9位:パリ人肉事件-1981年
パリ人肉事件は、日本時間1981年6月11日にパリで発生した猟奇殺人事件。留学生の佐川一政32歳は、同じく留学していた25歳のオランダ人女性を自宅に呼びカービン銃で殺害。死姦後に遺体の一部を生のまま食べています。
さらに佐川一政は遺体を写真で撮影後、遺体の一部をフライパンで食べています。残った遺体を処理しようとしていたところを目撃され、間もなく逮捕されました。佐川一政は心神喪失で無罪となり、帰国後に東京の精神病院に入院します。
彼が不起訴になったのは、フランス警察が1歳の時に患った腸炎を脳炎と勘違いしたという説が濃厚です。遺体を食べたのは、精神病ではなく人格障害の影響が大きく、実際は刑事責任を問われるべき案件でした。
佐川一政は小説家や講演などで多忙な日々を送るものの、2001年には仕事もなく闇金にも手を出します。2013年には脳梗塞で倒れ、2022年11月24日に肺炎を患い73歳で亡くなりました。
佐川一政はどんな人?なぜパリ人肉事件を起こした?【彼の生い立ちや性格についても紹介】
8位:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件-1988年
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、1988年から翌年にかけて起きた猟奇殺人事件。犯人の宮崎勤は、埼玉や東京で4人の幼女を誘拐して殺害します。彼は被害者の家族の家に、殺害して焼いた人骨片と歯を入れた段ボールを置くなどの猟奇的な犯行を繰り返しました。
4件目の犯行では殺害した遺体をビデオで撮影し、ノコギリで頭部と両手首と足首を切断。遺体を宮沢湖霊園に放置しました。1989年7月23日に幼女にわいせつな行為をして逮捕され犯行を自供し、事件から17年を経た2006年に死刑が確定しました。
宮崎勤の部屋には、6000本以上のビデオが見つかり、オタクが世間からバッシングされる要因となります。彼は小児性愛者ゆえに犯行を行ったと考える人もいますが、大人の女性に相手にされない欲求を満たしていただけという説も濃厚です。
宮崎勤は2008年6月27日、死刑確定からわずか2年で刑が執行されます。最期の言葉は「あのビデオ、まだ途中だったのにな」というものが有名ですが、デマの可能性も高いです。
事件は怖い