死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

85位:田本竜也-強姦と殺人犯

田本竜也の生涯は漫画にもなっている
出典:セブンネットショッピング

「犯罪者って別に違う世界から来た人間じゃなくて、皆の回りで生まれた普通の人間ですからね」

田本竜也は、1987年に仲間3人と幼馴染の大学生を山中に呼び出して殺害し、生きているように見せかけて父親から身代金を要求した人物です。主犯とされた田本は死刑判決、仲間3人は懲役18年が言い渡されました。

田本は、仲良くなった看守から脱獄を持ちかけられるものの、それは失敗。そんな不祥事もあり、田村の刑は2002年に執行されました。

彼の最期の言葉は、誰もが犯罪者になりうる可能性を示唆しています。

84位:ジョニー・フランク・ギャレット-強姦殺人犯

ジョニー・フランク・ギャレット
出典:世界の猟奇殺人者

「俺をどうにかして救ってくれようとした友人たちに感謝する。色々と手助けしてくれた精神科の先生にも俺を愛してくれた家族もだ。残りの奴らは俺の尻でも舐めやがれ」

ジョニー・フランク・ギャレットは、修道院の尼僧(76歳)を強姦致死させ、死刑判決を受けた人物です。母親や継父、祖父母は幼少期からギャレットを虐待していました。

獣姦を強要する等、家族からの常軌を逸した虐待でギャレットの精神は崩壊します。

彼の生い立ちは同情を誘い、減刑を求める声もありましたが、1992年に刑は執行されました。ギャレットが年配の尼僧を狙ったのは、母親達に対する復讐の意味もあったのかもしれません。

83位:リサ・モンゴメリー-妊婦殺人犯

リサ・モンゴメリー
出典:COURRiER

「(言うことは)ない。」

リサ・モンゴメリーは2004年に妊婦を絞殺し、腹部から胎児を取り出して誘拐した人物です。

逮捕された時、彼女はその赤ん坊をあやしていました。彼女の刑が執行されたのは2007年で、連邦レベルの女性の死刑執行は67年ぶりです。

彼女は3歳の頃から継父に性的虐待を受けており、それが人格形成に影響を与えたとされます。最期の言葉を聞かれた時、彼女は残す言葉がありませんでした。幼少期のトラウマが彼女を凶行に駆り立てたのでしょう。

82位:ジョン・スペンケリング-軍人殺し

ジョン・スペンケリング
出典:Wikipedia

「”死刑:資本のない彼らは処罰を受ける”」

ジョン・スペンケリングは軍人を殺害した人物です。

1976年に死刑判決をうけ、1979年に電気椅子で刑が執行されます。彼はフロリダ州で最初に死刑判決を宣告された人物でした。

スペンケリングはホームレスのような暮らしを送っており、資本主義に強い恨みを抱いていました。最後の言葉からは貧富の差に対する恨みと、諦めの思いが滲み出ています。

81位:ロドニー・ベルゲ-看守殺し

彼は少しだけ延命する機会を得た
出典:Wikipedia

「遅れてすまない。渋滞に巻き込まれたんだ」

ロドニー・ベルゲは、時期は不明ですが、誘拐と殺人未遂で終身刑になった人物です。

後に仲間と脱獄を果たそうとした際に、看守をパイプで殴殺。結局脱獄も失敗し、彼は死刑判決が言い渡されました。

ロドニーの弁護士は、彼には知的障害があるとして死刑の停止を要求。彼の刑の執行は「6時間」だけ延期されています。彼はその停止期間を「渋滞」と表現し、上記の発言を述べたのです。

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