日航機墜落事故の生存者が殺された5つの理由!背景や証拠も紹介

証拠③:現場に残ったガソリンの匂い

航空自衛隊救難隊KV-107
出典:Wikipedia

前述した通り、事故現場に捜索隊が到着したのは事故発生から14時間後の事。地元の消防団員も救助にあたっていますが、現場では「ガソリンとタールが混ざったような匂い」がしたそうです。

先程の証拠②で火炎放射器について述べましたが、自衛隊が使用する火炎放射器の燃料は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料です。また、ガソリンは一般的な航空事故では生じません。

その為、現場の匂いは、「証拠隠滅や遺体を二度焼きした時の痕跡」と主張する人もいます。そうまでして証拠隠滅を図ったのは、不都合な事実をもみ消す為だとされています。

ただ、ガソリンの匂いの証言は匿名のものです。実際には、「いろんな匂いが混ざった感じ」「ひどい匂い」などの抽象的なものが多いです。木やタイヤが燃えればタールの匂いはしますし、ジェット燃料や各材料の匂いをガソリンと勘違いした可能性はあります。

証拠④:生存者は7人もしくは8人だった

当時は情報が錯綜していた
出典:123便の犠牲者に祈りを捧げる。。。

前述した通り、日航機墜落事故の生存者は4人です。しかし事故翌日の8月13日、日経新聞は夕刊で「生存者7人発見」という見出しを掲載しました。更に朝日新聞は夕刊で「生存者8人」の見出しを掲載。この報道から、より多くの生存者がいると皆が期待しました。

ただ、この「生存者のズレ」はフジテレビの記者が生存者をダブルカウントした事による間違いとされています。当時はさまざまな情報が錯綜していた為、間違いが起きても不思議ではありません。

ただ事故現場にいた記者達は、無線で以下の内容を報告しています。

「今、さらに3人の生存者救出。二人は担架に乗せられているが、一人は担架が必要でないほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている」

「現場は惨憺たる状況です。まもなく担架に乗せられた7、8歳の少年が運ばれてきます」

事件の真相考その7、生存者情報二転三転考

また8月13日午前中には、7〜8歳くらいの男の子が事故現場を走り回っているところを発見されています。この事は無線で傍受され、男の子発見のニュースが放送されました。更に20代と見られる成人男性が救出される様子を、朝日新聞の記者も目撃しています。

ただ実際の生存者はいずれも女性で、皆が重症でした。走り回れる程に元気な男の子が後に亡くなるとも思えず、実際に救出現場を目撃している以上、生存者をダブルカウントするとも思えません。

男の子や20代の成人男性のその後はわかりません。彼らはその後、どうなったのでしょうか。

証拠⑤:消えた男の子

男の子のその後は誰も知らない
出典:123事件の謎『消えた男の子』

先程の生存者の証言とは別に、男の子が救出された写真も残っています。男の子は美谷島健くん(当時9歳)と推測され、他の生存者と同じく機体後部から発見されました。

男の子の写真を見ると、靴の脱げた左足首に包帯が巻かれています。亡くなっていれば治療をする必要はありません。また男の子の写真は2枚あります。1枚目で何かを掴んでいるが、2枚目ではそれを離しており、左手に自衛隊員が視線を向けています。

男の子の2枚目の写真(何かを手放した事がわかる)
出典:123事件の謎『消えた男の子』

つまり男の子は救助された時点で生きていたのです。しかしその後の報道はなく、男の子の生死は不明。生存者は4名とされている以上、亡くなったという事になります。この写真では生きているように見える為、不思議な話です。

この写真の真実を知る為には、男の子を救助した自衛隊員に話を聞く必要があります。ただ救助に従事した自衛隊員の多くは自殺しており、この自衛隊員もその1人です。この写真は「消えた男の子のタブー」とされ、多くの謎を残しました。

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6 COMMENTS

匿名

沈まぬ太陽の主人公にモデルがいることは、公開された事実なのに真相不明とは。山崎豊子氏というメジャーな作家の作品なのに、著者名さえ提示されていない。

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匿名

火炎放射器としたらどこから持って来たのでしょう。装備したのはどこの駐屯地でしょう。

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匿名

内容も杜撰で何が言いたいのか見えてこないですね
おそらくは日航機事故に関心があるのではなく
記事を作るネタとして日航機事故を選んだだけかなと

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