西洋美術史とは?アートの歴史を年表順にやさしく解説

西洋美術史とはその名の通り、「ヨーロッパの美術の歴史」のことです。西洋美術は主にイタリア、ギリシャ、フランス、イギリス、スペイン、デンマークなどの地域を中心に発展しました。

西洋美術史は、大きく次の5つの時代に分けられます。

  1. 古代(西暦200年以前):キリスト教誕生以前の美術
  2. 中世(200年〜1400年):キリスト教を中心とした美術
  3. 近世( 1400年〜1700年代前半):人間中心主義の美術
  4. 近代(1700年代後半〜1900年代前半):市民社会から生まれた美術
  5. 現代(1900年代後半〜):産業の発展と共に生まれた美術

この記事では主に中世から近代にフォーカスして解説していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

そもそも西洋美術史とは?

西洋美術史のおおまかな流れ

ヨーロッパの美術史が5つの時代に分けられると書きました。ここでは、最初に西洋美術史のおおまかな流れをご紹介します。

西暦200年より前、キリスト教が誕生する以前の美術は洞窟壁画などの「原始美術」に始まります。古代文明が生まれると、メソポタミアやギリシャ、エジプトなどで独自の美術が花開きました。

キリスト教が生まれ、しばらくすると宗教画が多く描かれるようになります。それから1000年ほど、西洋美術史はキリスト教をモチーフとした作品が中心を占めました。

1000年以上キリスト教美術が席巻
参照:iStock

近世に入ると「ルネサンス(文芸復興運動)」が起こります。ルネサンス以降はバロック、ロココなど多様な美術様式が生み出されていきました。

その動きは近代に入るとさらに大きくなります。革命的だったのが「印象派」の登場です。現代に近づくにつれ、ますます美術様式は多様になっていき、「現代美術」に至ります。

西洋美術史の全体像

西洋美術史の全体像がわかるように、年表を作りました。こちらを先に見ておくと、これからご紹介する内容が頭に入りやすいかもしれません。

西洋美術史の早見年表


BC 31000
原始美術
フランス・ショーヴェ洞窟の壁画

現在私たちが見ることのできる最も古い美術作品は、フランスのショーヴェ洞窟の壁画です。紀元前3万1000年前後に描かれたとされています。この時代の美術的な建築物としては、メンヒル、ドルメン、ストーンヘンジなどといった宗教的な意味合いをもっているとされるものがほとんどです。


EC 4000
メソポタミア美術
ヤギの文様が入った彩文土器

紀元前4000年頃から、ペルシア湾近くにたくさんの都市を建設したシュメール人がメソポタミア文明の基礎を築いたと言われています。ティグリス・ユーフラテス川水域で開花したメソポタミア文明では、原始農耕社会の中で様々な「器形」とユーモアあふれる装飾モチーフを特徴とする「彩文土器」の出現が見られました。


EC 4000
エジプト美術
ツタンカーメンの黄金のマスク

エジプト美術の初期はメソポタミア美術の影響を受けたと考えられています。代表的な美術品として、ギザの3大ピラミッドやツタンカーメンなどが挙げられます。


EC 1000
ギリシャ美術
ミロのヴィーナス

ギリシャ美術は、現在のギリシャ付近で発展しました。「美の原点」ともいわれていて、ギリシャを征服したローマ人はそのクオリティの高さに大変驚いたそうです。

そのためローマ人は多くのギリシャ作品をコピーしました。それらがのちのルネサンスに影響していきます。代表的な美術作品としては、パルテノン神殿やミロのヴィーナスなどが挙げられます。


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初期キリスト教美術
サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のモザイク画

初期キリスト教美術は、キリスト教の誕生から5世紀後半にかけて生み出されたキリスト教美術全体を指します。モザイクが特徴です。


1200 – 1400
ゴシック美術
ジョット《ヨアキムと羊飼い》

一般的に、ゴシック美術は1200年頃から1400年頃を指します。12世紀中ごろフランスで始まった新しい美術様式をゲルマン民族のゴート族にちなんで「ゴシック」と呼んだことが由来です。


1400 – 1500
初期ルネサンス
ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』

15世紀、古典時代の文化を復興させようという運動が起こりました。自由な人間性を回復し、世界をあるがままに表現しようとする「ルネサンス」です。「Renaissance」は「再生」を意味するフランス語で「文芸復興」と訳されることが多いです。


1500 – 1530
盛期ルネサンス
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナリザ』

1500年〜1530年のことを盛期ルネサンスといいます。たったの30年しかありませんでしたが時代として切り取られるようになったのは、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠の存在が大きいです。


1400-1550
北方ルネサンス
アルブレヒト・デューラー『自画像』

「北方」とはアルプスの北側にあるドイツ、オランダ、ベルギーをさします。この地方は、油絵具の原料であったアマニ油の産地でした。そうした背景から、油絵は北方ルネサンスが発祥といわれています。


1600-1700
バロック美術
フェルメール『牛乳を注ぐ女』

17世紀、日本では徳川家康が江戸幕府を開いた時代です。ヨーロッパの美術はバロック様式に入りました。

ルネサンスと同様に、イタリアから始まりました。バロックとは「気まぐれな」「装飾過多な」「華麗な」といった意味で使われます。バロックの表現は、複雑な動きや曲線から生み出される躍動感、装飾性、強烈なコントラストなどを使うことで、強く感覚に訴え、鑑賞者をその絵の世界へ引きこもうとする特徴があります。


1700-1760
ロココ美術
ジャン・オノレ・フラゴナール『ぶらんこ』

ロココとは、貝殻や小石による装飾を意味する「ロカイユ」から生まれた言葉です。「ロココ趣味」という言葉から印象を受けるように、快楽的で個人の楽しみを中心とした装飾と、甘く貴族的であること、そして人工的な色彩などの表現が特徴的です。また、金工や服飾、陶芸などの工芸品にも優れた作品が多く作られるようになりました。
 
こんな時代の中で、庶民の生活を慎ましくも気高く描き出したシャルダン、決してロココという視点だけではくくれないスペインの異色の天才・ゴヤなどがいます。


1750 – 1830
新古典主義
ジャック=ルイ・ダヴィッド
『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』

フランス革命によって貴族階級が没落し、貴族趣味の強かったロココ様式に代わって登場したのが新古典主義です。「ロココのような軟弱なものはダメだ」「絵画は知的で倫理的なものでなくてはならない」と考えました。そして、その規範をギリシャ・ローマの古典古代に求めたのです。


1780 – 1880
ロマン主義
ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』

いくら綺麗で上手くても、理性的な描写や型にはまったような冷たい絵に人々は飽きてしまいました。そこで出てきたのが「ロマン主義」です。冒険心を掻き立てるようなシーンを切り取り描写しました。


1848 – 1860
写実主義
ギュスターヴ・クールベ『秋の海』

写実主義では「目の前の現実や出来事」がテーマでした。例えば、労働者や農民の姿、なんでもない日常の風景を切り取ったシーンなどが挙げられます。


1850 – 1900
象徴主義
カルロス・シュヴァ―べ『墓堀りの死』

象徴主義は19世紀後半です。印象派と並行して発展しました。

18世紀中頃から科学技術が発展して生活が豊かになるのですが、一部の芸術家たちは「将来はどのように変化していくのだろう」「無事に生活していけるだろうか」というような不安を抱え、反発するようになります。そして不安や生死の問題など、形のないものを表現しようとし、神話や文学などを象徴的に描きました。


1860 – 1890
印象主義
エドゥアール・マネ『フォリー・ベルジェールのバー』

印象派の画家たちは、実際に見えたものを忠実に描こうとしました。つまり、写実主義の流れである彼らですが、新しい感性で外の世界を見ていたのです。物の形よりも、光の変化や空気の震えといった一瞬の「印象」を再現しようとしたのです。


1880 – 1900
ポスト印象主義
ポール・セザンヌ『川沿いの田舎家』

ポスト印象派は「後期印象派」とも訳されます。「後期」とあるので、一見「印象派」から続いているようですが、ポストとは脱という意味があり、「脱印象派」なのです。

一般的にはセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホの3人の巨匠を「ポスト印象派」と呼びます。もちろんこの3人がひとつのグループを作っていた訳ではありません。それぞれがあまりにも個性的で独立した道を歩んでいることは絵を見れば一目瞭然です。


1885-1900
新印象主義
ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』

「分割筆触」という点描の技法は印象派と同じですが、目指したのは「論理的な点描」でした。表面的な変化だけではなく、その奥になる不変の法則を表そうとしたのです。永遠性と装飾性を追求したために、時が止まったかのような印象を受ける絵が多くあります。


