世界&日本で起きた無差別・大量殺人ランキングTOP40

15位:キャセイ・パシフィック航空700Z便爆破事件-1972年

1961年に撮影された700Z便
出典:Wikipedia

キャセイ・パシフィック航空700Z便爆破事件は、1972年6月15日に発生した700Z便の爆発事故です。南ベトナム上空を飛行中の700Z便が突如爆発し、サイゴンから300km離れたジャングルに墜落。乗員10名、乗客71名全員が死亡しました。

当航空機には、様々な国籍の人が乗員し、日本人17名も犠牲になっています。タイの捜査機関は、飛行機に乗った婚約者と娘を殺害して保険金を詐取する為、婚約者のスーツケースに爆弾を仕掛けた犯人として、タイ警察の大尉を逮捕しました。

しかし、有罪は立証できず大尉は2年後に無罪となります。事件の犯人は未だに分かっていません。

14位:アエロフロート 109便墜落事故-1973年

アエフロート社は1932年から存在するロシアの民間航空会社
出典:Wikipedia

アエロフロート109便墜落事故は、1973年5月18日にアエフロート社の航空機で発生したハイジャック事件です。爆弾を保有していた犯人は、航空機を中国に離陸させるように要求。機内で犯人と保安要員の激しい銃撃戦が繰り広げられました。

結果的に、犯人の持っていた爆弾が機内で爆発し、飛行機はバイカル湖の東側に墜落。乗客乗員82名全員が、死亡する惨事となったのです。犯人が、なぜ中国への離陸を望んだのか、その理由はわかっていません。

13位:ハッピーランド放火事件-1990年

事件の翌日の様子
出典:Wikipedia

ハッピーランド放火事件は、1990年3月25日にニューヨークのナイトクラブ・ハッピーランドで発生した放火事件です。犯人のフリオ・ゴンザレスはハッピーランドの従業員の元恋人で、復縁を迫って断られた腹いせに店に放火、87人が亡くなりました。

フリオは1980年にキューバからアメリカに亡命し、工場勤務をしていましたが、事件の直前には解雇され、家賃を滞納するほど困窮していたようです。生活への絶望感が彼を犯行へと走らせたのでしょうか。

フリオは87件の殺人と、87件の放火で有罪となり、最低25年の終身刑が言い渡されます。2015年に仮釈放できる事になっていたものの、当日に仮釈放は却下。これは事実上の終身刑を意味します。

結果的に、次の仮釈放の申請が行われる2ヶ月前の2016年9月13日に、フリオは心臓麻痺で亡くなりました。

12位:デュポン・プラザ・ホテル放火事件-1986年

捜査に当たるATFの職員
出典:Wikipedia

デュポン・プラザ・ホテル放火事件は、1986年12月31日に発生したプエルトリコ最悪のホテル火災です。当時、このホテルでは従業員による労働争議が行われていました。従業員3人が脅しで火をつけた結果、死者98人、負傷者140人を出す大規模な火災になったのです。

当ホテルにはスプリンクラーが存在せず、火災報知器も正常に機能していませんでした。この放火を経て、1990年にホテル・モーテル防火安全法が制定され、ホテルの防災基準の厳格化が進められます。

ちなみに3人は懲役99年から77年の判決を受けますが、2000年頃に2人が仮釈放されています。

11位:マレーシア航空システム653便ハイジャック墜落事件-1977年

この事件は連合赤軍が関与していた?
出典:荒井幸博TODAY

マレーシア航空システム653便ハイジャック墜落事故は、1977年12月4日にボーイング737-200型機がマレーシアのジョホール州に墜落した事件です。乗員7人と、乗客93人全員が死亡しています。

コックピットボイスレコーダーが停止する数分前に、機長と副操縦士がハイジャック犯に撃たれており、航空機は正常な運転が出来なくなった事が、墜落の原因と判断されました。

航空機をハイジャックしたのは、日本赤軍のメンバーとされますが確証はありません。乗客乗員全員が死亡した為、事件の全貌は未だに不明です。

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