義経に子孫はいるのか
義経の子孫は「いない」とするのが現代における通説です。
義経の子は記録によれば男児一人と女児二人とされています。少なくとも義経が自害する直前に、妻とともに四歳の女児を殺害したとされており、最低でも一人はその時に死亡。しかし残りの二人は歴史の舞台には名を表しておらず、その足跡は分からずじまいとなっています。
俗説では、義経の遺児である男児が、下野国の御家人である中村朝貞であるという伝承がありますが、これの真偽は一切不明です。
俗説や創作されたエピソードの多い義経の生涯は、その最期も大きな謎に満ちています。とりわけ彼の遺児である二人の子がどうなったのか。それはもしかすると日本史の常識を揺るがす発見にも繋がっているのかもしれません。
源義経の関連人物
源頼朝
義経の兄であり、その力を借りて日本初の公的な武家政権である鎌倉幕府を作り上げた人物です。
義経の生涯を語る上では欠かすことのできない人物であり、義経の末路にも深くかかわった人物だと言えるでしょう。
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武蔵坊弁慶
義経の中心として名高い人物こそが武蔵坊弁慶です。実在が疑問視される部分も大きい人物ですが、彼の存在もまた義経を語る上では欠かせません。
最期まで義経に従い続けたその姿は、いまもなお様々な創作で取り上げられています。
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静御前
義経の愛妾として有名な女性です。歌舞を演じる白拍子であり、義経の没落を示すエピソードに主に名を表す悲劇の女性として有名です。
彼女にまつわる伝承は日本全国に点在しており、義経伝説と同様に多くの人々から愛されています。
チンギス・ハーン
義経と同一視されることのあるモンゴル帝国の初代皇帝です。
現在は完全に否定されている説ですが、未だに話題の種となることも多く、それもまた源義経という人物の人気を高める神秘性の一因となっています。