10位:カール・パンズラム-連続強姦殺人犯
「さっさとしろよ、田舎者め。おまえがもたもたしてるうちに、俺なら10人は殺せるぞ!」
カール・パンズラムは、1920年代アメリカの連続殺人犯です。
犯罪内容は残酷で強盗・強姦・殺人など、本人の供述曰く「22人を殺し、1000人の男性と肛門性交をした」と話していたといいます。そして1930年に死刑を宣告され、絞首刑に処されました。
この頃は死刑廃止運動が盛んでしたが、パンズラム自身が死刑を望み刑に処され、最後は叫び堂々とした姿だったといいます。
9位:麻原彰晃(松本智津夫)-オウム真理教教祖・テロリスト
「ぐふっ」
麻原彰晃(松本智津夫)は、オウム真理教の教祖であり、1989~1995年の間に「地下鉄サリン事件」など計13件の事件で27人を死亡させました。
そんな松本死刑囚の最後の言葉は上記であり、死刑が執行される当日もきょとんとして無反応だったと伝わっています。
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8位:ジョン・ウェイン・ゲイシー-連続強姦殺人犯
「ファック!」
ジョン・ウェイン・ゲイシーは、1972~1978年までに33名の男性を強姦・殺害したアメリカの連続殺人犯です。資産家でチャリティーにも積極的であり、パーティーで好んでピエロの格好をしていました。
そのため、「殺人ピエロ」とあだ名されています。1994年に薬物死刑執行、通常薬物死刑は平均7分前後で静かに絶命しますが、ゲイシーは薬物にむらがあったためか20分前後苦しみ絶命したといわれています。
7位:テッド・バンディ-連続強姦殺人犯
「ジムやフレッド、私の家族や友達に私の愛を与えて欲しい」
テッド・バンディは、「シリアルキラー」の語源になったアメリカの死刑囚です。1974~1978年の間に7つの州で30人異常殺害が判明しており、実際はもっと多いことが想定されています。
そんなバンディは、死刑の前日泣いて祈っていたといいます。そして最後の言葉を聞かれ、その場にいた担当弁護士ジムと夜一緒に祈った牧師フレッド、そして家族と友達への愛の言葉を残しました。二人は頷いたそうです。
6位:H・H・ホームズ-連続殺人犯
「ゆっくりやってくれ、ただ失敗しないでくれよ」
H・H・ホームズは、1893年頃に少なくとも9人、一説では200人以上を殺害した人物です。
彼は拷問器具が用意された自前のホテルに女性客を呼び込み、首吊りや毒ガスで殺害。遺体を解体し、内臓は酸で溶かし、遺骨を標本骨格として大学に売却していました。
彼は後に詐欺で逮捕され、ホテルの捜索を経て大量殺人は明るみにでます。1896年に死刑が執行されますが、怯える様子もありませんでした。
彼はシリアルキラーとして記録された最初の1人で、映画などの題材にもなっています。
5位:ジョージ・アペル(アップル)-警察殺害犯
「さて、紳士、あなたは焼きたてのアペルを見ようとしています。」
ジョージ・アペルは、1920年代に警察官を殺害し、死刑判決を受けた人物です。当時の処刑は電気椅子が一般的で、皮膚や頭髪の一部は電流で焼かれます。
アペルは駄洒落が好きな男でした。自らの名前であるアペル(アップル)と、電気椅子で焼かれる体をなぞらえて上記の言葉を残したのです。
4位:カンパティマール・シャンカリヤ:連続殺人犯 70人以上
「私は無駄に人を殺した。みんな私のようになってはいけない」
カンパティマール・シャンカリヤは、1977年から1978年にかけて、インド一帯で70人以上を殺害した人物です。
犠牲者は耳下の首をハンマーで撲殺されており、一連の犯行はカンパチマール(耳の下を叩く人)」による者の仕業と噂されました。
後に彼は逮捕され、1979年に死刑となります。一連の犯行は全て快楽によるものですが、彼は自らの異常性を知っていました。いくら反省の言葉を述べようと、彼の行為は許されるものではありません。
3位:ペーター・キュルテン-連続強姦殺人犯
「私に残された最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫を噴き出す音をこの耳で聴くことです」
