黒澤明の家族構成は?息子や娘、孫の近況
黒澤は、1944年に女優の矢口陽子(本名は喜代)と結婚。1945年3月に明治神宮で結婚式を挙げました。陽子は黒澤の2本目の作品「一番美しく」で主演を務めた女優でした。結婚の経緯は諸説ありますが、黒澤が積極的に陽子にアプローチをしたとされます。
陽子は結婚を経て女優を引退し、料理や宴会の準備、スタッフの弁当作りも手がけます。黒澤が唯一頭が上がらなかった人と言われ、映画関係者からは「ゴッド・マザー」と呼ばれました。
黒澤夫婦は1男1女に恵まれました。長男の久雄は1966年にフォークバンドであるブロード・サイド・フォーを結成し「若者たち」という曲で大ヒットを飛ばしました。その後はDJやタレント、映画プロデューサーとして活躍しています。
久雄は1980年にタレントの林寛子と結婚しますが、2003年に離婚。長女の優は女優として活躍した後、SOPHIAのボーカル・松岡充と結婚。育児に専念する為、女優を引退しました。久雄の次女・萌は歌手として活躍しています。
黒澤明の長女・和子は衣装デザイナーとして活躍。近年では「万引き家族」の衣裳デザインで芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。長男は加藤隆之は俳優、次男の加藤秀之は画家として活躍しています。
黒澤の子どもや孫は様々な分野で活躍しているのです。
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黒澤明の作品
主な代表作品
黒澤が生涯に手がけた作品は30本。時代劇のイメージが強いかもしれませんが、現代劇も多く手がけています。その中で代表的な作品を解説しましょう。
「羅生門」
1950年の作品で、原作は芥川龍之介の「羅生門」と「藪の中」です。平安時代を舞台に、人間のエゴイズムを暴き出した作品です。
ラストシーンには原作には存在しない「ヒューマニズム」が描かれており、黒澤の手法はこの時点から存在していた事が分かります。この作品で黒澤は第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞しました。
「生きる」
1952年の作品で、黒澤作品の中でヒューマニズムが頂点に達した作品と評されています。胃癌で余命が幾ばくもない主人公が「生きる意味」を探すストーリーです。
「アメリカで最も信頼できる映画批評家の1人」とされるロジャー・イーバートは「生きる」を最高の映画のリストに加えています。
「七人の侍」
1954年の作品で、世界で最も有名な日本映画の一つです。戦国時代を舞台に百姓に雇われた七人の侍が、野良武士の襲撃から村を守るストーリーとなっています。1960年には「荒野の七人」というタイトルで、アメリカでリメイクもされました。
現在でも人気は高く、2018年にBBCが発表した「史上最高の外国語映画ベスト100」で1位にランクインしています。
「乱」
1985年の作品で、日本とフランスの共同制作が行われました。架空の戦国武将・一文字秀虎のお家騒動を描いており、当時では異例といえる26億円の予算と9年の構想を経て誕生しました。
作品は毛利元就の「三子教訓状」とシェイクスピアの「リア王」を元にしています。アカデミー賞をはじめ、数々の賞を総なめにし、黒澤の後年の代表作に数えられています。
「夢」
1990年の作品で、日米合作映画です。「老境に達した黒澤が見た夢」をテーマにした作品であり、8話からなるオムニバス形式をとっています。
本作は批評家選出の日本映画ベスト・テンで4位、フランスの映画雑誌・カイエ・デュ・シネマの年間トップ10にランクインしました。全盛期は過ぎたものの、未だに黒澤の人気と実力は衰えていなかったのです。
その他の作品一覧
これらの作品はごく一部です。その他には
- 姿三四郎(1943年)
- 隠し砦の三悪人(1958年)
- 赤ひげ(1965年)
- まあだだよ(1993年)
などの作品があります。