世界&日本で起きた無差別・大量殺人ランキングTOP40

10位:シルクエアー185便事故-1997年

ムン川から発見された航空機の残骸
出典:Wikipedia

シルクエアー185便墜落事故は、1997年12月19日にインドネシアで発生した航空事故です。この事故は、機長が、株取引に失敗した機長が故意に航空機を墜落したとされています。乗員7人、乗客97人が犠牲になりました。

機体は、かなりの高度から墜落した為、機体と乗員乗客の大半が破片となり、身元が判明したのは僅か6人。機長の身勝手な行動が、多くの犠牲者を出したのです。

9位:2001年- 石家荘爆発事件

石家荘爆発事件は、2001年3月16日未明に、中華人民共和国河北省の石家荘市で発生した大量殺人事件です。市内にあった4つの社員寮が爆破され、108人が亡くなり、38人が負傷しています。

犯人の男は当時40歳、爆発物についての知識があったと言われています。3カ月間同棲した女性が自分の元を去ったことに腹を立てた男は女性を殺害、その後爆発物を作り、恨みがある相手をすべて殺害しようとしたのです。

男は事件後1週間ほどで逮捕、翌月には死刑が確定し、速やかに執行されました。男に爆発物を提供した者も同じ日に死刑になっています。

8位:中国北方航空6136便放火墜落事件-2002年

1998年に撮影された事故機
出典:Wikipedia

中国北方航空6136便放火墜落事件は、2002年5月7日に北京上空で発生した航空機内の放火事件です。犯人の男は、事業に失敗して多額の負債を背負っており、負債を精算する為に、140万人民元(日本円で2100万円)の航空傷害保険に加入していました。

犯人は、飲料水と偽って可燃性の液体をペットボトルに持ち込み、機体後部で放火。航空機は、火災で操縦不能となり、海面に叩きつけられたのです。結果的に乗員9名、乗客103名全員が死亡する大惨事となりました。

この事件は、飛行機と乗客・乗員を道連れにした無理心中。保険金が振り込まれる事はないでしょうが、事件のその後については詳しくは分かりません。

7位:エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件-1996年

1989年に撮影された事故機
出典:Wikipedia

エチオピア航空961便ハイジャック事件は、1996年11月23日に発生したハイジャックです。エチオピアの空港を離陸してから20分後に、爆弾と称する物を持つ男3人が、機長に「オーストラリアに行く事」を要求します。しかし航空機にはその分の燃料がありませんでした。

燃料が足りない事を機長は主張するものの、犯人達はその要求を拒否。燃料の切れた航空機は、海上に着水して4つに分解した結果、機内に海水が流入します。機長は助かったものの、乗客乗員175名のうち123人が死亡。機長を含む52名が負傷しました。

犯人達は、高校卒業後にブラブラと遊んでおり、オーストラリアで楽しく生活する為に、ハイジャックを計画した事が判明しています。そして爆弾も偽物でした。犯人3人は全員死亡し、因果応報と呼ぶに相応しい最期だったのです。

6位:1990年広州白雲空港衝突事故-1990年

同型機の厦門航空ボーイング737
出典:Wikipedia

1990年広州白雲空港衝突事故は、1990年10月2日に広州白雲国際空港で起きた大規模な衝突事故です。犯人の男は、ボーイング737-247をハイジャックし、台湾行きを要求します。機長はその要求を拒否し、両者は言い争いとなりました。

燃料が尽きかける中、機長は広州白雲国際空港に着陸する事を打診。犯人も機長は揉み合いになり、着陸に失敗します。ボーイング737-247は、空港内で待機中のボーイング757-21Bと、ボーイング707-3J6Bに衝突したのです。

結果的に、ボーイング737の乗員乗客104人のうち82人、ボーイング757の乗員乗客122人のうち46人、合計132人が犠牲になりました。当事件は、管制塔の危機感の欠如で二次災害を招いたとされ、中国当局も不備を認めています。

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