70位:カーラ・フェイ・タッカー-連続殺人犯
「私はもうじきイエスに会えます。皆さんを愛しています。あなた方があちらへ来る時は私と会えるでしょう。私は皆さんを待っています」
カーラ・フェイ・タッカーは、1983年に元彼氏の家にツルハシを持って侵入し、元彼と女友達を殺害した人物です。理由はドラッグに必要なお金を工面する為、元彼の車を売ろうという身勝手なものでした。
タッカーは死刑判決が下るものの、獄中でキリスト教に改心。罪を悔い改める事をテレビで告白した事で、全米、果ては当時のローマ法王から助命嘆願が寄せられました。
しかし罪は赦されず、1998年に刑は執行され、38歳でその生涯を終えました。
69位:パトリック・ブライアン・ナイト-連続殺人犯
「ジョークを言おうか。死は俺を自由にしてくれる。まったく最高のジョークだよ。まさに俺にピッタリだ」
パトリック・ブライアン・ナイトは1991年にテキサス州で2人を殺害した人物です。
死刑は2007年に執行され、彼は人生の三分の一を死刑囚として過ごしました。彼は死刑執行の前に「時世のジョーク」を語ると予告し、公募を募ったのでした。
一連の行動は物議をかもした為、彼はジョークを言わない事を決意します。その代わりに、彼は上記の言葉を述べたのです。
68位:天津七三郎-誘拐殺人犯
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利久鼠の雨がふる
天津七三郎は、元俳優でありながら死刑囚になった男です。
女性問題や元々の資質で俳優を辞めた天津は、借金で首が回らなくなり、1964年に子供の誘拐殺人を決行。現金を受け取りに来たところを逮捕され、1968年に死刑が確定しました。
彼が最期に述べたのは、遺書ではなく北原白秋が作詞した「城ヶ島の雨」でした。この歌は倍賞千恵子をはじめ、多くの人たちがカバーをしています。
67位:片桐操-銃乱射殺人
片桐操は、1965年に渋谷でライフル銃による乱射事件を起こした人物です。
一連の銃撃戦で警官1人が殉職し、警察や通行人ら約18人が負傷。事件現場には3000人もの野次馬が集まる事態となりました。
片桐は「未成年かつ殺害人数が1人」にもかかわらず、1969年に死刑が確定し、1972年に刑が執行されます。25歳で彼は刑死しますが、その最期の言葉はある意味でとても潔いものでした。
66位:トーマス・J・グラッソ-強盗殺人犯
「わたしはスパゲッティオーズが欲しかったのに、出されたのはスパゲッティだった。この事実は報道されるべきだ」
トーマス・J・グラッソは、85歳の女性をクリスマスツリーのデコレーション用のライトで絞殺した人物です。
死刑判決を受け、1995年に刑は執行されます。彼は、死刑前の最後の食事として、蒸したムール貝やスペアリブ等、様々なものを要求しました。
刑務官が唯一用意できなかったのが、缶詰のスパゲッティ(スパゲッティオーズ)であり、代わりに用意されたのが手作りのスパゲッティでした。彼はそれが許せず上記の言葉を残しています。
スパゲッティオーズは、彼にとって懐かしい味だったのかもしれません。
65位:ヴォーン・ロス-連続殺人犯
ずっと俺を支えてくれた家族に礼を言いたい。みんな、愛している。死ぬのは怖くない。俺は平気だ。大丈夫。友人たち、愛する人たち、マリアン、愛している。俺のためにここに来てくれてありがとう。案の定の結果だったよ。
おまえたちにとって辛いことなのはわかっているが、これを乗り越えていかなくてはならない。奴らが法廷で言ったことは嘘なのはみんなわかっている。これが真実じゃないことは俺たちにはわかっている。おまえたちには強く、前に進んで欲しい。
ヴォーン・ロスは、2001年にテキサス州で18歳の黒人男性と53歳の白人男性を射殺した人物です。2人の遺体は、峡谷に置き去りにされた車の中で見つかり、ロスは後に逮捕されました。
彼は死の間際に家族や友人に感謝の意を述べています。一方で「奴らが法廷で言った事は嘘」と、弁護士や遺族に辛辣な言葉を述べました。彼は身勝手な人間であり、そらは言葉の節々から感じ取れます。
64位:ゲイリー・ギルモア-ガソリンスタンド襲撃殺人犯
「主はあなたと共におられます」
ゲイリー・ギルモアは、1976年にガソリンスタンドを襲い射殺、翌日モーテルの管理人を射殺し逮捕されたアメリカの死刑囚です。当時アメリカでは死刑廃止運動が出ていましたが、ギルモアは逆に「死刑を受ける権利」を訴え死刑になり話題になっています。
そんなギルモアの最後の言葉は、銃殺刑に処される前に黒いフードを被せられた時に、刑務所牧師に話した言葉といわれています。
63位:土谷正実-無差別テロ事件
「たとえ死んだって誰よりも深く愛している」
土谷正実は元オウム真理教幹部です。一連の事件の実行犯ではなかったものの、サリンの生成を成功させた事で、大量殺傷事件の共同正犯で死刑判決がくだりました。
土谷は事件の被害者や遺族に謝罪の言葉を述べる事はありませんでした。ただ、妻には今までの感謝を述べ、死んでも誰よりも愛している事を必ず伝えるように刑務官に念押しをしています。
妻との最期の面会は刑執行の3日前の2018年7月3日の事でした。
62位:豊田亨-無差別テロ事件
「日本社会は誰かを悪者にして吊るしあげて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから絶たなければ」
豊田亨は、オウム真理教の幹部として死刑となった13人の1人です。
彼は、もともと東京大学の大学院で素粒子を研究する優秀な人物でしたが、オウムに入信して地下鉄サリン事件の実行犯として事件に関与。この他に4つのオウム事件で起訴されました。
2009年に死刑が確定し、2018年7月26日に他の幹部らと刑が執行されます。7月6日に他の幹部の刑の執行を知り、己の死期を悟った豊田は、身辺整理を済ませ、手元にあった現金を2018年西日本豪雨の義援金に充てたのです。
61位:井上嘉浩-無差別テロ事件
「まずは、よし」
井上嘉浩は、オウム真理教の幹部として死刑になった13人の1人です。
彼は、元オウム真理教幹部として新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件の首謀者として教団の行動に関与。2018年に刑が執行されますが、その前まで礼儀正しく振舞っていたそうです。
彼の最期の言葉は上記の通りですが、「これで良かった」という意味なのか、「これから何かに向かって歩き出すという」意味なのかは分かりません。遺体は2日後に荼毘に付されました。
最悪森永の面接落ちた
黙れクズ社会の恥がキモいから二度と呼ぶなクソが