小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

芹沢鴨はどんな人?生涯・年表まとめ【暗殺の背景や愛刀、子孫も紹介】

芹沢鴨の功績

功績1「神道無念流の使い手だった」

神道無念流の構えの1つ 一足立ち
出典:神道無念流は桂小五郎も学んだ日本最強の剣術

芹沢鴨は危険な男でしたが、それ以上に卓越した剣術の腕前でした。芹沢は「神道無念流」の免許皆伝を受けています。神道無念流は江戸時代中期に福井兵右衛門により開かれた流派で、幕末に広く諸藩に広まった流派でした。

神道無念流の使い手は芹沢鴨だけでなく、新撰組二番隊隊長の永倉新八、新撰組の内部抗争で暗殺された伊東甲子太郎、維新三傑の桂小五郎や、大河ドラマの主人公になった渋沢栄一などがいます。

木戸孝允とはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や功績、名言や子孫、死因まで紹介】 インターネットの歴史がわかる本7選【IT初心者から上級者まで】渋沢栄一はどんな人?何をした?功績や性格、逸話まで簡単に解説

芹沢の剣術の腕前は相当でした。力士と乱闘騒ぎになった時には力士の分厚い脇腹を刀で突き刺して殺害。沖田総司らと共に多数の力士を死傷させています。

新撰組はやがて「壬生の狼」と呼ばれ、倒幕派の志士達を震え上がらせます。その所以は卓越した剣術で、暗殺対象者を逃さない点にありました。芹沢が局長筆頭に就任した事で、壬生浪士組の存在感はより大きくなったと言えるのです。

功績2「八月十八日の政変で活躍する」

政変の起きた堺町御門
出典:Wikipedia

芹沢は乱闘狼藉を働くだけでなく、しっかりと成果を残しています。それが文久3年(1863年)8月18日に起きた「八月十八日の政変」です。これは会津藩や薩摩藩の勢力が、過激な攘夷を主張する長州藩の志士達や公家達を京都から追い出した政変です。

この時に壬生浪士組は御所の警備の為に出動したものの、会津藩士達は彼らの事を知りません。御門の前で、会津藩士と壬生浪士組による押し問答が続きました。

芹沢は一切ひるむ事なく、会津藩士の前に進みます。会津藩士は芹沢を槍で芹沢を突こうとするものの、芹沢は「愛用の鉄扇」で槍をはじき、悠然と門を通っていきました。人々は芹沢の豪胆さに驚いたとされます。

結果的に「八月十八日の政変」は芹沢の活躍もあり、長州藩と過激な公家は京都から追い出されます。一説ではこの功績が認められ、壬生浪士組は新撰組の隊名を与えられたとされますが、資料は存在しません。本格的に新撰組と名乗るのは9月25日の事でした。

功績3「近藤勇・土方歳三が台頭するきっかけを作る 」

芹沢鴨が壬生浪士組で局長筆頭として君臨したのは僅か半年。芹沢は壬生浪士組が新撰組になる直前にこの世を去りました。芹沢の新撰組としての功績は「近藤勇に局長の座を明け渡した事」にあるかもしれません。

芹沢鴨の一連の乱暴狼藉から分かる通り、当初の壬生浪士組は素行の悪さや風紀の乱れが目立ちました。芹沢の死、もう1人の局長である新見錦の切腹を経て、近藤勇が局長に就任。

近藤は新撰組の風紀の引き締めのために、鉄の掟である「局中法度」を制定。これに背いた者は切腹、粛清、暗殺の対象になります。更に切腹の介錯は新人隊士に委ね、人を平然に斬れる人材を作り上げていきました。

言い方は悪いですが「芹沢鴨の死」は新撰組の新たなスタートでした。新たな新撰組を作る踏み台になった事こそが、芹沢の最大にして最期の役割だったのでしょう。

新撰組局長!近藤勇とはどんな武士?生涯・年表まとめ【性格や死因についても紹介】

芹沢鴨の名言

薄桜鬼 黎明編に登場する芹沢鴨
出典: *さくら*’s cafe☆まったり乙女ゲーム中☆

雪霜に 色よく花の 咲きがけて 散りても後に 匂ふ梅が香

芹沢の辞世の句です。意味は「梅は他の花に先駆けて雪や霜の中でも咲く。そして散った後も香りが残るように感じるものだ」というところでしょうか。

これは暗殺前に作ったものではなく、投獄され死罪を命じられる時に作ったものでした。芹沢が単なる危険人物ではない事を裏付けるのは、和歌にも読み取れる教養の高さと繊細な感性にあります。死の間際に芹沢は何を思ったのか、今では分かりませんが。

