存在していないこと
  • シェイクスピアの遺言書は詳細なものだったが、その中に自分の著作についての記載がまったくないこと
  • 4通りの署名が存在するが、そのどれも筆跡が微妙に異なっていること
  • シェイクスピアの著作には、法律などの専門的な知識が必要なものも多かったが、シェイクスピアが高等教育を受けたとされる記録が存在していないこと

等が挙げられており、研究者の中でも、この4つの根拠を本質的に打ち負かすことはできていないのです。

もちろん、「シェイクスピア複数人説」の根拠が示されているわけでもありませんが、これだけの不可解な点が存在する以上、確かに「複数人説」が囁かれるのも無理のないことなのではないでしょうか?

都市伝説・武勇伝2「現代にも残る”シェイクスピアガーデン”とは?」

シェイクスピアガーデンは、英語圏の国では結婚式場やデートスポットとして各地にあり、日本にも数か所存在している。

シェイクスピアガーデンとは、シェイクスピアの作中に登場する植物だけを集めたテーマ庭園のことです。イギリスやアメリカなどの英語圏の国で多く見られ、主に教育機関の一部に併設されていることが多いスポットとなっています。

また、屋外での結婚式やデートスポットとして活用されるなど、英語圏の人々にとってはかなり身近な場所に在るスポットだと言ってもよいでしょう。

シェイクスピアガーデンは日本にも存在し、神戸女学院にあるシェイクスピアガーデンは、パンジーやヒナギクなどが植えられた、非常に華やかなスポットであるようです。興味のある方は写真などを調べてみるのも面白いかもしれません。

都市伝説・武勇伝3「ロンドン進出までの「空白の7年間」」

アン・ハサウェイとの結婚から、ロンドン進出までの7年。シェイクスピアが何をしていたのかは、全く記録に残っていない。

1582年にアン・ハサウェイと結婚し、その翌年に長女の誕生。その2年後である1585年に双子の長男と次女が誕生。そしてそれ以降、シェイクスピアは1589年に史劇『ヘンリー6世』の第一部を発表するまで、忽然と表舞台から姿を消しています。

この時のシェイクスピアが何をしていたのかは、何の記録も残されておらず、彼の死後に囁かれるようになった「鹿泥棒をして故郷を追われた」「田舎の教師をしていた」「ロンドンの劇場主の所有する馬の世話をしていた」という噂も、証拠の不十分な俗説に過ぎないものだと言わざるを得ません。

また、そもそも「何故ロンドンに出たのか」という部分もわかっておらず、1580年代のシェイクスピアの足跡は「The Lost Years」として、現在も様々な研究者の研究対象となっています。

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