石原莞爾の名言
自分の考えは、軍備と国力を充実させればそれが維新になるというものだ
二・二六事件において、首謀者の陸軍将校に「維新とは何か?」と聞かれた時に答えた言葉です。石原は満州国を発展させる事で、日本の発展を図ろうとした事が分かります。
日本の軍備撤廃は惜しくはない、次の時代は思いがけない軍備原子力武器が支配する
終戦間もない頃に石原が言った言葉です。その後、日本はアメリカの占領下におかれ、軍は廃止される事になります。石原は日本がアメリカの政策で、軍備が廃止される事を見越していました。
ここで述べられた原子力武器とは核兵器の事を指しています。石原は戦後の世界のあり方も予想していたのです。
石原莞爾にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「陸軍大学校を次席で卒業!天才的な頭脳の持ち主だった」
石原は天才的な頭脳の持ち主で、子どもの頃からさまざまなエピソードが残されています。
- 高等小学校を1年飛び級し、2年生から入学
- 仙台幼年学校を51人中トップの成績で卒業
- 陸軍士官学校を418名中13位の成績で卒業
- 陸軍大学校を60人中2位で卒業
ちなみに幼年学校は小さい頃から陸軍の幹部を養成する学校で、陸軍大学校は実際に幹部を養成する学校のです。とにかく石原は陸軍きっての秀才でした。ところが決して「真面目な生徒」ではなかったのです。
幼年学校では当時写生の授業がありました。その時に石原は「我ガ宝ヲ写生ス」と記して自分の男根をスケッチして提出。あまりにも失礼という事で退学も検討されました。しかし石原は才能に免じて退学を免れています。
陸軍大学校を優秀な政権で卒業すれば、陸軍大臣や教育総監も夢ではありません。石原は本当は首席だったとされます。ただ石原は冬でも薄汚れた夏服を着ていて、みすぼらしい為に2位にされたそうです。
幼少期から強烈なエピソードを持っている。それ石原莞爾という人物なのです。
都市伝説・武勇伝2「満州事変の原点は日蓮宗?日蓮が予言した終末戦争」
なぜ石原はアメリカとの最終戦争を予想したのでしょう。その鍵は日蓮の予言にあります。石原は「日本を守るため、部下にどのようにして日本の国のあり方を叩き込むか」という事を考えていました。
そんな時、石原は「日蓮の教えを社会全体に浸透させる事」を掲げる国柱会に入信。1920年の事で、石原は熱心な日蓮宗の信者になりました。ある日国柱会は日蓮の遺文「撰時抄」にまつわる講話を行い、以下の事を伝えたのです。
「日本を中心に未曾有の大戦争が起こる。その時に日蓮が賢王としてこの世に現れる。その徳により世界は救われ、世界は日蓮宗による絶対平和が訪れる」
石原はこの予言に強い不安感を抱きました。石原がアメリカとの最終戦争を予言したのは、日蓮の予言が元になっています。石原はアメリカとの最終戦争に勝利し、日蓮宗による絶対平和の世界を作ろうとしたのです。
石原は満州事変を起こした経緯から、戦犯と言われがちです。しかし実際は宗教による絶対平和を信じる理想家だったのです。ちなみに予言については国柱会が述べたもので、実際に日蓮が述べたかは議論が分かれています。
なお、日蓮や日蓮宗について詳しく知りたい人は、こちらを参照ください。
日蓮とはどんな人?生涯・年表まとめ【日蓮宗の歴史、性格や名言、波乱万丈の人生を紹介】
日蓮・日蓮宗をよく知れるおすすめ本6選【漫画や伝記、小説まで】
都市伝説・武勇伝3「東京裁判では名前を間違われて罪を免れた?死因は膀胱癌だった」
戦後にはアメリカなどの連合国が東京裁判を行います。これは戦争に関与した日本の軍人や政治家を、連合国側が裁判をしたものです。石原は満州事変を起こしたにもかかわらず、罪を免れています。
一説では東條英機と対立していた事で、罪を免れたとされています。しかし実際は連合国が「戦犯指定された石原広一郎と石原莞爾を勘違いしていた」事が要因でした。石原は名前に救われたのです。
連合国側は慌てて石原を起訴しようとします。しかし石原はこの時、入院中で病床の身でした。結果的に石原は戦犯リストから外れます。
結果的に石原は証人として東京裁判に出廷。戦争の責任をどこまで遡るか問われた時に、このように答えました。
それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ
石原は連合国にも動じる事はなかったのです。東京裁判で東條英機などが絞首刑になる中で、石原は生き延びます。やがて石原は1949年8月15日に膀胱癌や肺水腫、肺炎で亡くなりました(享年60歳)。