芹沢鴨はどんな人?生涯・年表まとめ【暗殺の背景や愛刀、子孫も紹介】

芹沢鴨の名言

薄桜鬼 黎明編に登場する芹沢鴨
出典: *さくら*’s cafe☆まったり乙女ゲーム中☆

雪霜に 色よく花の 咲きがけて 散りても後に 匂ふ梅が香

芹沢の辞世の句です。意味は「梅は他の花に先駆けて雪や霜の中でも咲く。そして散った後も香りが残るように感じるものだ」というところでしょうか。

これは暗殺前に作ったものではなく、投獄され死罪を命じられる時に作ったものでした。芹沢が単なる危険人物ではない事を裏付けるのは、和歌にも読み取れる教養の高さと繊細な感性にあります。死の間際に芹沢は何を思ったのか、今では分かりませんが。

尽忠報国之士芹沢鴨

これは芹沢が発した言葉ではなく、愛用する鉄の扇に刻まれた文字です。つまり「忠義の為に国に報いる」という覚悟を現したものになります。

芹沢は壬生浪士組に入る前は尊皇攘夷運動の急先鋒でした。その志は壬生浪士組に加入後も一切のブレはなかったのでしょう。その覚悟が愛用する扇に込められているのです。

芹沢鴨の人物相関図

新撰組の組織図
出典:宝塚歌劇 Official WebSite

こちらは新撰組の組織図です。芹沢鴨は近藤勇、新見錦と壬生浪士組の局長となりました。やがて新見錦が副局長になると、隊内は芹沢派と近藤派の二大巨頭となり、水面下で争いは続いていくのです。

芹沢亡き後は近藤派の面々が台頭し、私たちが想像する「新撰組」が発足するのです。

新撰組の主要メンバーを組織図・写真付きで紹介【性格や愛刀も解説】

芹沢鴨にまつわる逸話

逸話1「人気漫画「るろうに剣心」に登場する志々雄真実のモデルになった?」

今でも根強い人気のある「るろうに剣心」ですが、作内屈指の強敵である「志々雄真実」をご存知でしょうか。全身に大火傷を負い、全身を包帯で巻いた人物ですが、彼は芹沢鴨をモデルにしています。

志々雄真実は作者の和月伸信が「悪の集大成」と述べており、日本征服を目論むスケールの大きな人物です。圧倒的な剣術と危険な思考を持ちつつも、どこか知性と教養を思わせる言動と行動は史実の芹沢鴨を彷彿とさせます。

2014年にるろうに剣心は映画化され、藤原竜也演じる志々雄真実は実写として登場。日本中に衝撃を与えました。るろうに剣心では志々雄真実以外にも多くの幕末の人物が登場したり、モデルとなっています。

例えば斎藤一、大久保利通などは実在の人物として登場しています。新撰組をモデルにした人物としては、四乃森蒼紫、瀬田宗次郎、武田観柳、相良左之助などがいます。誰が誰をモデルにしているのか、考えてみるのも良いですね。

斎藤一とはどんな人?生涯・年表まとめ【愛刀や子孫、功績も紹介】

逸話2「実は優しい一面も?」

芹沢は酒で豹変する男だった
出典:Wikipedia

乱暴狼藉者の芹沢ですが、優しい一面があった事も知られています。壬生浪士組が滞在していた八木邸の娘が夭折した時には、芹沢は近藤と率先して葬儀の手伝いをした他、子供達に面白い絵を描いては笑わせており、子供には好かれていたのです。

また芹沢が八木邸から借りた火鉢を返す時、火鉢に刀傷がついていました。当時の壬生浪士組は酔うと八木邸の家財道具を試し切りの道具にしていたのです。八木邸の主人が刀傷を咎めると、芹沢は「俺だ。俺だ。」と頭を掻いて逃げ出す事もありました。

芹沢はアルコール中毒の為、酔うと手がつけられませんでした。しかしシラフの時は陽気で優しい一面もあった事が分かります。八木邸の主人もそれを知っており、芹沢の事を嫌ってはいませんでした。

暗殺に巻き込まれたお梅も、芹沢の人間的魅力に感化され恋仲になったのかもしれません。仮に芹沢がアルコール中毒でなかったなら歴史は全く違っていたのかもしれませんね。

逸話3「愛刀は備後三原守家正家(びんごみはらのかみけまさいえ)?」

芹沢は最上大業物を持っていた?
出典:Wikipedia

芹沢の愛刀は「備後三原守家正家」とされます。一説では力士との乱闘でも使用したとされますが、残念ながら創作の可能性が高いです。そもそも「日本刀銘鑑」にその刀は記載されておらず、実在しないもの。都市伝説に近いものと考えられます。

一応「三原正家」という刀匠は実在し、応仁の乱以降に「卓越した切れ味」から人気を博したものでした。初代正家は大業物。三代正家は良業物、四代正家に至っては日本に12工しか存在しない「最上大業物」に分類される超名刀です。

正家の名を持つ刀は皇族や大名などしか手にできなまのです。一介の浪士である芹沢が握れるものではなく、仮に芹沢が正家の名を持つ刀を持っていても、それは贋作の可能性が高いでしょう。経歴不明の芹沢だからこそ、広まった噂と言えますね。

1 2 3 4 5 6 7

コメントを残す