「死刑囚が残した最期の言葉って何だろう?」
「残した言葉にはどんな意図や背景があったの?」
今回は、そんな疑問を持つ人に向け、日本と海外の死刑囚が残した最期の言葉をランキング形式でまとめました。残した言葉の意図や背景も合わせて紹介します。
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100位:バーバラ・グレアム-強盗殺人犯
「善良な人たちは、常に正しいのですとも」
バーバラ・グレアムは、アメリカの死刑囚です。
1953年に仲間で強盗を行い、住民の未亡人を殺害。後に事件は密告され、彼女たちを含めた3人が死刑判決を受けました。
刑が執行された時、彼女は僅か31歳。3度の結婚を経て3人の子供を授かっていた他、娼婦としての顔もありました。彼女の数奇な運命は、『私は死にたくない』というタイトルで2回にわたり映画化されています。
99位:ロバート・タワーリー – 銃殺殺人犯
「私は家族を愛している。ポテト、ポテト、ポテト」
ロバート・タワーリーは、アメリカの死刑囚であり、1991年に絞殺による殺人を行い逮捕されました。2012年に薬物注射による刑の執行が行われ、上記の言葉を残したのです。
死刑囚とはいえ家族を愛する心を持つのは当然の事。ただその後に、「ポテト」という言葉を3回述べた理由は分かりません。彼にしか分かり得ない何かがあったのでしょうか。
98位:佐藤虎美-強姦殺人犯
「殺られてたまるかーー!」
佐藤虎美は、1967年に神奈川県藤沢市で女子高生を強姦絞殺の末に死体を遺棄した人物です。
彼は過去に逮捕歴があり、死刑確定後も何度も再審請求を行っていました。ただ1982年に刑は執行されています。
佐藤は体重が100kg以上ある巨漢で、刑の執行時には激しく抵抗し、上記の言葉を遺しています。予定の時間を数分過ぎた(50分も超過した説あり)後に、刑は執行されたのです。
97位:アンドレイ・チカチーロ:連続殺人犯
「脳は撃つな日本人に売れる」
アンドレイ・チカチーロは、1978年から1990年にかけてロシアで52人を殺害した人物です。彼は社会的地位と家族に恵まれつつ、生まれながらの性的不能に悩み続け、各地で殺人を重ねました。
当初は一連の事件が同一犯と思われず、捜査は難航。後に彼は逮捕され、1994年に銃殺刑で処刑されました。彼が最期に述べた言葉の意味は不明ですが、彼の脳は実際に日本人が買取っています。¥
96位:坂巻脩吉-強姦致死犯
「お先に、先生!お世話になりました。元気でね!」
坂巻脩吉は、1954年に小学2年生の細田鏡子ちゃんを校内で絞殺した人物です。
当時の学校は開かれた空間で、学校のトイレが公衆便所の代用にされていました。事件を契機に、学校の安全対策が推進されます。
坂巻は結核で療養中もヒロポンを常用していました。死刑宣告時は「先生、おれ、死刑になっちゃった」と他人事のように弁護士に話をし、刑が執行される時も無邪気な様子でした。
彼は知的障害も持っていたのかもしれません。
95位:李 珍宇-強姦殺人犯
「死ぬのは嫌だーー」
李珍宇は、1958年に女子高生を殺害して死刑判決を受けた人物です。
彼は在日朝鮮人で、通名は金子鎮字。事件当時は18歳でした。犯行の経緯は女子高生を強姦する為、ナイフで脅すが抵抗された為に殺害するという身勝手なものでした。
李は後にキリスト教の洗礼を受け、獄中で支援者と往復書簡を交わします。李の刑は1962年に執行され、彼は22歳の生涯を終えています。
94位:孫斗八-強盗殺人犯
「貴様ら騙し討ちにするのか、卑怯だぞ」
孫斗八は1951年に洋品店を営む夫婦を殺害し、金品を強奪した事で死刑判決を受けた人物です。
彼も在日朝鮮人。真冬に薄着で洋品店を訪れた姿をみて、店主は彼に同情し、飲み屋で酒を振る舞い、身の上話を聞いています。その後、孫は再び洋品店を訪れて店主と妻を殺害して金品を強奪。恩を仇で返したのでした。
1963年に刑は執行されますが、その間に様々な行政訴訟を起こして、刑の回避を図り続ける等、往生際の悪い人物でした。
93位:津田暎-誘拐殺人犯
「神様のところに行きます」
津田暎は、1984年に誘拐殺人を行った人物です。
当時、少年野球チームの指導員をしていた津田は、チームに所属する泰州君を誘拐。絞殺後に父親に身代金を要求したのです。1985年に死刑が確定し、1998年に刑が執行されました。
津田は獄中で教誨師から話を聞き、キリスト教の洗礼も受けています。刑執行前には、刑務官に礼をいい、教誨師に上記の言葉を残していますが、最期まで遺族への謝罪の言葉はありませんでした。
92位:加納恵喜-強盗殺人犯
「死を待ち続ける生活に疲れました」
加納恵喜は、2000年に名古屋市のスナックで女性経営者を絞殺した人物です。
彼は1950年に生まれてから、窃盗などで刑務所での服役を繰り返し、1983年に殺人を犯して懲役15年の判決を受けていました。
加納は人生の大半を刑務所で過ごし、生きる事に執着はありませんでした。また死刑廃止論者の弁護士に、「死刑はあった方がいい」と述べる等、死刑に賛成の姿勢を示しています。彼の刑は2013年に執行されました。
91位:正田昭-死体遺棄殺人犯
「アーメン」
正田昭は、「バー・メッカ殺人事件」と呼ばれる、1953年に証券ブローカーを殺害し屋根裏に遺棄した事件の犯人です。正田も元証券ブローカーであり、当初無罪を主張するものの死刑が確定しました。
死刑確定後は、小説を書くようになっていたといいます。そしてキリスト教に傾倒していたといい、最後の言葉も祈りでした。
最悪森永の面接落ちた
黙れクズ社会の恥がキモいから二度と呼ぶなクソが