/
Q1/Q30

司馬遼太郎の本名は次のうちどれ?
司馬遼太郎の本名は福田定一で、1923年8月7日に薬局を経営していた福田是定と直枝の間に出生しました。福田定一名義でもいくつか作品を発表しています。
Q2/Q30

ペンネームである「司馬遼太郎」の元になった下記の人物は次のうち誰でしょう?
愛読書「史記」の原作者である司馬遷にちなみ「司馬遷に遼かに及ばない日本人」という由来で、「司馬遼太郎」というペンネームを付けました。
Q3/Q30
司馬遼太郎が新聞記者として就職した新聞社はどこでしょう?
当初は新世界新聞に入社し、その後、新日本新聞、そして産経新聞の記者へと転職しました。産経新聞時代には、歌人の川田順失踪事件を取材し、「老いらくの恋」という見出しを付けたことで、この見出しが流行語となりました。
Q4/Q30
1959年に同じ産経新聞社の記者であった松島みどりさんと再婚し、大阪市西区のアパートへと移り住みました。さて、この同じアパートに住んでいた野球選手は次のうち誰でしょう?
当時、南海ホークスに所属していた野村克也さんが同じアパートに住んでいたそうです。ちなみに、1959年は南海ホークスがパリーグを制覇しております。
Q5/Q30
1958年から連載され、1960年に第42回直木賞を受賞した長編小説は次のうちどれでしょう?
秀吉暗殺の依頼を受けた伊賀忍者・葛籠重蔵と伊賀の里を捨て武士として生きることを選んだ風間五平の2人の生涯を描いた物語。後年の時代小説に比べ、フィクション色が強いのが特徴的な作品です。
Q6/Q30

1960年から61年にかけて連載された「戦雲の夢」の主人公であり、関ケ原の戦いにも参加した戦国武将は次のうち誰でしょう?
1960年から61年にかけて雑誌「講談倶楽部」にて連載された長編小説。長曾我部盛親は四国の武将であり、両国の一揆が原因で所領を没収されてしまうという、悲運の武将として描かれています。
Q7/Q30

「戦雲の夢」の主人公である長曾我部盛親の父親である、下記の四国の大名は次のうち誰でしょう。
「姫若子」と呼ばれ、後継ぎとして不安視されるも、土佐国を統一し、他の国へと侵攻し四国の覇権を収めた長曾我部元親。司馬は、この元親を主人公にした「夏草の賦」という作品も書いております。
Q8/Q30

1961年から62年にかけて連載された「風神の門」。さて、この作品の主人公である真田十勇士の武将は次のうち誰?
雑誌「東京タイムズ」で連載されていた長編小説。霧隠才蔵と猿飛佐助以外の十勇士が登場しない作品で、他の忍者小説よりもフィクション要素が少ない作品となっています。
Q9/Q30

1962年から66年まで連載され、下記の人物の知名度を全国的に広めたとされる司馬遼太郎の代表作と言えば次のうちどれでしょう?
産経新聞の夕刊にて4年間連載された長編時代小説。産経新聞時代の高知出身の後輩から「竜馬を書いてくれ」と依頼されたことがきっかけになり、坂本龍馬の名を全国的に広げる作品となりました。
Check Answers
Your Result:
Review Answers
Sorry, no results found.
Please repeat the quiz and try different answer combinations.いかがでしたか?
このクイズを回答した人によく読まれている記事はこちら↓
Recommended for you:

