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黒澤明の生涯・作品まとめ【息子や孫、名言も簡単に紹介】

黒澤明は、1940年代から90年代にわたり数々の名作を生み出した映画監督です。世界でも日本を代表する映画監督として知られ、「世界のクロサワ」と称されていますね。登場人物の内面を掘り下げた脚本や迫力ある映像技術の発明は、映画史に多大なる影響を与えました。

1953年頃の黒澤明
出典:Wikipedia

そんな黒澤明ですが、読者の中には「監督をやっていたことくらいしか知らない…」なんて方もいますよね。話題になった映画を見たことはあっても、黒澤明の性格や手掛けた作品の数々を詳しく知らない方は多いはず。

そこで今回は、黒澤明の生涯を代表作品や名言、子孫の存在も交えて紹介します。黒澤明の映画に対する熱意に魅了された著者と共に、黒澤明の知られざる一面に迫っていきましょう。

黒澤明とは?生涯をダイジェスト

名前黒澤明
誕生日1910年3月23日
没日1998年9月6日
生地東京府荏原郡大井町
(現在の品川区)
没地東京都世田谷区成城
配偶者矢口陽子
埋葬場所安養院(鎌倉市)
80歳の頃の黒澤明
出典:福岡アジア文化賞
  • 1910年 0歳 黒澤明誕生
  • 1927年 17歳 川端画学校に進学
  • 1934年 24歳 長兄達が死没し、黒澤家の跡取りとなる
  • 1936年 26歳 P.C.L.映画製作所(翌年に東宝に合併)に入社
  • 1943年 33歳 初の監督作品・姿三四郎が放映
  • 1944年 34歳 矢口陽子と結婚
  • 1950年 40歳 羅生門を監督し、世界的に評価を受ける
  • 1959年 59歳 黒澤プロダクションを設立
  • 1971年 61歳 自殺未遂を図る
  • 1983年 71歳 黒澤フィルム・スタジオを開設
  • 1998年 88歳 死去

黒澤明の経歴や性格、家族構成

日本が誇る映画監督

黒澤は死後に国民栄誉賞を贈られた
出典:エルペディア 黒澤明と国民栄誉賞

黒澤は戦後の日本映画を代表する映画監督です。生涯に監督した作品は30本で、どれもが高く評価されています。黒澤は映画の中にヒューマニズム(善や心理の根拠は、神ではなく人間の中にある)という考えを取り入れ、人間の本質を追求しました。

彼の作品は世界的に評価されています。アカデミー賞の他にも、カンヌ、ベネチア、ベルリンの国際映画祭の全てで賞を受賞。1996年にエンターテインメント・ウィークリー誌が発表した「50人の偉大な映画監督」というランキングでは6位になっています。

黒澤が没した1ヶ月後の1998年10月1日には映画監督としては初となる「国民栄誉賞」を受賞。2007年にTotal Film誌が発表した「100人の偉大な映画監督」で11位にランクインしています。没後もその尊敬は止む事はありませんでした。

彼が映画で表現した技法やヒューマニズムは、後世の映画監督にも多大なる影響を与えました。私達が大好きな映画にも黒澤の影響は確実に反映されていると言えるのです。

一切の妥協を許さない!撮影にまつわる強烈なエピソード

フランスのカンヌにある黒澤の手形
出典:Wikipedia

黒澤は映画の完成度を極限まで高める為、一切の妥協を許しませんでした。役作りの為に撮影期間より長いリハーサルを組み、家族を演じる俳優同士を一緒に住まわせる等、とにかく「俳優がその役になりきる事」を重視したのです。

黒澤の撮影に対する熱意は物凄く、強烈なエピソードが数多く残されています。

  • 撮影の邪魔になった線路沿いの家を壊し、撮影後に元に戻す
  • カメラの前を人が横切る場面の撮影に1日を費やす
  • 本物の弓矢を主演の三船敏郎に射る
  • 嵐の場面を撮影する為、台風の中で撮影を行う

これ程までにこだわり抜いた撮影ですが、黒澤は「撮影は素材集めに過ぎない。最終的な生命を与えるのは編集である」と述べています。編集は他人に任せずに自分で行い、映画音楽にも強いこだわりを見せました。

