世界&日本で起きた無差別・大量殺人ランキングTOP40

「過去、日本で起きた大量殺人事件って何だろう?」
「世界でも無差別殺人って起きてるの?」

今回は、そんな疑問を持つ人に向け、日本と世界で起きた無差別・大量殺人事件を、次のランキング形式でまとめました。

事件の詳細はもちろん、犯人のその後についても解説します。この記事を読めば、過去に起きた大量殺人事件の背景や概要、その凄惨さを余すことなくチェックできますよ。

本記事における大量殺人の定義
大量殺人は、「同一の場所および時間帯に複数名が殺害される犯罪」を指す言葉です。厳密な定義は存在しませんが、犯罪学の権威「アルブレヒト・ヴェッツェル」によれば、偶発的な殺人犯による営利殺人、政治的目的を持つ加害者やプロの毒殺者による犯行は大量殺人に含まれないとされています。
上記から、「9.11同時多発テロ」や「地下鉄サリン事件」などの「大規模かつ組織的なテロ」は大量殺人に含まれないと判断し、本記事では紹介していない点をご了承ください。

この記事を書いた人

Webライター

吉本 大輝

Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。

日本で起きた無差別・大量殺人ランキングTOP20

20位:和歌山一家8人殺害事件-1946年

サンフランシスコ平和条約で恩赦された犯罪者がいた
出典:Wikipedia

和歌山一家8人殺害事件は、1946年1月29日に和歌山市で発生した大量殺人です。犯人の大橋一雄は、手斧とノミで兄夫婦とその子供6人を殺害し、「1ヶ月後に自首する」と書き置きを残して逃亡します。彼はすぐに自首せず、出頭したのは1948年3月の事でした。

大橋の母親は兄嫁から「姑いじめ」を受けていました。母親は大橋が戦争に出陣中の1940年に死去するものの、大橋は母親が虐めで殺されたと思っていたのです。事件の3日前に兄嫁が、「大橋の母親が死ぬ時の真似」をした事が、大橋の復讐心に火をつけました。

大橋は、事件から1ヶ月後に死刑判決を受けます。しかし1951年9月のサンフランシスコ平和条約の調印に伴う恩赦で死刑を免れ、1968年に出所しています。その後の大橋の動向についてはわかっていません。

19位:北海道音江村一家8人殺害事件-1948年

音江村では過去に凄惨な事件があった
出典:Wikipedia

北海道音江村一家8人殺害事件は、1948年3月31日に北海道音江村(現:深川市)で農家を営む夫婦と6人の子供が殺害された事件です。8人は、就寝中に頭や腹を滅多刺しにされていました。

警察は、被害者宅から数km離れた所に住む男性を有力容疑者として逮捕します。ただ証拠不十分のため、1949年(昭和24年)6月に容疑者は無罪判決、1952年の最高裁で上告が棄却され、容疑者は無罪放免。結果的に事件は、迷宮入りとなりました。

容疑者が犯人と思わしき証拠があったものの、死亡解剖を行ったのは無免許医でした。その為、その証拠は認められませんでした。現在のように科学が発達し、法整備が整っていれば、事件は違った結末を迎えていたのかもしれません。

18位:青森県新和村一家7人殺害事件-1953年

りんご農家で起きた凄惨な事件
出典:Wikipedia

青森県新和村一家7人殺害事件は、1953年12月12日に青森県新和村(現:弘前市)でりんご農家園の三男・M(名前不明)が起こした大量殺人事件です。Mは父や長兄から邪険な扱いを受け、無一文で家を追い出され、貧しい暮らしを強いられてきました。

精神的に追い詰められていたMは、実家に盗みに入った時に見つけた猟銃をみて錯乱。父や長兄家族7人、遊びに来ていた伯母を、猟銃で殺害したのです。実家では銃口からの火炎が布団に引火し、事件を知らぬまま就寝していた3歳の次女も焼死しています。

ただMは、重度の心身喪失が認められ無罪となりました。父と長兄が、酷い人間だった事は事実だったようで、無罪判決が確定した時にMの兄と妹は安堵しています。Mは、次兄とリンゴ農家を発展させ、Mは後に結婚。3人の孫に恵まれ、地区の自治会長も務めました。

罪を免れたMですが、彼は2001年12月にトラックを運転中にスリップ事故を起こし、対向車線からはみ出した車と正面衝突を起こして72歳で亡くなっています。

17位:福岡県豊津村一家8人殺害事件-1954年

中村喜市郎は三叉グワで凶行に及んだ
出典:AGRI PICK

福岡県豊津村一家8人殺害事件は1954年9月9日に、福岡県豊津村(現・豊津町)で8人が殺害され、3人が重症を負った事件です。理髪店を営む中村喜市郎は、戦争未亡人との別れ話のもつれから、未亡人と長男、2人が泊まっていた兄家族の家を三叉グワで襲撃します。

中村は、未亡人と長男、兄夫婦と4人の子供を殺害。犯行現場は、大量の血で埋め尽くされていたのです。中村は、1955年2月に死刑判決が下り、1957年に死刑が執行されています。彼は、事件前から窃盗や暴力を繰り返す粗暴な男で、未亡人を困らせていました。

なお重傷を負った3人の娘は、神父に引き取られ、成人になるまで新神田で養育されます。後に3人共結婚し、幸せな生活を築いたそうです。

16位:昭和郷アパート放火事件-1957年

東京都昭島市で起きた放火殺人事件
出典:Wikipedia

昭和郷アパート放火事件は、1957年10月27日に東京都昭島市で起きた保険金目的の放火殺人事件です。アパートは老朽化していたため、火の回りが早く、子供を含む8人が焼死し、6人が重軽傷を負いました。更に34世帯134人が、被災しています。

捜査は難航するものの、半年前にも同アパートで放火未遂事件が起きており、その遺留品を元に被災者だったアパートの住人である五十嵐正義という人物が浮上。彼は、当時としては高額の火災保険に加入していた事が決め手となり、1958年3月8日に逮捕されます。

五十嵐は1961年7月に死刑が確定し、1970年頃に刑が執行されたと見られています。当事件は殺人罪による死刑ではなく、現住建造物等放火罪の最高刑である死刑が該当した珍しい判例です。殺人罪ではない形で、死刑になったのは戦後においては、この事件だけでした。

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