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第二次世界大戦の原因やきっかけは?当時の各国の状況も詳しく紹介

「第二次世界大戦が起きた原因は何?」
「日本も第二次世界大戦に参戦した理由はなぜ?」

第二次世界大戦は1939年から1945年の6年余り、日本・ドイツ・イタリアを中心の枢軸国とアメリカ・イギリス・ソ連などの連合国が戦った世界大戦です。西はヨーロッパから東は太平洋まで世界各地で戦闘が繰り広げられた世界史上最悪の戦争となりました。

世界史上最悪と言われた第二次世界大戦は多くの被害を世界中に出した
出典:Wikipedia

この戦いでは核兵器も投入され、日本も多くの人命が失われた戦争でもありました。どうしてそんな世界中を戦火に巻き込んだ第二次世界大戦が起こってしまったのでしょうか?この記事では第二次世界大戦の原因を詳しく解説していきます。

第二次世界大戦とは

ポーランドに侵攻するドイツ軍
出典:Wikipedia

第二次世界大戦は、1939年から1945年の6年間の世界大戦です。主にドイツが引き起こした“ヨーロッパ戦線”と、日本が引き起こした“東アジア・太平洋戦線”の二つがあります。きっかけはドイツが1939年にポーランドに侵攻。イギリス・フランスに宣戦布告により世界大戦に発展しました。

連合軍の攻撃で焦土と化したドイツ・ベルリン
出典:Wikipedia

ドイツ・イタリア・日本の間で日独伊三国同盟を結び、主にドイツはヨーロッパを、日本は東アジアで戦闘を繰り広げています。しかし徐々に連合国側が圧倒し、1943年9月にイタリアが降伏、次いで1945年5月にドイツが降伏、そして1945年8月に日本が降伏して第二次世界大戦は終息しました。

詳しい第二次世界大戦の内容は下記の記事を参照してください。

第二次世界大戦をわかりやすく解説!きっかけや原因、年表も紹介

第二次世界大戦が起きた主な6つの原因

第二次大戦下のイギリス陸軍
出典:Wikipedia

第二次世界大戦はなぜ起きたのか?原因は複雑に絡み合っており、いくつもの理由があります。その中でも、特に理由として大きく作用したと考えられるものを4つ紹介します。

1.世界大恐慌による経済混乱が起きた事

ニューヨーク・ウォール街の様子
出典:Wikipedia

第二次世界大戦の根本的な発端は「経済」です。経済がひっ迫することにより、追い詰められた国が、戦争を仕掛けざるえない状況へと向かっていきました。

第二次世界大戦が始まる前の1929年から1936年頃にかけて、「世界大恐慌」と呼ばれる世界的な大不況が起こります。アメリカのウォール街で株価が大暴落し、慌てた預金者たちが銀行に殺到。引き出されることにより銀行は相次いで倒産し、連鎖で投資を受けていた企業も倒産という負の連鎖を起こしたのです。

アメリカは世界経済の中心であり、不況の波は世界中へと広がっていきました。世界恐慌の余波は1936年頃まで続き、実に4人に1人は失業者という状況へと陥ってしまったのです。こうした経済不安は、世界中の国の経済を圧迫させ、世界各国を追い詰めていきました。

世界大恐慌をわかりやすく紹介!原因と影響、各国の対応について簡単解説

特にドイツの経済破綻は顕著だった

紙幣で遊ぶドイツの子供の様子
出典:愛隣保育園長ブログ

特に第一次世界大戦で敗戦し多額の賠償金を払っていたドイツは、世界大恐慌で“ハイパーインフレーション”に陥ってしまい、国民の不満に入り込むようにヒトラー率いるナチ党が台頭していくこととなります。

ドイツは当時、多額すぎる賠償金の返済のために、アメリカの資金援助により経済を回している状態でした。しかし大恐慌の影響により失業者は40%以上にのぼり、銀行や企業は次々に倒産。貨幣の価値は下がり、1920年代の10年間で、物価が1.2兆倍という異常な事態となってしまっていたのです。

最悪なタイミングで日本も世界恐慌の影響を受けた

関東大震災により崩壊した東京
出典:Wikipedia

世界恐慌による大不況は、最悪のタイミングで日本にも影響を与え、結果他国へ侵略していくきっかけとなってしまいます。

世界大恐慌が起こる前、日本は関東大震災が起きており、経済の立て直しが行われていたところでした。しかしやっと立ち直った頃に世界恐慌が起こり、日本の有力な輸出先だったアメリカなどが日本の製品を買う余裕が無くなってしまったのです。そのため日本の経済は、大打撃を受けてしまいました。