尽忠報国之士芹沢鴨

これは芹沢が発した言葉ではなく、愛用する鉄の扇に刻まれた文字です。つまり「忠義の為に国に報いる」という覚悟を現したものになります。

芹沢は壬生浪士組に入る前は尊皇攘夷運動の急先鋒でした。その志は壬生浪士組に加入後も一切のブレはなかったのでしょう。その覚悟が愛用する扇に込められているのです。

芹沢鴨の人物相関図

新撰組の組織図
出典:宝塚歌劇 Official WebSite

こちらは新撰組の組織図です。芹沢鴨は近藤勇、新見錦と壬生浪士組の局長となりました。やがて新見錦が副局長になると、隊内は芹沢派と近藤派の二大巨頭となり、水面下で争いは続いていくのです。

芹沢亡き後は近藤派の面々が台頭し、私たちが想像する「新撰組」が発足するのです。

新撰組の主要メンバーを組織図・写真付きで紹介【性格や愛刀も解説】

芹沢鴨にまつわる逸話

逸話1「人気漫画「るろうに剣心」に登場する志々雄真実のモデルになった?」

今でも根強い人気のある「るろうに剣心」ですが、作内屈指の強敵である「志々雄真実」をご存知でしょうか。全身に大火傷を負い、全身を包帯で巻いた人物ですが、彼は芹沢鴨をモデルにしています。

志々雄真実は作者の和月伸信が「悪の集大成」と述べており、日本征服を目論むスケールの大きな人物です。圧倒的な剣術と危険な思考を持ちつつも、どこか知性と教養を思わせる言動と行動は史実の芹沢鴨を彷彿とさせます。

2014年にるろうに剣心は映画化され、藤原竜也演じる志々雄真実は実写として登場。日本中に衝撃を与えました。るろうに剣心では志々雄真実以外にも多くの幕末の人物が登場したり、モデルとなっています。

例えば斎藤一、大久保利通などは実在の人物として登場しています。新撰組をモデルにした人物としては、四乃森蒼紫、瀬田宗次郎、武田観柳、相良左之助などがいます。誰が誰をモデルにしているのか、考えてみるのも良いですね。

斎藤一とはどんな人?生涯・年表まとめ【愛刀や子孫、功績も紹介】

逸話2「実は優しい一面も?」

芹沢は酒で豹変する男だった
出典:Wikipedia

乱暴狼藉者の芹沢ですが、優しい一面があった事も知られています。壬生浪士組が滞在していた八木邸の娘が夭折した時には、芹沢は近藤と率先して葬儀の手伝いをした他、子供達に面白い絵を描いては笑わせており、子供には好かれていたのです。

また芹沢が八木邸から借りた火鉢を返す時、火鉢に刀傷がついていました。当時の壬生浪士組は酔うと八木邸の家財道具を試し切りの道具にしていたのです。八木邸の主人が刀傷を咎めると、芹沢は「俺だ。俺だ。」と頭を掻いて逃げ出す事もありました。

芹沢はアルコール中毒の為、酔うと手がつけられませんでした。しかしシラフの時は陽気で優しい一面もあった事が分かります。八木邸の主人もそれを知っており、芹沢の事を嫌ってはいませんでした。

暗殺に巻き込まれたお梅も、芹沢の人間的魅力に感化され恋仲になったのかもしれません。仮に芹沢がアルコール中毒でなかったなら歴史は全く違っていたのかもしれませんね。

逸話3「愛刀は備後三原守家正家(びんごみはらのかみけまさいえ)?」

芹沢は最上大業物を持っていた?
出典:Wikipedia

芹沢の愛刀は「備後三原守家正家」とされます。一説では力士との乱闘でも使用したとされますが、残念ながら創作の可能性が高いです。そもそも「日本刀銘鑑」にその刀は記載されておらず、実在しないもの。都市伝説に近いものと考えられます。

一応「三原正家」という刀匠は実在し、応仁の乱以降に「卓越した切れ味」から人気を博したものでした。初代正家は大業物。三代正家は良業物、四代正家に至っては日本に12工しか存在しない「最上大業物」に分類される超名刀です。

正家の名を持つ刀は皇族や大名などしか手にできなまのです。一介の浪士である芹沢が握れるものではなく、仮に芹沢が正家の名を持つ刀を持っていても、それは贋作の可能性が高いでしょう。経歴不明の芹沢だからこそ、広まった噂と言えますね。

1 2 3 4

コメントを残す