スティーブ・ジョブズとはどんな人?生涯を簡単に解説【功績や年表も紹介】

1985年 – 30歳「ジョブズ、アップルコンピューターを退職」

現在のアップルの社屋

全ての業務から解任され、自ら辞職

1985年、ジョブズはなんと自ら創業したアップル・コンピューターを追放されるような形で退職します。

1985年4月、社長スカリーは、ジョブズがアップル・コンピューターを混乱させていると考え、Macintoshチームリーダー及び副社長からジョブズを解任することを取締役会で要求。これは全会一致の承認されました。

これを察知したジョブズは、スカリーが中国出張している間にスカリーを追放することを画策。しかし、スカリーがこれを察知して中国出張をキャンセルし、1985年5月24日に緊急で重役会議を開催します。

重役会議でスカリーはジョブズの画策を暴露し、自分を選ぶかジョブズを選ぶか選択を迫りました。結果、重役全員がスカリーを支持し、その後に開催された取締役会もスカリーを支持。そして1985年5月31日。ジョブズは全ての業務および副社長から解任され、実権を持たない名目上の会長職を与えられることとなりました。

その後、社内で何もすることができないことに絶望するジョブズでしたが、新たに教育関連に特化したコンピューターの開発に魅力を感じ、1985年9月13日にアップル・コンピューターを完全退職することになりました。

新会社NeXTを設立

NeXTを設立したジョブズ

アップル・コンピューターを退職したジョブズは、教育関連に特化したコンピューターを開発すべく新会社NeXTを設立します。

きっかけは、生物学者ポール・バーグと難しいDNA組み換え実験をコンピューターにシミュレーションさせることや高等教育のためのコンピューターという構想については話したことでした。

構想を実現するためにジョブズはアップル・コンピューターを退職、当時所有していた約650万株のアップル・コンピューター株をすべて売却したそうです。

ちなみに、退職時にアップル・コンピューターから何名か引き抜いたことでアップル・コンピューターと揉めることになったそうです。実現したいことのためにはなりふり構わない、さすがジョブズというエピソードですね。

第一回アメリカ国家技術賞が贈られる

アメリカ国家技術賞の受賞者に贈られるメダル

1985年、当時の大統領であるロナルド・レーガンより、ジョブズとウォズニアックに第一回アメリカ国家技術賞(技術分野ではアメリカ合衆国で最高の栄誉とされている賞)が贈られました。ジョブズの他には技術革新を牽引してきたとしてベル研究所などが受賞しました。

ちなみに、この受賞の前後でジョブズはウォズニアックがアップル・コンピューターを退職していたことを知ったそうです。親友だったのに退職したことを知らなかったんだとか。当時の2人の間にはもう昔のような絆はなかったことが分かりますね。

シャープ東京支社へ訪れる

この頃に、ジョブズは日本のシャープ東京支社を訪れ、東京支社長の佐々木正に今後の電卓についての相談、「これからはネットワークの時代になるからポータブル性のあるIT機器が求められるようになる」という助言をもらっていたそうです。

ちなみに、その時のジョブズの格好は、ジーンズにTシャツ姿、風貌は髪の毛やひげが伸び放題のヒッピーそのものだったそうです。

1986年 – 31歳「ピクサーを設立」

ピクサー・アニメーション・スタジオ

ルーカスフィルムのCG部門を買収、ピクサーを設立する

1985年夏にジョージ・ルーカスのスタジオ、ルーカスフィルムのCG部門を訪れていたジョブズは、そのCG技術に魅力を感じていました。そして1986年にはCG部門を1000万ドルで買収し、ピクサーを設立しました。

トイ・ストーリーなどの大ヒットを生むピクサーですが、ジョブズはのちに「映画作りにどれだけのお金が掛かるか知っていたらピクサーは買わなかった」と言っていたそうです。

ちなみに、ジョブズがCG部門を買収してくれたおかげで、当時離婚費用が必要だったジョージ・ルーカスはスターウォーズの株を売らずに済んだそうです。

生母ジョアンとの再会

1986年、ジョブズの養母であるクララが亡くなったことがきっかけで生母ジョアンと再会。その時に実の妹モナ・シンプソンがいることを知り、初対面も果たすことになったそうです。

1988年 – 33歳「NeXTが初代NeXTcubeを発表」

NeXTcubeをプレゼンするジョブズ

初代NeXTcubeの発表

1988年10月12日、かねてより開発をしていたNeXTcubeがやっと発表されました。発表会は3000人の聴衆のもと、3時間にわたり行われました。

もともとは1987年までには発表される予定でしたが、ロゴや筐体のデザインにこだわったり、凝った仕様のOS(NEXTSTEP)の開発したりと資金と時間を過剰に費やしたため発表が遅くなったのですが、ジョブズはこれに対して「遅くなった?5年は先を行っているよ」とコメントしたそうです。

1990年 – 35歳「将来の妻との出会い」

ローレンとジョブズ

スタンフォード大学で将来の妻と出会う

スタンフォード大学でゲスト講師として講義を行ったジョブズは、生徒の一人だったローレン・パウエルと出会いました。講義の中、ジョブズが突然ローレンの隣に座ったことがキッカケだったそうです。

当時ローレンは27歳。8歳の差がありましたが、そんなことを気にせず恋に落ちた2人。講義が終わったあとにミーティングをすっぽかして夕飯を食べに出かけたそうです。

1991年 – 35歳「結婚。そして長男誕生」

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スピード婚したジョブズ

出会った翌年に結婚。同年に長男も生まれる

1990年に出会ったジョブズとローレンでしたが、翌年の1991年3月18日に結婚。挙式はヨセミテ国立公園のアワニーホテルにて、ジョブズがグル(老師)と仰ぐ日本人禅僧の乙川弘文の立会いのもとでささやかに行われました。

同年の9月には長男リード・ポール・ジョブズが誕生しました。この頃には元恋人の娘リサも一緒に暮らすようになっていたそうです。ちなみに、長男の名前である「リード」は母校であるリード大学に因んだと言われています。

ピクサーがディズニーと契約

1991年、ピクサーはディズニーにCGアニメーション映画の制作の売り込みを行います。同年3月3日には3本の映画作品の契約を結びました。この結果、4年後に大ヒットとなるフルCGのアニメーション映画「トイ・ストーリー」が制作されることになりました。

1993年 – 38歳「NeXT、ソフトウェア事業に特化」

NeXTが事業売却やレイオフを行いソフトウェア事業に特化

NeXTcubeを発表したNeXTですが売上はそれほど大きくありませんでした。そのため、530人の社員のうち230人をレイオフ(人員削減)し、ハードウェア部門はキヤノンに売却することでソフトウェア開発事業に特化する体制をとりました。

その後、株式公開に失敗するなど会社としてはあまり功績がないようにも見えますが、技術的な功績は残していて、たとえば開発したOSであるNEXTSTEPはMacのOSの基盤となったり、世界初のWebサーバーとしてNEXTcubeが利用されたりしました。

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