昭和金融恐慌時の銀行の様子
出典:Wikipedia

1930年代には日本も中小企業の倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れかえってしまう状態となりました。そしてもはや自国だけで経済を立て直すことは不可能と考えた日本は、満州を占領・開拓して景気を回復させようと考えます。こうした姿勢は、第二次世界大戦に繋がっていったのです。

2.自国ファーストの貿易が行われた事

イギリスやフランスは他国製品に高い関税をかけ経済をブロックした

世界恐慌で経済が不安定になった国で、植民地を多く持つ国は「ブロック経済政策」という自国の経済を保護する政策を打ち出しました。具体的にはイギリスやフランスなどの国は、自国と自治領、植民地の間で「ブロック」と呼ばれる経済圏を作り、他国に製品に高い関税をかけて貿易を制限したのです。

しかしブロック経済政策により他国との貿易を追い出してしまう結果となり、輸出に頼り切っていた国は自国経済を維持できない状態となってしまいました。植民地を持つ国が“自国ファースト”を行った結果、領土を持たない国が困窮していくこととなったのです。

ブロック経済とは?政策の特徴や影響、経済圏についてわかりやすく解説

3.「持たざる国」が窮地に立たされた事

日本では「昭和恐慌」と呼ばれ、特に農村部が大打撃を受けた
出典:SharewisPLESS

世界大恐慌においって領土や資源を“持っている国”は自国で経済立て直しを図ることが可能ですが、日本・ドイツ・イタリア等植民地を“持たざる国”は、ブロック経済を行えませんでした。

特にドイツは第一次世界大戦の敗戦のため巨額の負債を抱えており、その上世界恐慌でアメリカ資本が次々とドイツを撤退。一度持ち直し始めていた経済は再度転落してしまったのです。

イタリアの首相ムッソリーニが先駆けで、後にドイツや日本もファシズム国家といわれた
出典:Wikipedia

同じように日本やイタリアも植民地や資源を持たないために、自国で経済を立て直すことは出来ませんでした。そのためにこれらの国は、国の存続のために「軍国主義」へと向かうこととなります。軍の力で侵略することによって、領土や資源を得ようと考えるのです。軍国主義を「ファシズム」といいますが、日独伊を代表するファシズム国家は資源や領土を求めて戦争を仕掛けていくこととなりました。

4.ファシズム思想が急速に広まったこと

ムッソリーニとヒトラー
出典:Wikipedia

第一次世界大戦が終わった後頃から、徐々に「持たざる国」を中心に急速にファシズム思想が浸透していきました。このファシズム思想により、日・独・伊は急速に軍国主義への道へと突き進んでしまいます。

そもそもファシズムとは?

ファシズムのシンボル(イタリアのファシスト党のマーク)
出典:Wikipedia

そもそも「ファシズム」とは、簡単に言うと「個人の利益よりも国の利益を優先する」という考え方です。具体的には、

  • 個人の自由よりも国が勝つことを優先する
  • 個人の自由よりも国の植民地が増えることを優先する

という個人よりも「国」を大事にするというものでした。ファシズムの語源はイタリア語の「ファッショ(束)」という意味から来ています。つまり個人が「束となる」ことにより、より強い「国家」を作るという考え方が「持たざる国」を中心に芽吹いていったのです。

独裁者は国民の愛国心に訴えかけ戦争を先導していった
出典:マナペディア

国を優先するという考え方により、「自国ファースト」を掲げ他国の侵略も辞さない強硬姿勢が取られ、第二次世界大戦が始まる原因の一つとなってしまいました。

イタリアとドイツで独裁者が現れた

1942年に「国家総力戦」を演説するヒトラー、垂れ幕には「総力戦」と書かれている
出典:Wikipedia

こうした「ファシズム思想」を掲げ、大衆動員を積極的に行い、市民的自由や権利を無視しして国家利益を求めて、反対派を弾圧する独裁者が登場します。代表されるのがイタリアの「ファシスト党」のベニート・ムッソリーニと、「ナチ党」のアドルフ・ヒトラーです。この2国は自らが所属していた党以外を解散させ、「一党独裁体制」を作っています。

そして2国は世界恐慌からの不景気を回復するために、イタリアはエチオピアを攻撃。そしてドイツはポーランドへ侵攻していき、第二次世界大戦へと繋がっていったのです。

日本では「天皇制」を強く押し出した

日本も軍国主義へと突き進んでいくことになった
出典:Wikipedia

この時日本では、イタリアやドイツと違う形で思想が広がっています。日本は太平洋戦争の敗戦まで天皇制を強く押し出し、「立憲君主制」から天皇中心とした仕組みへシフトしていき、再編成されました。