1890-1920
表現主義
エドヴァルド・ムンク『マドンナ』

表現主義というと広義ではゴッホ、ゴーギャンによって始められた反自然主義的な手法を指し、狭義ではドイツの表現主義のことを指すことが一般的です。


1905 –
20世紀美術 フォーヴィスム
アンリ・マティス『赤い部屋』

フォーヴィスムの由来は「野獣」という意味の「フォーヴ」から来ています。1905年にパリで開催された展覧会で批評家のヴォークセルがマティスらの作品を見て、「あたかも野獣の檻の中にいるようだ」と評したことから命名されました。


1908 –
20世紀美術 キュビスム
パブロ・ピカソ『泣く女』

キュビスムはピカソが「アヴィニョンの娘たち」を書き始めたことから始まりました。この作品をピカソのアトリエで見せられたブラックは、戸惑いつつも大きく心を動かされ、制作を始めます。


1910 –
20世紀美術 エコール・ド・パリ
藤田嗣治『カフェにて』

エコール・ド・パリとは「パリ派」という意味です。世界各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、カフェをサロンがわりにしてお互いを刺激し合いました。日本からは藤田嗣治が、イタリアからはモディリアーニなど、数々の有名アーティストが生まれました。


1920 –
20世紀美術 抽象芸術
ワシリー・カンディンスキー『自らが輝く』
参照:ArtCollection

「絵画の目的は何かを写したり再現することではない」とした抽象主義では、綺麗な風景の絵や肖像画は何かのコピーで、絵そのものでは自立していないと考えました。重要なのは精神性、芸術家の内面であり、絵画はその現れなのです。


西洋美術史の具体的な年表

1. ゴシック美術 – 1200 ~ 1400

ジョット《ヨアキムと羊飼い》

– プレルネサンス、ここから絵の時代が始まった

ゴシック美術は、12世紀からフランスから西ヨーロッパにかけて広まった美術様式です。それまでの宗教画が画面が止まったような描写が特徴だったのに対し、ゴシック美術ではまだ硬さはあるものの動きを感じられる描写が増えていきます。

「テンペラ」という技法を使っているので色彩が明るく、淡いのも特徴です。またこの頃の作品から作者の名前が現在でもわかるようになります。

– 活躍した画家

  • ランブール兄弟(イタリア)
  • シモーネ・マルティーニ(イタリア)
  • ジョット(イタリア)

– ジョット – 1267 ~ 1337

ジョット《ユダの接吻》

「イタリア絵画の父」と呼ばれるジョットはルネサンスへの先駆者です。当時の絵画といえば、宗教画がそのすべてでした。しかもどの絵も神秘的で幻想的、そのため身近に感じられる絵を世の中は求めていました。

ジョットは登場人物に日常的な仕草や目線をさせ、自然で人間的な表情を与えて感情を明確に表現しました。また「遠近法」を使って奥行きのある絵を作りました。

ジョットのフレスコ画は、イタリアのスクロヴェーニ礼拝堂に展示されています。

私は絵画に命を与えた人間である

ジョットの墓に刻まれた言葉

たくさんみたわけではないが、ジョットはすごい。過去の画家だなんて信じられない。もし金さえあればたくさん模写をしたいのだが…。

ゴッホ

2. 初期ルネサンス – 1400 ~ 1500

ボッテチェルリ《ヴィーナスの誕生》

– 自由な人間性を回復し世界をあるがままに表現しようとした「ルネサンス」

15世紀、古典古代の文化を復興させようという運動が起こりました。自由な人間性を回復し、世界をあるがままに表現しようとする「ルネサンス」です。Renaissanceは「再生」を意味するフランス語で「文芸復興」と訳されることが多いです。
 
ルネサンスで復活したものは、

  • ギリシャ美術、つまり古典
  • 人体美
  • 人間らしさ

などです。そして、古典を越えるために、遠近図法や解剖学などの科学も研究されました。事実上の君主として富と権力を握ったメディチ家が莫大な資産をもってして芸術を花開かせたのです。

– 活躍した画家

  • ヴェロッキオ(イタリア)
  • フラ・アンジェリコ(イタリア)
  • マザッチョ(イタリア)
  • ボッテチェルリ(イタリア)

– フラ・アンジェリコ – 1387 ~ 1455

フラ・アンジェリコ《受胎告知》

フラ・アンジェリコは修道僧であり、画家としては旧タイプでした。当時流行だった遠近図法や人体の立体表現には興味がなく、信仰心をいかに美しく表現できるかといった内面性の表現にひたすらスポットを当てていました。

