死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

25位:ドクター・トマス・ニール・クリーム-連続殺人犯

トマス・ニール・クリーム
出典:Wikipedia

「わたしがジャック・ザ…」

ドクター・トマス・ニール・クリームは1881年から1892年にかけて、アメリカやイギリスで5人以上の人々を毒殺した人物です。彼は1892年6月に逮捕され、5ヶ月後には絞首刑となりました。

彼は死に際に「自らが切り裂きジャックと告白しかけた」という噂があり、死刑執行に立ち会った警察官吏達も否定していません。ただ切り裂きジャックが事件を起こした頃、彼は別件で収監中で犯行は不可能だった為、彼がジャックである事は否定されています。

24位:西口彰-連続殺人犯

西口彰
出典:昭和ガイド

「遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン」

西口彰は、1963年から1964年にかけて5人を殺害した罪で、1970年に死刑になった人物です。彼は殺人以外に詐欺が10件、窃盗が2件と犯罪の常習犯で、「戦後最悪の連続殺人」と称されました。

彼は恐喝罪や詐欺などで服役と出所を繰り返しており、根っからの悪人だったようです。彼の最期の言葉である「アーメン」は、キリスト教の祈祷に使われるもの。カトリックの家庭に生まれ、幼少期に洗礼を受けていた事が関係しているのでしょう。

23位:日高信子-放火殺人

日高安政と日高信子夫婦
出典:マトリョーシカ 凶悪事件のデータベース

「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(刑務官)の顔を見たい」

日高安政と信子夫婦は1984年に起きた保険金目的の放火事件の首謀者です。

2人は従業員に会社に火をつけるよう命じ、消防士を含む7人が死亡。火をつけた従業員が自首し、夫婦は逮捕されました。

夫婦は一審判決で死刑判決が下るものの、昭和天皇の崩御に伴う恩赦に期待し控訴しなかった為、死刑が確定します。しかし恩赦は行われず、2人は1997年に刑が執行されました。

刑執行時は抵抗した信子ですが、最期には観念して上記の言葉を遺しています。

22位:篠沢一男:放火殺人

篠沢一男
出典:WONDIA

「ゴルァ!おまえら、殺す気だろーーーーーー?!」

篠沢一男は、2000年に宇都宮にある宝石店に侵入し、1億4000万円相当の宝石を盗み、従業員に火をつけて宝石店を放火した人物です。

この事件で宝石店の店員6名が死亡しました。篠澤は翌日に逮捕され、2007年に死刑が確定します。

篠澤は職を転々としつつ、親の脛をかじり借金を重ねてきた男。死刑執行時も、刑務官に高圧的な態度を取り続け、全く反省する事はありませんでした。

21位:栗田源蔵:連続殺人犯

栗田源蔵
出典:cherish

「先生、生きたいんです。助けてください。」

栗田源蔵は、1948年から1951年にかけて7人を殺害して死刑になった人物です。

粟田は交際相手とのもつれや強姦目的で殺人を犯しますが、その中でも「おせんころがし事件」は日本事件史上もっとも恐ろしい事件の一つとされます。

後に粟田は逮捕され、1959年に死刑が執行されました。判決後の粟田は当初は暴力的だったものの、後に精神衰弱になっています。死刑執行時には命乞いをする等、救いようのない人物でした。

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