そのような軍国主義は「日本ファシズム」と呼ばれ、国民の思想的にも軍国主義へと突き進んでいきます。そして1937年の盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)をきっかけに日中戦争が起こると、資源を求めて南アジアを占領していき、第二次世界大戦に参戦していったのです。

5.国際連盟が上手く機能しなかったこと

1924年に撮影された国際連盟本部
出典:Wikipedia

第一次世界大戦後に、世界の秩序を守るために「国際連盟」が発足しましたが、いまいち機能せずに終わってしまいました。「国際連盟が失敗だった」といわれる原因として挙げられている理由は3つです。

国際連盟が機能しなかった理由1:アメリカなどの有力国が参加していなかったから

モンロー宣言を行ったアメリカのモンロー大統領
出典:Wikipedia

そもそも提唱したアメリカが、最後まで国際連盟に加入していませんでした。理由はアメリカはヨーロッパの政治に干渉しない「モンロー主義」を掲げており、アメリカの世論が国際連盟の加入を望まなかったためです。

またソ連も、国際連盟に参加していませんでした。ソ連は1934年に加盟していたものの、1939年に除名されています。この巨大な2国がもし国際連盟に加入していたならば、また歴史が変わっていたのかもしれません。

モンロー主義とは?背景や使い方、孤立主義の違いについて簡単に解説

国際連盟が機能しなかった理由2:全会一致の法則を採用していたから

国際連盟総会を退場する松岡洋右外交官
出典:歴memo

国際連盟は何かを決めるときに、「加盟国全ての賛成を得る」必要がありました。当時、国際連盟には約60か国が参加していましたが、参加国全てが賛成しないと次に進むことができなかったのです。

結果として、何か提起しても全会一致しないと決まらないため多くの問題が解決せず、そして方針に沿わない国は次々と脱退していく事態となってしまいました。

国際連盟が機能しなかった理由3:軍事力が行使できなかったから

現在は平和維持活動のために国際連合は軍を指揮している
出典:Wikipedia

国際連盟は、指揮下の軍を持っていませんでした。そのためどこかの国が独裁政権を敷いたり、国際法に反したとしても、軍による制裁をくわえることができなかったのです。そしてあくまで問題国には、「口頭での注意勧告」を行うのみとなってしまっていました。これは特に一触即発だった当時の国家間では、大して抑止力にならなかったのです。

この反省から、現在ある「国際連合」では連合の指揮下にある軍を所持し、PKO(平和維持活動)を目的として活動しています。

6.ヴェルサイユ体制が崩壊した事

国際連盟本部
出典:Wikipedia

第二次世界大戦前は“ヴェルサイユ体制”と呼ばれる、ドイツ封じが目的の国際体制を敷いていました。そして「国際連盟」を作り世界平和を目指していましたが、ヒトラーが掌握したドイツは禁止されていた再軍備化をすすめ、1933年に国際連盟を脱退します。

同じ1933年に、日本も国際連盟を脱退します。国際連盟から満州国の独立が認められず、満州国を承認できないと決議されたためでした。

エチオピア戦争でのイタリア軍、イタリアも領土を広げようとした
出典:Wikipedia

最後にイタリアも1935年にエチオピア戦争が勃発。エチオピアは国際連盟の加盟国だったために当然批判される中、1936年にエチオピアを併合。しかし国際連盟を中心に批判が止まず、1937年に国際連盟を脱退しました。

日独伊三国同盟を記念した三国の国旗
出典:Wikipedia

国際的に孤立を深めた「持たざる国」の三国は、日独伊三国防共協定を結びます。これによりヴェルサイユ体制は崩壊しました。そして1940年には「日独伊三国同盟」が結ばれ、枢軸国の基盤が出来上がってしまったのです。

日独伊三国同盟とは?経緯や各国の目的、与えた影響を分かりやすく解説
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3 COMMENTS

匿名

とても分かりやすかったです!
できれば、戦後の日本について紹介してくれませんか?

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匿名

資本主義はいずれああなる、市場をもとめて拡張する。日本も三菱の経営のために海外拡張してた。そしてドイツを破ったのはソ連だった、まるで社会主義が資本主義より優越というイメージできた。だから世界の社会主義を封じるため、冷戦を進める米国の一部。日本も実際戦後は冷戦植民地となったわけだ。<ポツダム宣言>に戦後日本の新政府の成立のあと連合国名義で駐在する占領軍全部撤退と明記したが。ルーズベルト大統領は冷戦する気なく、ソ連の配慮してたと考える。しかし戦後まで生きられなかった。

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