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Q11/Q30
松尾芭蕉が俳諧の純粋性を追い求める中で画像の思想家が辿り着いた中国の思想は次のうちどれでしょう?
老荘思想とは、中国の思想家で道家の大家である老子・荘子が辿り着いた思想で、「道」を理想とし、天、つまり自然界のあるがままを感じ取ることで、心に安らぎを得ようとする、といった思想です。この思想は江戸時代に儒教・朱子学といった学問として、庶民にも広く学ばれました。
Q13/Q30
1684年、門人の苗村千里を伴い、伊賀へ帰郷し、その後江戸の深川芭蕉庵へ帰ってきた8か月間にわたる初の紀行文は次のうちどれでしょう?
「野ざらし紀行」は1684年8月頃から、東海道を上り、伊勢へと向かい、故郷である伊賀上野などに滞在し、翌年の4月に江戸へ戻ったおよそ8か月にもわたる旅の内容を紀行文として出版した作品です。
Q14/Q30
次の作品は「野ざらし紀行」内にて読まれた句です。この句は下記の場所で詠まれた俳句ですが、現在の何県でしょうか?「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」
こちらは現在の静岡県掛川市で読まれた歌で、東海道五十三次などでも描かれた「小夜の中山宿」にて詠まれた作品です。現代語訳は「夜が明けきらぬうちに宿を出て、馬上でうとうとしながら夢見心地でいたら、ふと目が覚めた。気づくと、遠くの山際には月がかかり、ふもとの里には家々から茶を煮る煙が立ちのぼっていることだ。」という意味で、芭蕉が崇拝する杜牧の漢詩を踏まえたものとなっています。
Q15/Q30
この「野ざらし紀行」は、後に発行された「芭蕉七部集」の中に含まれる。○か×か?
「芭蕉七部集」とは、「冬の日」「 春の日」「阿羅野」「ひさご」「猿蓑」「炭俵」「續猿蓑」の七作品を示した言葉で、「野ざらし紀行」は、七部集の中には含まれません。
Q16/Q30
1686年にの春に、芭蕉庵で行われた蛙の発句会で詠まれた有名な俳句とは次のうちどれでしょう?
こちらの俳句は、春の季語である蛙を使用した作品で、松尾芭蕉を代表する作品となっています。現代語訳は「春の静けさの中、時折古池にかえるが飛び込む音が聞こえる。その音がいっときの余韻を残し、再びもとの静寂さを取り戻す。」という意味の俳句です。芭蕉は、池に飛び込む蛙の音を聞き、そこから「古池」を連想したと言われております。
Q17/Q30
1684年頃から芭蕉を慕う門人たちによって、芭蕉のような自然のままの姿を謳った俳句の作風の事を何というでしょう?
蕉風俳諧とは、松尾芭蕉を慕う門人たちなどの間に広がった俳句の作風の事を表した言葉です。主に、芭蕉のあるがままの自然を描いた作風を倣ったもので、後に「芭蕉十哲」といった、芭蕉の弟子たちに受け継がれました。また、その影響は、芭蕉没後にも与謝蕪村や久村暁台といった俳人たちによって蕉風復興運動などが展開されるなど、俳諧の作風に大きな変化をもたらしました。
Q18/Q30
1687年に、弟子の河合曾良などともに、旧知の住職と共に月見をする約束を果たすために向かった時に謳った俳句をまとめた紀行文は次のうちどれでしょう?
「鹿島詣」は、根本寺の前住職であった仏頂禅師に誘われ、名月を見るために鹿島神宮・潮来方面へと旅に出た紀行文をまとめた作品です。結局、雨のため名月は見れなかったのですが、「月はやし梢は雨を持ちながら」といった、月にまつわる俳句が多い作品となっています。
Q19/Q30
1687年に出版された「笈の小文」は、どこへ向かった時の紀行文でしょうか?
「笈の小文」は1687年10月から1688年4月までの旅を紀行文に纏めた作品で、伊勢神宮への参拝などを目的に描かれた作品です。この道中、熱田神宮や伊勢神宮などを周り、その後、伊賀上野に帰郷し、最終的には京都に入りました。
Q20/Q30
様々な紀行文を残したことから、芭蕉は○○ではないかという説があります。○○とは次のうちどれでしょう?
45歳の時に「おくのほそ道」にて600里歩いたその速さや、元々、服部半蔵の従姉妹であった藤堂采女の一族であった藤堂家に仕えていたこと、そして、伊賀上野出身であることなどから、芭蕉は忍者だったのではないかという説が誕生しました。しかし、それを裏付ける証拠がないため、真相は不明となっています。
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