『受胎告知』は、イタリア・フィレンツェのサン・マルコ修道院にあります。

– ボッテチェルリ – 1445 ~ 1510

ボッテチェルリ《春・プリマヴェーラ》

初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的な画家です。ギリシャ神話をテーマにした『ヴィーナスの誕生』、古代以来初めての大型異教説話画と言われる『春・プリマヴィーラ』など後世に大きな影響を残した名画を描きました。彼もまたメディチ家の援助を受けていました。

『春・プリマヴェーラ』はフィレンツェのウフィツィ美術館にあります。

3. 盛期ルネサンス- 1500 ~ 1530

ダヴィンチ《最後の晩餐》

– 絵画史最大の転換点

1500~1530年を「盛期ルネサンス」といいます。そうなんです、たったの30年しかありませんでした。それでも時代として切り出されているのには理由があります。
 
三大巨匠と呼ばれる、

  • ダヴィンチ
  • ミケランジェロ
  • ラファエロ

が活躍したからです。短い期間でしたが、彼らの作品はルネサンスの規範だった古代と自然さえ超越し、これ以上ないと思えるほど完成されたものでした。実際にこの30年間の芸術を最高のものとして絶対視する見方は19世紀半ばまで続いたのです。

– 活躍した画家

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリア)
  • ラファエロ・サンツィオ(イタリア)
  • ミケランジェロ・ブオナローティ(イタリア)
  • ジョルジョーネ(イタリア)
  • ティツィアーノ(イタリア)

– レオナルド・ダ・ヴィンチ – 1452 ~ 1519

レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》

「天才」の代名詞のような存在であり、アートに限らずあらゆる学問でその能力を発揮し、世界で最も有名な芸術家としてその名を残しています。容姿端麗な美少年で、ファッションにもこだわっていたそうです。ゲイだったこともあり、生涯独身を貫き通したことも有名です。

物体に輪郭線がないことが早くからわかっていたダヴィンチは、距離によって色調が変わることに気づき、輪郭線をぼやかして微妙に色の変化をつけていく「スフマート技法」から「空気遠近法」を生み出します。こうして、対象物の立体表現や空間表現が自然なものになりました。

ダヴィンチの作品は、以下の美術館などに展示されています。

  • ウフィツィ美術館(イタリア)
  • サンタマリアデレグラツィ聖堂(イタリア)
  • ルーヴル美術館(フランス/パリ)

陰影が大切なのだ。影によって平面が立体的に見える人の不思議を忘れて、色の美しさばかりを好むのも困ったものだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

形を捉える時に引く輪郭は、モノ部分ではない。モノが接したり、重なり合った時にそう見える境界なのだ。つまり、輪郭とは互いに接する物体の始まりなのだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダヴィンチについてもっと知りたい人は、こちらの記事もおすすめです。

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– ミケランジェロ – 1475 ~ 1564

ミケランジェロ《最後の審判》部分

バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の巨大な天井画『最後の審判』を描いたミケランジェロ。4年間に渡って描かれたこの名画は、ミケランジェロたった1人で描かれました。また、かの有名な『ダヴィデ像』を作ったのもミケランジェロです。 

ミケランジェロは自分のことを「画家」とはいわずに「彫刻家」として名乗ったといわれていて「ダヴィンチとは違う存在であることを意識していたのでは」とも語られています。

この前人未到の偉業は、2つの点に置いて偉大だ。まず、この物理的に巨大な空間を絵画で埋め尽くすことだけでも超人的だ。そして、天地創造という、人間の原点の感情の究極を損なうことなく表現できていること。この偉大な絵画はその両方をやり遂げたのだ。

ベン・シャーン(アメリカの画家)

– ラファエロ – 1483 ~ 1520

ラファエロ《大公の聖母》

37年という短い生涯でありながら、繊細で美しい数々の聖母子像を描いたラファエロは、ダヴィンチやミケランジェロと並ぶルネサンスの3大スターの1人です。
 
ダヴィンチとミケランジェロより若いラファエロは、気軽に先輩2人からアイデアを借用しています。派手ではありませんが、優雅で、バランス感覚に優れた典型的なルネサンスの画家ともいわれています。

ラファエロの作品は、以下の美術館などで見ることができます。

  • ウフィッツィ美術館(フィレンツェ/イタリア)
  • ドレスデン国立絵画館(ドレスデン/ドイツ)
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2 COMMENTS

ごろごろ五郎

あれ?ジョットと記されている絵がチマブーエになってませんかー。

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レキシル編集部

> ごろごろ五郎さん
ご指摘ありがとうございます。
修正させていただきました。

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