アメリカ南北戦争をわかりやすく解説!原因や死者数、与えた影響も紹介

南北戦争後のアメリカに起こった3つの変化

戦争の終結は良い結果も悪い結果ももたらした

南北戦争は保護貿易と奴隷解放を唱えた北部の勝利によって終結。それによって、アメリカ国内では様々な変化が起こりました。良い変化もあれば悪い変化もあります。代表的な3つの変化を紹介しましょう。

  • ①黒人奴隷の解放
  • ②近代的な武器の使用
  • ③国家基盤の強化

①黒人奴隷の解放

南北戦争後の1番大きな変化は「黒人奴隷の解放」ですね。イギリス植民地時代から200年近く続いてきた奴隷制度が南北戦争によって遂に廃止されました。

白人に所有されてきた黒人奴隷たちは自由の身となり、アメリカ合衆国の連邦政府によって社会的自立を支援されるようになります。

奴隷解放宣言の文書
出典:Wikiwand

南部の州には元奴隷たちの人権回復を援護する政府機関「解放民局」が置かれ、徐々に黒人の就職率も増えていきました。そして遂には、奴隷制度時代ではあり得なかった公職の黒人も誕生するようになったのです。

②近代的な武器の使用

南北戦争がもたらした変化には、軍事的な要素もありました。戦争における「近代的な武器の使用」です。南北戦争時には、それ以前より改良された高性能の武器が数多く使用されました。

北軍は回転式の連発銃であるリボルバーモデルの銃や小銃でありながら射程距離が長いスプリングフィールド銃などを利用。南軍では、命中率が高く深い致命傷を与えられることで有名なエンフィールド銃を利用していました。

エンフィールド銃の再現射撃
出典:Wikiwand

他にも、装填時間が短く軽量型の大砲「アームストロング砲」なども活躍。南北戦争では、近代的な武器の使用が多大な犠牲者をもたらしました。特に、エンフィールド銃は銃弾が特殊な形で撃ち込まれるため酷い銃創を負い、それが元で亡くなる人が多かったのです。

南北戦争で近代的な武器の威力が証明されることになってしまいました。その結果、その後の工業発展では第一次・第二次世界大戦に向けた「最新兵器の生産」という暗い一面も担うようになってしまったのです。

③国家基盤の強化

アメリカはようやく一つの国となった

南北戦争後に起きた変化として、最後に紹介するのは「国家基盤の強化」になります。南北戦争の原因①で述べたように、北部ではアメリカが一体となることを目指していました。

その北部が南北戦争に勝利したことで連邦国家としての基盤が強化され、連邦政府の権限が確固たるものとなります。各州の自主権は弱まり、アメリカ市民権や通貨なども州ではなく国家が発行するようになりました。

バラバラだったアメリカは、南北戦争を経てアメリカ合衆国という一つの国家基盤を強固なものにしたといえるでしょう。

南北戦争が日本に与えた3つの影響

アメリカの黒船来航の様子
出典:Wikiwand

南北戦争はアメリカから遠く離れた日本へも影響を及ぼしました。当時の日本は、アメリカと日米和親条約日米修好通商条約を結び開国したばかりです。南北戦争を挟んだアメリカと日本の関係はどういったものになったのか。3つの事柄に分けて解説しましょう。

  • ①英仏が日本への進出を開始
  • ②最先端兵器の流行
  • ③明治維新の加速

①英仏が日本への進出を開始

1854年にアメリカと日米和親条約を結び、日本は開国への道を選びました。その後、1858年には日米修好通商条約を締結してアメリカとの貿易が開始されます。

しかし、このタイミングで南北戦争が勃発してしまい、日本とアメリカの貿易関係は一時的に中断してしまいました。これを機に、アメリカの代わりとしてイギリスやフランスが日本への進出を開始したのです。

英仏は日本と「安政の5カ国条約*」を結んでおり、アメリカと同じく自国に有利な立場を持っていました。イギリス在日公使やフランス在日公使が日本に住み、日本と西洋列強との外交問題に意見するようになります。

誰よりも世界を見据えていた坂本龍馬
出典:Wikiwand

また、坂本龍馬が締結に尽力した薩長同盟の条件である「武器の供給」をイギリスが行ったり、フランス流の軍事訓練を幕府の陸軍に対して行うなど日本の政治や軍事関連にも強い影響を与えたのです。

*安政の5カ国条約

1858年に日本の江戸幕府がアメリカ、イギリス、オランダ、フランス、ロシアの5カ国と結んだ条約。日米修好通商条約と同様に日本に不利な不平等条約だった。
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