日航機墜落事故の生存者が殺された5つの理由!背景や証拠も紹介

1985年8月12日、群馬県多野郡上野村の山中に日本航空123便が墜落する痛ましい事故が起きました。520人の乗客・乗員が亡くなったこの事故は「日航機墜落事故」と呼ばれ、現在でも追悼が行われています。

そんな痛ましい日航機墜落事故ですが、奇跡的に4人の生存者が確認されています。ただ一方で「救出前に生存者は殺された」という噂もあります。

この記事では、日航機墜落事故の生存者が殺されたといわれる根拠を、事故にまつわる噂も交えて紹介します。事件後の生存者の様子も紹介するので、ぜひ参考にしてください。

この記事を書いた人

Webライター

吉本 大輝

Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。

日航機墜落事故の生存者は殺されたのか?

日航機墜落事故の現場
出典:時事ドットコム

結論、日航機墜落事故の生存者が殺されたのかどうかは定かではありません。冒頭で述べたとおり、日航機墜落事故では乗客乗員520人が亡くなり、生存者はわずか4人だったと公式の記録に残されているからです。

日航機墜落事故の原因は、機体後部の圧力隔壁が破損され、機体のコントロールが不可能になった為だとされています。しかし、この事故を調べれば調べるほど、おかしな点が見えてきます。

この事故は単なる事故ではなく、「大きな闇」が隠されているのかもしれません。事故発生時、現場には他にも生存者がいたものの、真実を闇に葬るために生存者達が殺された可能性もあります。

ただ、この記事は断定ではなく、あくまで可能性の言及です。日航機墜落事故が痛ましい事故だったのか、大きな闇が隠された事件だったのか、それを考えるきっかけになれば幸いです。

日航機墜落事故の生存者は殺されたといわれる5つの根拠

ここからは、日航機墜落事故の生存者が殺されたといわれる根拠を5つにまとめて紹介します。

  • すぐに遭難者の救助がされなかった
  • 二度焼きされた遺体があった
  • 現場にガソリンの匂いが残っていた
  • 生存者は7人もしくは8人という報道
  • 消えた男の子の写真

根拠①:すぐに救助をしなかった

事故機のJA8119
出典:Wikipedia

日本航空123便が群馬県の高天原山に墜落したのは1985年8月12日18時56分です。しかし、現場に捜索隊が到着したのは翌朝9時でした。これは墜落場所が交通網から離れた山間部であり、複数の位置情報が錯綜していた事が原因とされます。

また事件から10年後、米国の元空軍中尉が「自衛隊が米軍の支援を断った」と手記を残しており、後に話題となりました。米軍以外にも、地元の消防団や陸上自衛隊も別命があるまでは、すぐに現場に入る事は止められています。

その理由として、123便には機体に振動を防ぐバラストとしてウランが含まれており、現場周辺は放射線物質が飛散していた為とされています。ただ複数の情報が錯綜した理由も、本当に放射性物質が飛散していたのかは不明です。

陰謀論ではあるものの、一説では自衛隊が誤った情報を流し、現場に救助隊が現場に到着するのを遅らせたとされます。生存者の証言では、事故当初は声を発する人もいたとされ、初動救助の遅れで救えなかった命がある事は間違いありません。

証拠②:二度焼きされた遺体

「日航機墜落事故遭難者遺体安置の場所」の碑
出典:Wikipedia

事故現場には多くの遺体が存在し、医師達による検視や身元確認作業が進められました。その中で群馬県医師会は、「通常の焼死体をもう一度焼損したようにみえた」と見解を述べています。また歯の裏に「すす」がついていた遺体や、炭化したものもありました。

これらの検死から、これらの遺体は「生存者の口を封じる為、火炎放射器で焼かれたもの」と主張する人もいます。

ただ123便の機体前部は尾身に激しく激突し、想像もできないほどの衝撃を受けています。前部の乗客の遺体の多くに手足が存在せず、現場では大規模な火災も起きていました。火災が数回にわたり続いたとしても不思議ではありません。

また火炎放射器は威力が強すぎて、遺体を炭化させるのは難しいとの事。現場全ての遺体や証拠を隠滅するには、燃料が足りないという問題も浮上します。それでも火炎放射器を使用しなければならない理由があったのかもしれませんが。

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