60位:中川智正-無差別テロ事件

出典:nippon.com
「支援者、弁護士に感謝しております」
中川智正は元オウム真理教幹部で、坂本弁護士一家殺害事件などの様々な事件に関与。地下鉄サリン事件では、サリンを生成する等の準備に関わっています。
後に逮捕され、2011年に死刑が確定しました。
中川は麻原彰晃と同日の2018年7月6日に刑が執行されます。控室に用意された果物やお菓子には手をつけず、お茶を2杯飲んだとの事。死に対する怖れは見せず、支援者や弁護士に感謝の言葉を述べました。
59位:新実智光-無差別テロ事件

出典:nippon.com
「遺骨はガンジス川上流のウッタルカシ村で流してほしい」
新実智光は元オウム真理教幹部で、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件等、多くの事件に関与した人物です。
地下鉄サリン事件では運転役を務めています。後に計11件で26人の殺人に関与した罪で逮捕されますが、この人数は麻原彰晃の27人に継ぐ人数です。
新実は麻原彰晃や中川と同日の2018年7月6日に刑が執行されます。被害者や遺族への謝罪の言葉もなく、事件に加担した反省や後悔の言葉もありませんでした。
58位:ハンベルト・リール-誘拐殺人犯

出典:カラパイア
人生はきっと続いていく。被害者の遺族にも謝りたい。できれば許してもらいたいと思う。信じてくれるかどうかはわからないが、人生は続いていくんだ。
きっとそうだ。人類にとっても、おれの正義にとっても。あんた自身のためにも俺を許して欲しい。きっと人生は続いていくのだから。許して欲しい。心から後悔している。それだけだ。さあ、実際に許してみせてくれ。
それにもうひとつ。メキシコ、万歳。
ハンベルト・リールは、テキサス州で16歳の少女を誘拐し、性的暴行を加えた上で殺害した人物です。
彼は犯行にバットを使用し、遺体の陰部にはバットの破片が突き刺さっていました。少女は激しく抵抗した為、逮捕時のリールの顔には引っ掻き傷がありました。
リールは後に死刑判決が下り、死の間際には懺悔の言葉と後悔の念を述べています。ただ事件は残忍かつ非道なもの。遺族が彼の事を許す事はできないでしょう。
57位:マーク・ストローマン-強盗殺人犯

出典:カラパイア
「さあ、早いとこ終わらせてしまおう。ヘイゼルウッド局長、感謝する。ありがとう、みんな。スパーク、愛している。おまえたち全員愛している。コーナ、愛している。すべてがすばらしい。光栄だった。それを確信している。これで眠りにつくよ。おやすみ。いち、に、ほら・・・」
マーク・ストローマンは、2001年にテキサス州でコンビニ強盗を行い、49歳の中東系の男性店員を射殺した人物です。彼は後に死刑判決が下るものの、死刑を恐れる事はなく、その時が来る事を望み続けました。
死刑が執行される時、彼は最期の言葉として、刑務所の教官達に感謝の言葉を述べています。一方で被害者に対する謝罪はなく、彼の身勝手さが浮き彫りになっています。
56位:ネヴィル・ヒース-連続殺人犯

出典:殺人博物館
「あなたがウイスキーについて話している間に、あなたはウイスキーをダブルにするかもしれません」
ネヴィル・ヒースは1946年に2人の女性を拷問の末に殺害した人物です。幼少期から性欲が強く、生粋のサディスト。一度は軍人になるものの、度々問題を起こして退役しています。
彼は女性をホテルに連れ込み、自作の鞭で暴行して殺害。乳房や性器を切り取る異常行動をとりました。後に死刑判決が下り、死の数分前にウイスキーが差し出されます。
彼は酒場で女性を口説く時の言葉を述べる等、最期まで性欲を抑える事が出来ませんでした。
55位:ウィリー・フランシス-強盗殺人犯

出典:歴ログ・世界史専門ブログ
「まったく何もない」
ウィリー・フランシスは、1944年に強盗殺人犯として死刑判決を受けた16歳の黒人でした。
彼は被害者の財布を所持していた事から逮捕されますが、殺人の証拠になるものは一切なし。転売で手にした可能性もあったものの、自白を強要されて犯行を認めます。
1946年に電気椅子での死刑が執行されますが、執行人の不手際で刑は失敗。彼は激痛を伴いながら生き延びたものの、1947年に再度死刑が執行されます。彼が無罪だったという説もあり、真実は未だに不明です。
54位:陸田真司-コンクリート詰め殺人犯

出典:NeeSee
「池田晶子さんの所に行けるのはこの上ない幸せです」
陸田真司は、1995年に起きた「SMクラブ下克上事件」と呼ばれる、クラブの経営者と店長を殺害しコンクリート詰めにして海に遺棄した事件の犯人です。
そんな陸田は、獄中で池田晶子さんの本を読み手紙のやり取りをして、対談本を出しています。そのため最後の言葉も池田晶子さんに対する言葉でした。
53位:坂本登-強盗殺人犯

出典:onigiriまとめ
「貴君にどうぞよろしく伝えてくれるように」
坂本登は1951年に古谷惣吉と2件の強盗殺人を行った人物です。
当時の坂本の年齢は18歳で、刑が執行されたのは21歳。戦後の少年死刑囚の中で一番若いものでした。
死刑確定後、坂本は同級生の勧めでキリスト教に帰依。改心して上記の言葉を述べました。一連の事件の主犯は古谷でしたが、古谷は坂本の死刑執行後に逮捕され、坂本に罪を被せる形で10年の懲役刑で済んでいます。
古谷は後に8人の独居老人を殺害する事件を起こしており、坂本の死は新たな事件の引き金に過ぎませんでした。
52位:渡辺健一-強盗殺人犯

出典:new see
「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」
渡辺健一は1975年に寝屋川市で強盗殺人を起こし、死刑判決を受けた人物です。
渡辺はタクシーの運転手で、乗客が家の鍵を車内に忘れた事で犯行を決意。斧を持って住人の家を訪れます。住人は別の家族でしたが、その夫婦2人を殺害しました。
渡辺は1988年に刑が執行されますが、同日に別件の死刑が行われており、「当分自分の番は来ない」と考えていたとの事。にもかかわらず、自分も死刑執行の対象に選ばれた事に驚き、上記の言葉を述べたのです。
51位:ジェームズ・D・フレンチ-連続殺人犯

出典:HACHI8
「明日の新聞の見出しはこれでどう?フレンチフライ!」
ジェームズ・D・フレンチは、1958年にヒッチハイクして乗せてもらった車の運転手を殺害し終身刑を受けたアメリカの死刑囚です。しかし、死ぬまで刑務所で暮らすのが辛いと感じ、同じ刑務所の囚人を絞殺。
そして希望通り電気椅子での死刑が確定しました。そして電気椅子に座ったときに、新聞記者に最後の言葉を話したといわれています。
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最悪森永の面接落ちた
黙れクズ社会の恥がキモいから二度と呼ぶなクソが