死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

75位:ゲアリー・バリス-強盗殺人犯

インディアナ州で事件は起きた
出典:Wikipedia

「(天国に)飛ばしてくれ」

ゲアリー・バリスは、1980年にアメリカのインディアナ州でタクシードライバーを殺害し、金品を強奪した人物です。彼は薬物注射による死刑が確定し、1987年に刑が執行されます。

彼は、死に際に天国に行く事を望みました。ただ、彼は人を殺害した死刑囚。彼が天国に行く事は絶対にないでしょう。

74位:奥野清-母親バラバラ殺人犯

母親思いの人物だったと伝わる

「かあちゃん、今行くで。待っとれよ」

奥野清は、1960年の大阪で母親を殺害し、遺体をバラバラにして遺棄した事件の犯人です。非常に親思いの男性だったそうですが、母親を金銭的なトラブルにより殺害し、バラバラにして遺棄しました。

そんな奥野の言葉は、最後まで母に対する言葉だったそうです。

73位:小原保-誘拐殺人犯

小林保
出典:週刊珍宝2019

「怖れつつ 想いをりしが 今ここに 終るいのちは かく静かなる」

小原保は、1963年に4歳の男の子を誘拐し殺害した人物です。その事件は「吉展ちゃん誘拐殺人事件」と呼ばれ、「戦後最大の誘拐事件」といわれました。

そんな小原は、死刑確定後に短歌に傾倒。「福島誠一」というペンネームで「昭和万葉集」にも載りました。ペンネームは「生まれ変わったら故郷で誠一筋に生きる」という願いからつけたといわれています。

72位:小林薫-誘拐殺人犯

小林薫
出典:NeeSee

「ふ、ふ、風呂とちゃうんか?」

小林薫は、「奈良小1女児殺人事件」と呼ばれる、2004年に小学一年生の女児を誘拐・殺害・遺棄した凶悪事件の犯人です。その後誘拐された女児の遺体は、側溝で発見されました。

そんな小林は、裁判の時に死刑を望み「第二の宮崎勤、宅間守になる」と証言していたといいます。しかし死刑確定後生への執着を見せ、最後も怯えた様子だったと伝わっています。

71位:エドマンド・ザゴルスキー-連続殺人犯

エドマンド・ザゴルスキー
出典:世界の猟奇殺人者

「さあ、やろうか」

エドマンド・ザゴルスキーは、1983年にテネシー州で2人を殺害した人物です。彼は1984年に死刑判決が下り、2018年10月に電気椅子での刑の執行が検討されています。

しかしテネシー州では2007年以降、電気椅子での死刑が行われていないとして、弁護士が刑の停止を主張。刑は延期されるものの、翌月に刑は執行されました。

死刑判決から実に35年。どれだけ月日が流れても、その罪から逃げる事はできません。

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