二番隊組長:永倉新八
永倉新八はどんな人?
永倉新八は松前藩の浪士で、二番隊組長と撃剣模範を務めた人物です。神道無念流剣術を修めるも剣好きのため脱藩。武者修行中に近藤たちと知り合い共に新撰組に入隊しています。池田屋事件で功績をあげるも、戊辰戦争で敗退後は、藩に帰参。北海道で暮らし近藤や土方のお墓を立てたりもしています。その後北海道で余生を過ごしました。
永倉新八の愛刀
永倉新八の愛刀は「播州住手柄山氏繁」です。池田屋事件時に帽子が折れたと伝わっています。
三番隊組長:斎藤一
斎藤一の人物像と性格
斎藤一は三番隊組長で撃剣師範を務めた人物です。間違って人を殺めてしまい京に隠れている時に、面識があった近藤たちと再会、新撰組に入隊しました。新撰組から分裂した「御陵衛士」に間者として活躍するも再度新撰組に戻り戦いますが、会津藩降伏により囚われの身に。明治には警察官となり72歳で死去しました。
斎藤一の愛刀
斎藤一の愛刀は「摂州住池田鬼神丸国重」です。池田屋事件後の記録によると「刃毀レ小サク無数」とあり、折れてはないもののかなり損傷したそうです。
八番隊組長:藤堂平助
藤堂平助の人物像と性格
藤堂平助は武蔵国の士族で北辰一刀流の門下生となり、後に天然理心流にも入門した人物です。新撰組では生え抜きといわれ、最年少ながら組長となっています。後に伊東と尊王のため除隊し、御陵衛士となりました。油小路事件で暗殺された伊東の遺体を奪還するために現場に戻り、死闘の末死去しました。非常に美少年だったとも伝わっています。
藤堂平助の愛刀
藤堂平助の愛刀は「上総介兼重」です。池田屋事件では修復不可能なほど破損したといいます。
新撰組にまつわる逸話
一時期は200名程いた新撰組は、色々な逸話があります。このトピックでは新撰組の意外なものも含めて逸話を3つ紹介します。
坂本龍馬を暗殺したのは斎藤一といわれていた?
あまり強い説ではないのですが、坂本龍馬は三番隊組長の斎藤一に暗殺されたのではないかという説もあります。浅田次郎が書いた「壬生義士伝」で龍馬を暗殺したのは斎藤一だと書かれています。龍馬の傷から左利きの人間の犯行で、そして北辰一刀流の龍馬を殺害することが出来たのは斎藤一では?という考えからだそうです。
しかし現在はほぼこの説は否定されていて、京都見廻り隊の「佐々木只三郎」が実行犯で、黒幕が京都守護代の「松平容保」ではないかという説が有力です。しかししばらく前までは、新撰組の仕業だとかなりの人が思っていたらしく、近藤勇が処刑されるときも「龍馬暗殺関与」という罪状で土佐藩に強引に処刑されています。真相はどうであれ、国を良くしようとする志士たちが闇討ちで討たれた事実は残ってしまいました。
新撰組に美男五人衆がいたらしい
新撰組には「美男五人衆」と呼ばれる人がいます。五人衆というのは後世つけられた名前ですが、当時隊内で「男色」が流行っていたらしく、近藤勇の手紙に記されています。そういう中で、特にモテた5人ということのようです。
5人は山野八十ハ・佐々木愛次郎・馬越三郎・馬詰柳太郎・楠小十郎です。この中でも特に有名なのが馬越三郎で、女性のような容姿で剣の腕も確かだったそうです。五番隊組長の武田観柳斎に言い寄られていたという噂まであったといいます。