死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

80位:古屋栄雄-バラバラ殺人

高階村(現・埼玉県川越市)で事件は起きた
出典:Wikipedia

「ふみえーー!もう一度会いたいよぉ・・・・」

古屋栄雄は、19歳の女性を殺害し遺体をバラバラにして遺棄した人物です。

彼は、一方的に1人の女性(ふみえ)に好意を寄せていましたが、ふみえは古屋の元から逃走。ある日、偶然通りかかった女性を、ふみえと勘違いして犯行に及びました。

当初の古屋は無期懲役判決でしたが、控訴審に出廷したふみえの胸を竹べらで刺す凶行に及び、死刑判決が下ります。彼が事件を起こしたのは1954年で、刑が執行されたのは1959年の事でした。

79位:秋山芳光-強盗殺人犯

秋山芳光
出典:Yahoo知恵袋

「私は77歳ですよ。それでもあなた方は執行するんですか・・・」

秋山芳光は、1975年に兄と結託し、他人の会社経営者を殺害して金品を奪った人物です。裁判を経て兄は無期懲役が確定し、主犯とされた秋山に死刑判決が下りました。

死刑判決が決定したのは1987年であり、刑の執行は2006年。犯行から41年が経過しており、秋山は「自分が死刑になる事はない」と考え、上記の言葉を遺したのです。

何歳になっても死刑囚は、死刑の恐怖に怯えなくてはなりません。

78位:ロバート・ドゥルー-強盗殺人犯

死刑もまた国家による殺人なのかもしれません
出典:Wikipedia

「覚えておけ。死刑は殺人だ」

ロバート・ドゥルーは、1983年にテキサスで男性を射殺し、1994年に薬物注射による死刑判決を受けた人物です。彼は死を恐れるあまり、死刑に対する不満をぶちまけています。

ただ彼が死刑になったのは、罪を犯した為です。自分の置かれている立場を理解していない、身勝手な発言と言えるでしょう。

77位:レナ・ベイカー-主人殺し

レナ・ベイカー
出典:殺人博物館

「私には身を守るか、それとも殺されるしか道はありませんでした。神様もきっと許してくれます。神様の身元に行く準備が。私は大丈夫です。」

レナ・ベイカーは1944年に白人男性の主人を殺害して死刑判決を受けた人物です。

ベイカーは貧しい黒人女性でした。主人はベイカーに肉体関係を迫り、数日に渡り仕事場に監禁。拳銃を巡り揉み合いになった末、主人は銃の暴発で死亡しました。

ベイカーの住むジョージア州は黒人差別が根強く存在した土地。ベイカーは一切の弁明も許されず死刑判決が下り、翌年に電気椅子での処刑が執行されました。

「彼女は死刑になる罪ではなかった」と、死後も減刑の声が続き、2005年に恩赦が認められました。

76位:神田司-強盗殺人犯

神田司
出典:onigiriまとめ

こうなることは分かっていました。被害者のお母さん、おばさん、付き合っていた彼、友人、会社の同僚に対して、命を以て償います。

神田司は、堀慶末や川岸健治と共謀して2007年に闇サイト殺人事件を起こした人物です。

彼らは闇サイトで集い、見ず知らずの女性を拉致。金品を奪って殺害しました。川岸は自首して無期懲役、堀は死刑囚として現在服役中です。

神田は2015年に刑が執行され、最後の言葉が弁護士により伝えられました。その最期は「自分の罪と向き合っていた」と刑務官が述べる程のものでしたが、彼の行った行為は許されるものではありません。

75位:ゲアリー・バリス-強盗殺人犯

インディアナ州で事件は起きた
出典:Wikipedia

「(天国に)飛ばしてくれ」

ゲアリー・バリスは、1980年にアメリカのインディアナ州でタクシードライバーを殺害し、金品を強奪した人物です。彼は薬物注射による死刑が確定し、1987年に刑が執行されます。

彼は、死に際に天国に行く事を望みました。ただ、彼は人を殺害した死刑囚。彼が天国に行く事は絶対にないでしょう。

74位:奥野清-母親バラバラ殺人犯

母親思いの人物だったと伝わる

「かあちゃん、今行くで。待っとれよ」

奥野清は、1960年の大阪で母親を殺害し、遺体をバラバラにして遺棄した事件の犯人です。非常に親思いの男性だったそうですが、母親を金銭的なトラブルにより殺害し、バラバラにして遺棄しました。

そんな奥野の言葉は、最後まで母に対する言葉だったそうです。

73位:小原保-誘拐殺人犯

小林保
出典:週刊珍宝2019

「怖れつつ 想いをりしが 今ここに 終るいのちは かく静かなる」

小原保は、1963年に4歳の男の子を誘拐し殺害した人物です。その事件は「吉展ちゃん誘拐殺人事件」と呼ばれ、「戦後最大の誘拐事件」といわれました。

そんな小原は、死刑確定後に短歌に傾倒。「福島誠一」というペンネームで「昭和万葉集」にも載りました。ペンネームは「生まれ変わったら故郷で誠一筋に生きる」という願いからつけたといわれています。

72位:小林薫-誘拐殺人犯

小林薫
出典:NeeSee

「ふ、ふ、風呂とちゃうんか?」

小林薫は、「奈良小1女児殺人事件」と呼ばれる、2004年に小学一年生の女児を誘拐・殺害・遺棄した凶悪事件の犯人です。その後誘拐された女児の遺体は、側溝で発見されました。

そんな小林は、裁判の時に死刑を望み「第二の宮崎勤、宅間守になる」と証言していたといいます。しかし死刑確定後生への執着を見せ、最後も怯えた様子だったと伝わっています。

71位:エドマンド・ザゴルスキー-連続殺人犯

エドマンド・ザゴルスキー
出典:世界の猟奇殺人者

「さあ、やろうか」

エドマンド・ザゴルスキーは、1983年にテネシー州で2人を殺害した人物です。彼は1984年に死刑判決が下り、2018年10月に電気椅子での刑の執行が検討されています。

しかしテネシー州では2007年以降、電気椅子での死刑が行われていないとして、弁護士が刑の停止を主張。刑は延期されるものの、翌月に刑は執行されました。

死刑判決から実に35年。どれだけ月日が流れても、その罪から逃げる事はできません。

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