死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

55位:ウィリー・フランシス-強盗殺人犯

ウィリー・フランシス
出典:歴ログ・世界史専門ブログ

「まったく何もない」

ウィリー・フランシスは、1944年に強盗殺人犯として死刑判決を受けた16歳の黒人でした。

彼は被害者の財布を所持していた事から逮捕されますが、殺人の証拠になるものは一切なし。転売で手にした可能性もあったものの、自白を強要されて犯行を認めます。

1946年に電気椅子での死刑が執行されますが、執行人の不手際で刑は失敗。彼は激痛を伴いながら生き延びたものの、1947年に再度死刑が執行されます。彼が無罪だったという説もあり、真実は未だに不明です。

54位:陸田真司-コンクリート詰め殺人犯

陸田真司
出典:NeeSee

「池田晶子さんの所に行けるのはこの上ない幸せです」

陸田真司は、1995年に起きた「SMクラブ下克上事件」と呼ばれる、クラブの経営者と店長を殺害しコンクリート詰めにして海に遺棄した事件の犯人です。

そんな陸田は、獄中で池田晶子さんの本を読み手紙のやり取りをして、対談本を出しています。そのため最後の言葉も池田晶子さんに対する言葉でした。

53位:坂本登-強盗殺人犯

坂本と事件を起こした古谷惣吉
出典:onigiriまとめ

「貴君にどうぞよろしく伝えてくれるように」

坂本登は1951年に古谷惣吉と2件の強盗殺人を行った人物です。

当時の坂本の年齢は18歳で、刑が執行されたのは21歳。戦後の少年死刑囚の中で一番若いものでした。

死刑確定後、坂本は同級生の勧めでキリスト教に帰依。改心して上記の言葉を述べました。一連の事件の主犯は古谷でしたが、古谷は坂本の死刑執行後に逮捕され、坂本に罪を被せる形で10年の懲役刑で済んでいます。

古谷は後に8人の独居老人を殺害する事件を起こしており、坂本の死は新たな事件の引き金に過ぎませんでした。

52位:渡辺健一-強盗殺人犯

渡辺健一
出典:new see

「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」

渡辺健一は1975年に寝屋川市で強盗殺人を起こし、死刑判決を受けた人物です。

渡辺はタクシーの運転手で、乗客が家の鍵を車内に忘れた事で犯行を決意。斧を持って住人の家を訪れます。住人は別の家族でしたが、その夫婦2人を殺害しました。

渡辺は1988年に刑が執行されますが、同日に別件の死刑が行われており、「当分自分の番は来ない」と考えていたとの事。にもかかわらず、自分も死刑執行の対象に選ばれた事に驚き、上記の言葉を述べたのです。

51位:ジェームズ・D・フレンチ-連続殺人犯

ジェームズ・D・フレンチ
出典:HACHI8

「明日の新聞の見出しはこれでどう?フレンチフライ!」

ジェームズ・D・フレンチは、1958年にヒッチハイクして乗せてもらった車の運転手を殺害し終身刑を受けたアメリカの死刑囚です。しかし、死ぬまで刑務所で暮らすのが辛いと感じ、同じ刑務所の囚人を絞殺。

そして希望通り電気椅子での死刑が確定しました。そして電気椅子に座ったときに、新聞記者に最後の言葉を話したといわれています。

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