寛政の改革は江戸時代中期に老中・松平定信によって行われた幕政改革です。定信が老中となり、天災や飢饉の影響で財政難に陥っていた幕府の再建を図りました。
一定に成果を上げた寛政の改革ですが、名前が有名な一方で改革の詳しい内容や結果が曖昧な人もいるはず。
そこで今回は寛政の改革を内容や結果、「享保の改革」や「天保の改革」との違いも交え、わかりやすく解説します。
この記事を読み寛政の改革へ理解を深めれば、歴史の見方もより深くなりますよ。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
寛政の改革とは
寛政の改革(1787年〜1793年)は江戸中期に松平定信により進められた幕政改革です。「徳川吉宗の享保の改革(1716年〜1745年)」と「水野忠邦の天保の改革(1841年〜1843年)」の3つを合わせ「江戸の三大改革」と呼びます。
改革の目的は?
定信は「倹約令による財政緊縮政策」を主導しました。吉宗時代には300万両あった幕府の備蓄金は、1788年には81万両に減少。定信が改革に着手した頃の幕府財政は、飢饉と将軍・家治の葬儀により100万両の赤字が予想されていたのです。
また度重なる天災により各地で飢饉が発生。幕府は一揆や打ちこわしの対処に追われ、封建的な幕藩体制を揺らがせる事態も起きていました。定信は旧来の幕藩体制を維持する為に「民を救うための政治」も主導しています。
寛政の改革により赤字財政は黒字となり、更に20万両の備蓄にも成功しました。更に福祉政策に伴い「経世済民」の思想に基づいた行政が生まれています。寛政の改革はある程度の成功を収めたのです。
一方で厳しい倹約令は庶民や幕府内からも不満が生まれ、定信は1793年7月に第11代将軍・徳川家斉に老中解任を言い渡されました。ただ寛政の改革の方針は定信の意思を継いだ老中首座・松平信明らにより、1817年頃まで続けられています。
改革に至るまでの経緯
定信が寛政の改革に着手する前は、田沼意次が幕政を掌握していました。意次は従来の農業を中心とした農本主義政策を改め、旧来の慣習に縛られない商業を重視した政策を展開しました。これを田沼政治や田沼時代(1767年〜1786年)と言います。
ただ田沼時代には1772年に「明和の火事」が起こり、1万4000人の死者が発生。浅間山の大噴火に伴う冷害や火山灰の影響で天明の大飢饉(1782年〜1786年)が起こり、東北では数万人の死者が出ています。農民が江戸に流れ、治安も悪化していきました。
米の収穫高も激減し1787年には江戸や大阪の米屋で打ちこわしが発生。全国で意次に対する不満が高まっていたのです。意次は近年では再評価の声が高まっていますが、災害が頻発する状況では幕府の財政を悪化させる事しか出来ませんでした。
ちなみに天明の大飢饉が起きた頃、定信は東北の白河藩の藩主を務めていました。定信は藩を挙げて飢饉対策をし、白河藩は1人の餓死者も出していません。定信が「徳川吉宗の孫」という背景もあり、老中に登用する声も高まっていくのです。
クーデタをきっかけに改革へ着手する
1786年8月25日に後ろ盾の10代将軍・家治が死去すると、意次は2日後に老中を罷免されます。更に閏10月5日には2万石を没収され、江戸屋敷の明け渡しを命じられました。意次は家治の後ろ盾で権勢を誇っていた経緯もあり、これは一種のクーデターです。
クーデターには新たに将軍になった徳川家斉の父親、一橋治済が関与していました。彼は反田沼派を指揮し、定信もその流れに属していたのです。吉宗は自分の子孫が将軍に就任出来るよう「清水家」「田安家」「一橋家」という御三卿という家を作りました。
田安家は定信の兄・治察が継ぐものの彼は病弱でした。定信は幼少期から聡明で知られ、治察が死去すれば定信が田安家の当主となり、やがて将軍になる可能性がありました。意次は定信の台頭を危惧し、1775年に17歳の定信を白河藩の養子に斡旋したのです。
この経緯もあり、定信は意次を恨んでいました。なお新たな将軍の家斉は「一橋家」の人間。田安家の定信は将軍になれず、ある意味で一橋家とのお家争いに敗れたとも言えるのです。結果的に定信は将軍にはならず、老中として実権を握る事になりました。
寛政の改革は天明の大飢饉への対応がメインで、定信自身の思想からの政策をやるには六年という期間は短すぎたということかな。隠居後は大衆文学を愛し、かつて弾圧した相手を保護したりもしてますし。
松平定信が田沼の政策を否定してないとか歴史は色々変わっていきますね