ジョン・クィンシー・アダムズ
名前 | ジョン・クィンシー・アダムズ |
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期 | 第10期 |
在任期間 | 1825年3月4日~1829年3月4日 |
所属政党 | 民主共和党 |
副大統領 | ジョン・カルフーン |
ジョン・クィンシー・アダムズは、第2代大統領であるジョン・アダムズの息子であり、第6代大統領です。彼はジェームズ・モンローの政権下で国務長官を務め、モンロー主義の確立に尽力しています。
彼の政権は、後に大統領となるアンドリュー・ジャクソンの支持者による徹底的な妨害行為に苦しみ、「呪われた政権」と呼ばれました。そして、1828年に行われた大統領選挙では史上最悪とされる中傷合戦が発生し、大統領へ再当選することができませんでした。
アンドリュー・ジャクソン
名前 | アンドリュー・ジャクソン |
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期 | 第11期、第12期 |
在任期間 | 1829年3月4日~1837年3月4日 |
所属政党 | 民主党 |
副大統領 | ジョン・カルフーン(第11期)、 マーティン・ヴァン・ ビューレン(第12期) |
アンドリュー・ジャクソンは第7代大統領であり、民主党で初の大統領です。彼は強権的な大統領であり、白人のためだけの民主主義を追求しました。彼はインディアン強制移住法の制定や黒人奴隷の酷使を行った人種差別主義者でした。
2020年、白人警官によって黒人男性が殺害された事件をきっかけに、人種差別抗議運動が世界的に発生しました。その際に、アンドリュー・ジャクソンの銅像の破壊未遂事件が起こっています。
マーティン・ヴァン・ビューレン
名前 | マーティン・ヴァン・ビューレン |
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期 | 第13期 |
在任期間 | 1837年3月4日~1841年3月4日 |
所属政党 | 民主党 |
副大統領 | リチャード・メンター・ジョンソン |
マーティン・ヴァン・ビューレンは、強権的な大統領であったアンドリュー・ジャクソンを副大統領として支えた経験を持つ第8代大統領です。彼の祖先はオランダ出身であり、アングロサクソン系ではない初めての大統領でした。
しかし、彼の在任中にアメリカ全土を恐慌が襲い、深刻な経済危機を迎えてしまいます。その結果、彼の支持率は低迷し、1840年の大統領選挙では再当選することができませんでした。
ウィリアム・ヘンリー・ハリソン
名前 | ウィリアム・ヘンリー・ハリソン |
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期 | 第14期 |
在任期間 | 1841年3月4日~1841年4月4日 |
所属政党 | ホイッグ党 |
副大統領 | ジョン・タイラー |
ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは、ティピカヌーの戦いで名声を得た第9代大統領です。しかし、彼は就任して1か月で肺炎により死去してしまいました。
彼の死以降、「テカムセの呪い」が始まります。テカムセとは、ティピカヌーの戦いでハリソンによって殺害された先住民族の名前です。この呪いに根拠はありませんが、1840年から1960年までの120年間で20の倍数の年に当選した全ての大統領が任期中に死去しています。
ジョン・タイラー
名前 | ジョン・タイラー |
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期 | 第14期 |
在任期間 | 1841年4月4日~1845年3月4日 |
所属政党 | ホイッグ党→無所属 |
副大統領 | 不在 |
ジョン・タイラーは、在任中に死去してしまったハリソン大統領の後を引き継いだ第10代大統領です。この件をきっかけに、前任の大統領が死去すると副大統領が昇格して業務を引き継ぐケースが増えていきます。
1845年、彼はテキサス共和国の併合を承認し、アメリカ合衆国の一部としました。その結果、1846年にはテキサスの所属を巡って争っていた隣国メキシコとの間でアメリカ・メキシコ戦争が勃発します。