ペーター・キュルテンは、20世紀初頭の「デュッセルドルフの吸血鬼」の異名をつけられたドイツの連続殺人犯です。本人の供述によると80名殺害したといいます。手口は女性を襲い強姦し、殺害というものでした。
強姦されたものの生き残った少女の証言で逮捕、9件の殺人と7件の殺害未遂の罪で死刑判決を受けギロチンで処刑されました。血液に異常に興味を持っていたといい、最後の言葉も狂気に満ちています。
2位:ティモシー・マクベイ:テロリスト
「私は私の運命のマスターです:私は私の魂のキャプテンです。」
ティモシー・マクベイは、1995年に起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯です。
この爆破事件で168人が死亡し、850人以上が負傷。彼は元軍人で、政府に強い恨みを抱いていました。
マクベイは2001年に薬物による死刑が執行されます。キリスト教徒だった彼は、病者の塗油と最後の聖体拝領を受けて刑に臨みました。
最後に発した言葉はなかったものの、英国の詩人の詩を声明として残しており、それが事実上の最期の言葉とされています。
1位:アルバート・フィッシュ-連続猟奇殺人犯
「なぜ、私がここにいるか分からない」
アルバート・フィッシュは、19世紀のアメリカの猟奇殺人犯です。本人の自供によると23州にまたがり400名殺害し「満月の狂人」などと呼ばれました。
そんなフィッシュの最後は、電気椅子での処刑を「今までに味わったことのない最高のスリル」といったそうですが、最後の言葉は上記の言葉だったといいます。最後まで被害者への謝罪はありませんでした。
番外編:クロード・ ジョーンズ -無実の死刑囚
「自分が死刑になることで、あなた方遺族は気持ちにけじめをつけることができるだろう。身内を亡くしたあなた方遺族には心から同情する。俺はみんなを愛しているよ。さあ、時間だ」
クロード・ ジョーンズは、無実の罪で死刑となった人物です。クロードは、1989年にテキサス州で起きた強盗殺人事件の関与を疑われ、2000年に死刑判決となりました。彼は最後まで罪を認める事はなかったものの、最終的に死刑を受け入れて上記の言葉を遺しています。
10年後、事件現場で落ちていた髪の毛のDNA検査が行われ、その髪の毛はクロードのものではなかった事が判明。長い年月を経て、彼の無実は証明されたのでした。
死刑囚が残した最後の言葉をよく知れるおすすめ本
最後に、死刑囚が残した最後の言葉をよく知れるおすすめ本・書籍を紹介します。
死刑囚200人 最後の言葉
今回解説した死刑囚は50人ですが、この書籍には実に200人もの死刑囚の最期の言葉が掲載されています。彼らは死の間際に何を思い、どんな言葉を述べたのか。気になる人はぜひ読んで欲しい一冊です。
誰も知らない死刑の舞台裏
今回の記事で登場した死刑囚の多くは日本人、そしてアメリカ人でした。情報があまり開示されない中国などの国は別として、多くの国では死刑制度が撤廃されています。
本書を読む事で、日本の死刑制度や死刑が行われる過程について学べます。死刑に対する考え方の変化に繋がるかもしれません。
死刑囚の最後の瞬間
犯罪者の死刑の確定や、死刑の執行が行われた情報はネットやテレビで知る事が出来ます。ただ死刑囚が死刑に至るまでの期間を、どのように過ごしていたのか、その最期の瞬間については知らない人も多いでしょう。
本書は死刑囚の最期の瞬間を克明に記したドキュメンタリー。事実は小説以上に数奇なものです。死刑囚がどのように過ごしたのかを知る事で、私達が犯罪を犯さない戒めになるのかもしれません。
死刑囚が残した最期の言葉に関するまとめ
今回は、日本と海外の死刑囚が残した最期の言葉をランキング形式で紹介しました。残された言葉は謝罪の言葉もあれば、家族への言葉もあり、身の毛がよだつような言葉など色々でした。
その言葉たちは人間が死に際した時の心情が分かるとともに、もし来世というものがあるなら改心していてほしいと感じもしました。最後までお読みいただきありがとうございます。
最悪森永の面接落ちた
黙れクズ社会の恥がキモいから二度と呼ぶなクソが