新撰組の服装や給料は?
服装は浅葱色の羽織を着ていた
新撰組の服装は、袖口にダンダラ模様を白く染め抜いた浅葱色の羽織を着用していました。浅葱色は武士の死に装束の色で、制作したのは大文字屋呉服店(現:大丸)です。しかし浅葱色の羽織は最初の一年ぐらいで廃止されたらしく、池田屋事件の後、黒袴に変わっています。
「黒ずくめだったからすぐわかった」と証言があるので想像にはなりますが、浅葱色だと夜襲の時に目立つからといった理由などが考えられるのではないでしょうか。
警備や戦闘の時は鎖帷子や籠手、胴、鉢金といった防具を使用し、主に武器は刀と槍を携帯していました。幕府から貰った賞金で、新式の兵装備品を購入していたのだろうと考えられています。
給料は最初薄給だったらしい
新撰組の給料は幕府配下時に、局長50両・副長40両・副長助勤30両・平隊員が10両の月給だったといいますが、実際はもっと少なかったといわれています。幕末の1両は大体現代の価値で4千円~1万円といわれています。よって局長で20万円から50万円、平隊員で4万円~10万円くらいということでしょうか。
価値観は人によって違いますが命をかけた任務が多い新撰組にしては、決して高い給料とはいえないかもしれません。なお事件によっては褒賞金が貰えたといいます。しかしこれは結成からしばらくたってからの話であり、当初は新撰組の後援者・佐藤彦五郎からの援助と商家から資金を提供させていたといいます。
そして京都守護職の配下となった後は、会津藩の御用金から出されたそうです。詳しい金額はわかっていませんが幕府配下時代よりも高いとは考え難く、かなり資金難に悩んでいたといわれています。
厳しい隊規が設けられていた
浪人集団である新撰組は、まとめ上げるために「局中法度」という厳しい隊規を設けていました。規則は厳しく、違反したものは厳しく静粛されています。新撰組の中で法が出来たのは、近藤や土方が中心とした組織となってからといわれています。内容は、
- 武士道に背く行為をしてはならない
- 新撰組からの脱退は許されない
- 無断で借金をしてはならない
- 無断で訴訟に関係してはならない
- 個人的な争いをしてはならない
以上いずれかに違反した者には切腹を申し渡すものとするWikipedia
というものでした。規律違反化の判断は、近藤や土方が行ったといいます。この規律違反で静粛された死者数は39名にも及びます。倒幕志士の討ち入りなどで死亡した人数は6名ですので、新撰組は戦闘により死者数よりも、実は内部抗争での切腹や暗殺が多かったといわれています。
新撰組の主要メンバーと組織図
新撰組の主要メンバーを組織図・写真付きで紹介【性格や愛刀も解説】
局長:近藤勇
近藤勇はどんな人?
新撰組の局長です。後に甲陽鎮撫隊の隊長も務めました。天然理心流の4代目宗家でもあります。浪士隊の募集に、土方や沖田など同門8人で入隊しました。その後派閥争いに勝利し、新撰組の局長に就任。池田屋事件などで活躍しました。
戊辰戦争時は新政府軍に敗北。新撰組は甲陽鎮撫隊として再出発するも敗北、下総国(千葉県)にいると、新政府軍に捕まり板橋刑場で処刑されました。享年35歳でした。首は京で晒し首にされたといいます。
新撰組局長!近藤勇とはどんな武士?生涯・年表まとめ【性格や死因についても紹介】
近藤勇の愛刀は?
近藤勇の愛刀は「長曽弥虎徹興里(長曽祢虎徹)」です。池田屋事件後、養父に「下拙刀は虎徹故に哉、無事に御座候」と手紙を送っています。しかし実は近藤勇が持っていたのは、長曽祢虎徹の贋作であったという説が有力です。