完璧主義者の黒澤ですが、私生活では寂しがり屋の話し好きでした。映画は黒澤だけではなく、俳優や裏方などの多くの人達の連携があって成り立ちます。黒澤の「こだわり」は皆を信頼していたからこそ、達成できたものと言えるでしょう。

黒澤明の家族構成は?息子や娘、孫の近況

黒澤の妻・矢口陽子
出典:Wikipedia

黒澤は、1944年に女優の矢口陽子(本名は喜代)と結婚。1945年3月に明治神宮で結婚式を挙げました。陽子は黒澤の2本目の作品「一番美しく」で主演を務めた女優でした。結婚の経緯は諸説ありますが、黒澤が積極的に陽子にアプローチをしたとされます。

陽子は結婚を経て女優を引退し、料理や宴会の準備、スタッフの弁当作りも手がけます。黒澤が唯一頭が上がらなかった人と言われ、映画関係者からは「ゴッド・マザー」と呼ばれました。

黒澤の長男・黒澤久雄
出典:こいもうさぎのブログ

黒澤夫婦は1男1女に恵まれました。長男の久雄は1966年にフォークバンドであるブロード・サイド・フォーを結成し「若者たち」という曲で大ヒットを飛ばしました。その後はDJやタレント、映画プロデューサーとして活躍しています。

久雄は1980年にタレントの林寛子と結婚しますが、2003年に離婚。長女の優は女優として活躍した後、SOPHIAのボーカル・松岡充と結婚。育児に専念する為、女優を引退しました。久雄の次女・萌は歌手として活躍しています。

黒澤の長女・和子
出典:講演依頼.com

黒澤明の長女・和子は衣装デザイナーとして活躍。近年では「万引き家族」の衣裳デザインで芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。長男は加藤隆之は俳優、次男の加藤秀之は画家として活躍しています。

黒澤の子どもや孫は様々な分野で活躍しているのです。

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黒澤明の作品

主な代表作品

黒澤が生涯に手がけた作品は30本。時代劇のイメージが強いかもしれませんが、現代劇も多く手がけています。その中で代表的な作品を解説しましょう。

「羅生門」

1950年の作品で、原作は芥川龍之介の「羅生門」と「藪の中」です。平安時代を舞台に、人間のエゴイズムを暴き出した作品です。

ラストシーンには原作には存在しない「ヒューマニズム」が描かれており、黒澤の手法はこの時点から存在していた事が分かります。この作品で黒澤は第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞しました。

「生きる」

1952年の作品で、黒澤作品の中でヒューマニズムが頂点に達した作品と評されています。胃癌で余命が幾ばくもない主人公が「生きる意味」を探すストーリーです。

「アメリカで最も信頼できる映画批評家の1人」とされるロジャー・イーバートは「生きる」を最高の映画のリストに加えています。

「七人の侍」

1954年の作品で、世界で最も有名な日本映画の一つです。戦国時代を舞台に百姓に雇われた七人の侍が、野良武士の襲撃から村を守るストーリーとなっています。1960年には「荒野の七人」というタイトルで、アメリカでリメイクもされました。

現在でも人気は高く、2018年にBBCが発表した「史上最高の外国語映画ベスト100」で1位にランクインしています。

「乱」

1985年の作品で、日本とフランスの共同制作が行われました。架空の戦国武将・一文字秀虎のお家騒動を描いており、当時では異例といえる26億円の予算と9年の構想を経て誕生しました。

作品は毛利元就の「三子教訓状」とシェイクスピアの「リア王」を元にしています。アカデミー賞をはじめ、数々の賞を総なめにし、黒澤の後年の代表作に数えられています。

「夢」

1990年の作品で、日米合作映画です。「老境に達した黒澤が見た夢」をテーマにした作品であり、8話からなるオムニバス形式をとっています。

本作は批評家選出の日本映画ベスト・テンで4位、フランスの映画雑誌・カイエ・デュ・シネマの年間トップ10にランクインしました。全盛期は過ぎたものの、未だに黒澤の人気と実力は衰えていなかったのです。

その他の作品一覧

これらの作品はごく一部です。その他には

  • 姿三四郎(1943年)
  • 隠し砦の三悪人(1958年)
  • 赤ひげ(1965年)
  • まあだだよ(1993年)

などの作品があります。

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