アメリカ大統領歴代45人を一覧で紹介!実績や任期、覚え方まで解説

ウィリアム・ハワード・タフト

第27代大統領ウィリアム・ハワード・タフト
出典:Wikipedia

名前ウィリアム・ハワード・タフト
第31期
在任期間1909年3月4日~1913年3月4日
所属政党共和党
副大統領ジェームズ・スクールクラフト・
シャーマン

ウィリアム・ハワード・タフトは、強大な経済力を背景にドル外交を展開し、平和な外交を望んだ第27代大統領です。彼は最高裁判所長官も歴任しており、司法と行政の長を務めた経験がある唯一の大統領でした。

しかし、次の大統領選挙において、新たに結成されたアメリカ進歩党の候補となったセオドア・ルーズベルトと対立し、共和党員の票が割れてしまいます。その結果、民主党候補のトマス・ウッドロー・ウィルソンが当選してしまいました。

トマス・ウッドロー・ウィルソン

第28代大統領トマス・ウッドロー・ウィルソン
出典:Wikipedia

名前トマス・ウッドロー・ウィルソン
第32期、第33期
在任期間1913年3月4日~1921年3月4日
所属政党民主党
副大統領トマス・ライリー・マーシャル

トマス・ウッドロー・ウィルソンは、「行政学の父」と呼ばれる第28代大統領です。彼は戦争を終わらせるための戦争として第一次世界大戦へ参戦することを決定し、ドイツへ宣戦布告しました。

戦後、彼は「十四カ条の平和原則」を発表し、新世界秩序を形成することを目的とした国際連盟の設立に貢献しました。しかし、モンロー主義を主張する議会に阻まれ、アメリカ合衆国は国際連盟に加盟しませんでした。

ウォレン・ガメイリアル・ハーディング

第29代大統領ウォレン・ガメイリアル・ハーディング
出典:Wikipedia

名前ウォレン・ガメイリアル・
ハーディング
第34期
在任期間1921年3月4日~1923年8月2日
所属政党共和党
副大統領ジョン・カルビン・クーリッジ・
ジュニア

ウォレン・ガメイリアル・ハーディングは、現職の連邦上院議員として初めて選挙に当選した第29代大統領です。彼はワシントン会議を開催し、日英同盟の解消と日本の軍縮を行い、日本に対して強い圧力をかけました。

しかし、彼はティーポット・ドーム事件と呼ばれる汚職事件に絡んでいたようです。この事件により、ハーディング政権の評判は急落していきます。その後、彼は国内を遊説して回っていた際に倒れてしまい、任期中に死去してしまいました。

ジョン・カルビン・クーリッジ・ジュニア

第30代大統領ジョン・カルビン・クーリッジ・ジュニア
出典:Wikipedia

名前ジョン・カルビン・クーリッジ・
ジュニア
第34期、第35期
在任期間1923年8月2日~1929年3月4日
所属政党共和党
副大統領不在(第34期)、
チャールズ・ゲーツ・ドーズ
(第35期)

ジョン・カルビン・クーリッジ・ジュニアは、初めてラジオを使用して演説を行った、第30代大統領です。彼は7月4日生まれであり、アメリカ史において唯一の独立記念日に生まれた大統領でもあります。

また、彼の政権時に排日移民法が制定されました。排日移民法により、アメリカでは日本からの移民が禁止されます。その結果、日本はプライドを傷つけられると共に巨大な移民先を失うことになり、国内では反米感情が高まり始めたようです。

ハーバート・クラーク・フーヴァー

第31代大統領ハーバート・クラーク・フーヴァー
出典:Wikipedia

名前ハーバート・クラーク・フーヴァー
第36期
在任期間1929年3月4日~1933年3月4日
所属政党共和党
副大統領チャールズ・カーティス

ハーバート・クラーク・フーヴァーは、自由放任主義を政策理念として掲げた第31代大統領です。しかし、彼の政権下において世界恐慌が発生してしまい、未曽有の大不況に対処することができないまま評判は落ちていきました。

彼は大統領を辞めた後も政治に関わり続けていたようです。また、死後に刊行された著書「裏切られた自由」において彼は、太平洋戦争はフランクリン・デラノ・ルーズベルトの政策によって引き起こされたと語っています。

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