死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

20位:アイリーン・ウォーノス-女性連続殺人犯

アイリーン・ウォーノス
出典:Wikipedia

「私は岩を持って航海していると言いたいのですが、6月6日のイエスと共に独立記念日のように戻ってきます。映画や大きな母船などのように、私は戻ってきます」

アイリーン・ウォーノスは、アメリカの死刑囚で1989~1990年にかけて7人の男性を殺害。売春婦として生計を立てており正当防衛を主張したものの、共犯者などが証言をし後に罪を認めています。

死刑前のインタビューで「世の中ふざけている!警察、社会、システム。レイプされた私が処刑され、本や映画で金儲けに使われた。このクソが!」と語っています。そして2002年に薬物刑を執行。火葬され遺骨は故郷の木の下にまかれました。

19位:小平義雄-連続強姦殺人犯

小平義雄
出典:気になった事件

「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」

小平義雄は、1945~1946年にかけて東京周辺で起こった連続強姦殺人事件の犯人です。終戦後の食糧難の時代を利用し女性に食べ物などで巧みに近づき、分かっているだけで8名の女性を殺害しています。

そんな小平の最後は上記の言葉とは別に、被害者への謝罪の短歌を残しています。

18位:大久保清-連続強姦殺人犯

大久保清
出典:MATOMEDIA

「…クック…」

大久保清は、1971年に群馬県で8名の女性を強姦・殺害した犯人です。41日間という短い間に行われた犯行ですが、それ以前にもわいせつ罪で捕まったりと問題行動が多い人物だったといいます。

そんな大久保の最後は、死刑執行時に係官が迎えに来た時に、腰を抜かし失禁し引きずられながら死刑台に向かったそうです。「何か言い残すことはないか?」という問いにも何も答えられませんでした。

17位:宅間守-小学生連続殺人犯

宅間守
出典:すそ洗い

「ありがとうと僕が言っていた、と伝えてください」

宅間守は、2001年に大阪の小学校に乱入し生徒8名が死亡、重傷者教師を含め15名を出す悲惨な事件を起こしました。宅間は現行犯で取り押さえられたといいますが、最後の一人を刺し終えた後自ら包丁を落とし「あーしんど!」と呟き逮捕されたといいます。

そんな宅間守の最後の言葉は、獄中結婚した妻に対する言葉だったといいます。遺族への謝罪は最後までありませんでした。

16位:勝田清孝-連続強盗殺人犯

勝田清孝
出典:地球ジャック

「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(教誨師)の顔を見たい…ごめんなさい」

勝田清孝は、1972年から1983年にかけて8人を殺害した罪で死刑になった人物です。

彼は昼間は真面目な消防隊員、夜は強盗殺人犯という二つの顔を持ち、金遣いの荒さから一連の犯行に及んでいました。1994年に死刑判決が確定し、2000年に刑は執行されています。

獄中で勝田は、重度の腰痛に悩まされており、ほとんど寝たきりの状態でした。最後には反省し、般若心経を唱え、被害者1人1人の名前を呟いて謝罪の言葉を述べています。彼の遺体は義姉が引き取り、キリスト教による通夜が行われました。

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