寺山修司とはどんな人?生涯・年表まとめ【短歌や名言、死因も紹介】

寺山修司の代表作品

短歌

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

「マッチに火を灯すほんの一瞬、海に深い霧が立ち込めている景色が見える。私が命を捧げるほどの祖国はあるのだろうか」という意味です。

1957年に発刊された第一作品集「われに五月を」に収録された歌です。太平洋戦争が終わり、日本は敗戦の痛みから立ち直ろうと前向きになってきた時期です。高度経済成長の波に乗って、世間は明るい兆しも見えてきていましたが、若者たちは祖国への複雑な思いを抱えるようになっていました。そうした青春期の若者の危うい心情を詠んだ歌として、今も愛されています。

エッセイ

寺山修司の一番有名なエッセイといえば「書を捨てよ、町へ出よう」でしょう。本書は寺山が競馬について語ってみたり、家出入門を収録したりと、いわば寺山修司の “やりたい放題” のエッセイ集です。

しかし何よりこの題名が、寺山修司のアジテーターとしての白眉とも言える気がします。こんなに人を煽動するキャッチコピーがあるでしょうか?こうした言葉に対するリズム感やセンスが、寺山の人気が高い理由の一つであるとも思います。

作詞

カルメン・マキ

「時には母のない子のように」は1969年、天井桟敷に入団したカルメン・マキのデビュー曲として、寺山修司が作詞をしたものです。当時ミリオンセラーを記録し、カルメン・マキは1969年度のNHK紅白歌合戦に出場しています。

ミュージカル

意外と知られていないのが、寺山修司の手がけたミュージカル脚本です。劇団四季で今も上演されている子どものためのミュージカルは、初期作品を寺山修司が書いていました。

1964年初演の「はだかの王様」は、アンデルセン童話を元に作られています。洋服に関係する名前を登場人物に割り振るなど、寺山らしい遊び心が溢れた作品です。

古代ギリシャ神話をベースに寺山修司が書き下ろしたミュージカル「王様の耳はロバの耳」は、1965年に初演されました。

寺山修司の功績

功績1「眩いばかりの受賞歴」

寺山修司は、早くからその才能を、日本国内だけではなく海外でも認められたクリエーターでした。

演劇に関しては特に、1971年にユーゴスラビアでグランプリを受賞した「邪宗門」と、1981年にヴィレッジャー紙の最優秀外国演劇賞を受賞した「奴婢訓」が注目すべき作品です。ヴィレッジャーはダウンタウン・ビレッジの有力なコミュニティ新聞です。

寺山の手がけた映画も様々な賞を受賞していますが、代表作と言ってよいのが1974年公開の作品「田園に死す」です。国内で芸術選奨新人賞を受賞した後、翌年にはカンヌ映画祭に正式出品されました。この映画は1976年にベルギー・バース、ベナルマデオ各映画祭で審査員特別賞も受賞しています。

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