アメリカ南北戦争をわかりやすく解説!原因や死者数、与えた影響も紹介

②最先端兵器の流行

南北戦争では近代的な武器が使用されたと述べましたが、実はそれらの武器は遠く離れた日本へと輸入されていました。

南北戦争終結後、兵士たちが使っていた銃や大砲などが払い下げられて中国や日本へと輸入されていたのです。中でも、南北戦争後の変化②で述べたエンフィールド銃は戊辰戦争において最も多く使われました。

スペンサー連発銃
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また、南北戦争にて北軍に利用されたスペンサー騎兵銃も輸入され戊辰戦争にて使われています。スペンサー騎兵銃は騎兵用の小型の銃であり、連続して撃てる仕組みを持つライフルでもありました。他にも大砲や軍艦なども日本に輸入されています。

輸入されたいずれの兵器も元々は南北戦争にて使うためにイギリスやフランスから買い求めたものが大半でした。新しく殺傷能力の高い兵器が南北戦争によって流行し、日本の戦争の在り方も変化していったのですね。

③明治維新の加速

箱館戦争の様子
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南北戦争は日本の大きな変革である明治維新の加速化にも大きな影響を与えています。

明治維新とは、江戸幕府の体制が崩れて資本主義的な変革へ移行したことです。大政奉還や戊辰戦争を経て明治政府という新たな政府が樹立しました。

そんな明治維新に対して南北戦争は「兵器」と「社会構造」の面から、知らないうちに支援していたのです。まず、「兵器」に関しては②でも述べたように南北戦争にて使っていた最新鋭の兵器が次々と日本に輸入されてきました。

明治時代の政治家 伊藤博文
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南軍が発注した砲艦をはじめとする最新の兵器を新政府軍が手に入れたことで、土方歳三が活躍した函館戦争において新政府軍が勝利することとなったのです。

また、「社会構造」の面では北部の通貨制度を政治家の伊藤博文が調査し、国立銀行条例の設立に役立てました。このように様々な視点から見ると、南北戦争は現代の日本につながる影響を残したといえるでしょう。

南北戦争が世界に遺した3つの後遺症

南北戦争は大きな爪痕も遺していった

南北戦争はアメリカや日本だけでなく、全世界に対して大きな影響力を持っていました。それは良いものばかりではなく、ときには人を傷つけ悩ませる後遺症のようなものになります。ここでは、南北戦争が世界に残した後遺症を3つ紹介していきますね。

  • ①黒人への人種差別が悪化
  • ②ナポレオン3世のメキシコ出兵
  • ③綿花不足による綿工業の大損失

①黒人への人種差別が悪化

連邦国家としてアメリカがまとまり、黒人奴隷たちは解放されたと上記で述べてきました。彼らは連邦政府の支援を受けながらも自立しようとしていきます。

しかし、長年虐げられ学問もろくに身につけることができなかった黒人奴隷たち。そんな簡単には社会的に自立することはできませんでした。貧困にあえぎつつ、地主から土地を借りて農業に勤しむ小作人生活を送る者がほとんどだったのです。

独特の衣装をつけて街を歩くKKKのメンバー
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さらには、リンカーン大統領暗殺後に南部の指導者たちが次々と公務に復帰。1877年には南部の復興が完了したと考えた当時の大統領ヘイズによって連邦軍が南部から去ることになりました。

すると、南部での黒人への人種差別が悪化したのです。白人至上主義の秘密組織KKK(クー・クラックス・クラン)が勢力を拡大し、差別による弾圧は酷くなっていきました。黒人の選挙投票を阻止する法案の成立や隔離政策まで始めたのです。

南北戦争は確か黒人奴隷たちを解放しましたが、奴隷という枠から解放されても彼らの真の自由は遠いものでした。

②ナポレオン3世のメキシコ出兵

ナポレオン3世
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国外においては日本の他に、フランスのナポレオン3世のメキシコ出兵を促してしまいます。ナポレオン3世は南北戦争の混乱に乗じて、アメリカが手を出せないのをいいことに領土拡大を狙ってメキシコに出兵しました。

ナポレオン3世はメキシコが内戦によって利息の支払いを停止したことを理由に出兵します。しかし、戦争の費用がフランス財政を圧迫した上にメキシコ軍の抵抗が強かったため撤退せざるをえなくなりました。

皇帝マクシミリアンの処刑の様子
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さらには、南北戦争を終えたアメリカに批判されたことも撤退理由の1つです。そのうえ、オーストリア皇帝の弟であるマクシミリアンをメキシコ皇帝へとするものの、彼自身が撤退を拒否したためマクシミリアンは処刑されてしまいます。

南北戦争理由に戦争した結果が、ナポレオン3世自身の外交成績に大きな傷をつけるだけでなくオーストリア皇帝の弟を失うことになってしまったのです。

③綿花不足による綿工業の大損失

綿花は19世紀の重要な輸出品だった

このように見てみると、南北戦争はアメリカや日本、フランスに対して強く影響があります。しかし、貿易という点においては全世界に対して大きな後遺症を残してしまいました。

何度も述べているように、南部は綿花のプランテーション運営が主な経済力です。当然のことながら、南北戦争当時もアメリカの輸出する綿花はイギリスをはじめとする綿工業の大きな鍵となっていました。

しかし、南北戦争勃発によってアメリカの綿花輸出が途絶えてしまいます。その結果、世界は綿花不足による綿工業の大損失を受けました。そこで急遽アメリカの代わりとして中国やインド、日本が綿花の供給源となったのです。

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