スティーブ・ジョブズとはどんな人?生涯を簡単に解説【功績や年表も紹介】

スティーブ・ジョブズの年表

1955年 – 0歳
誕生、生後すぐに養子に
1955年2月24日サンフランシスコ、スティーブ・ジョブズはシリア人の父、アブドゥルファタ―・ジャンダーリとアメリカン人の母、ジョアン・キャロル・シーブルとの間に誕生。生後すぐにジョブズ夫妻に養子に出されました。

1961年 – 6歳
モンタ・ロマ小学校に入学、イタズラばかりするトラブルメーカーに
1961年、6歳になったジョブズはモンタ・ロマ小学校に入学。小学校では先生の椅子に爆竹を仕込んだり、教室にヘビを放り込んだりとイタズラばかりするトラブルメーカーに。小学3年生のときには停学処分になるほどでした。
1966年 – 11歳
1年飛び級でクリッテンデン中学校に入学
1966年、11歳になったジョブズは知能検査で高校2年生レベルと判定され、1年飛び級してクリッテンデン中学校に入学しました。この頃は他の生徒からいじめられることも多かったそうです。
1967年 – 12歳
クリッテンデン中学校に嫌気がさしクパーティノ中学校に転校
1967年、クリッテンデン中学校ではいじめられることが多かったスティーブ・ジョブズは、ガラの悪い校風にも嫌気がさして登校を拒否します。やむなく一家はロスアルトスのガレージ付きの平屋に引っ越し、スティーブはクパーティノ中学校に転校しました。
1968年 – 13歳
ホームステッド・ハイスクールに入学
1968年、ジョブズはホームステッド・ハイスクールに入学します。この頃には個人主義、反権力を掲げるカウンターかるや―に目覚め、音楽、文学、芸術にも興味を持ち始めました。この頃にはヒューレット・パッカード開催の「探求クラブ」に参加し、LEDや開発中のコンピューターなどの技術に触れる機会が多くなりました。
1969年 – 14歳
スティーブ・ウォズニアックと出会う
1969年、5歳年上でのちにアップルの立ち上げの重要人物でもあるスティーブ・ウォズニアックと出会いました。音楽の趣味や笑いのツボ、テクノロジーに興味があるなどの共通点からすぐに打ち解けたそうです。
1972年 – 17歳
オレゴン州のリード大学に入学
1972年、ジョブズはオレゴン州のリード大学に入学します。大学時代にはユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの宗教から座禅やヒッピー文化などに傾倒し、全く風呂に入らなかったり裸足で大学構内を歩くなどの奇行とも取れる行動も行っていました。
1973年 – 18歳
リード大学を半年で中退
1973年、ジョブズはたった半年でリード退学を中退します。しかし中退後も興味のある講義を聴講するだともぐりの学生生活を18ヶ月も続けました。
1974年 – 19歳
インド旅行の旅費を稼ぐためにアタリ社に入社
1974年、インドを旅したいと考えたジョブズは旅費を稼ぐためにアタリ社を訪問、「雇ってくれるまで帰らない」と宣言し、その行動が気に入られたのか、時給5ドルで働くことになりました。その後、ドイツでの仕事の帰りにアメリカに戻らずインドを放浪したそうです。
1975年 – 20歳
アタリ社へ復帰
1975年、インドからから帰国し、アタリ社へ復帰。上司から命じられた仕事を毎晩、ウォズニアックを密かに会社に招き入れて代りにやってもらったりしていました。ウォズニアック曰く、このときの経験がのちのアップル製品である「Apple I」や「Apple II」の設計に役立ったと語っています。
1976年 – 21歳
アップルコンピューター・カンパニーを設立
1976年4月1日、ジョブズは友人のウォズニアックとロナルド・ウェインと、ウォズニアックが開発したコンピューター、「Apple I」を販売するビジネスパートナーシップとして「アップルコンピュータ・カンパニー」を設立します。設立のためにジョブズは愛車のワーゲンを、ウォズニアックはプログラム電卓を売り払ったそうです。
1977年 – 22歳
アップルコンピューター設立、世界初のパソコン発表
ジョブズは1977年にマイク・マークラの援助を受けて新法人「アップルコンピューター」を設立。アップルコンピューター・カンパニーは買収する形になりました。そして同年4月16日から17日にかけて開催された第一回「ウェスト・コースト・コンピューター・フェア」で世界初の個人向けコンピューター(パーソナルコンピューター)「Apple II」を発表しました。
1980年 – 25歳
アップル・コンピューターが新規株式公開
1980年、「Apple II」の売れ行きも好調なアップルコンピューターは新規株式公開(IPO)を行いました。これによりスティーブ・ジョブズは約2億5600万ドルを手に入れました。
1984年 – 29歳
Macintosh発表。CMは好評だったが赤字に
1984年、IBMを挑発するような内容のCMをスーパーボウルのCM枠で流すことでMacintoshを発表しました。このCMは大評判で数々の賞を受賞しました。しかし、Macintoshの需要予測を大幅に誤ったことで在庫過多となりアップル・コンピュータは初の赤字を計上しました。
1985年 – 30歳
アップル・コンピュータを退職。新会社NeXTを設立
1985年5月31日、社員や重役との溝が深まっていくスティーブ・ジョブズはついに「経営を混乱させた」として・コンピューターを解任、名目上の会長職を与えらます。アップル・コンピュータで何もできなくなったジョブズは9月13日にアップルを完全に退職。同年にはアップル・コンピュー新たな構想でコンピューターづくりをするために新会社NeXTを設立しました。
1986年 – 31歳
ピクサーの設立
1986年夏、映画監督ジョージ・ルーカスのスタジオであるルーカスフィルムのCG部門を訪れたジョブズは、コンピューターグラフィックス技術に心を奪われ、CG部門を1000万ドルで買収。「ピクサー」と名付け、そのCEOに就任しました。
1991年 – 36歳
結婚、長男の誕生
1991年1月1日、ジョブズは恋人のローレン・パウエルにプロポーズして受け入れてもらいます。その後、3月18日にささやかに挙式が行われ、同年9月には長男、リード・ポール・ジョブズが誕生しました。
1995年 – 40歳
映画「トイ・ストーリー」公開、株式上場して多額の資産を得る
1995年、製作に4年かかった世界初のフルCGアニメーション映画「トイ・ストーリー」が公開され世界的な大ヒット。その直後にピクサーは株式を公開し上場。ジョブズが保有していたピクサー株80%は6億ドルに達し、再び多額の資産を得ることになりました。
1996年 – 41歳
アップル・コンピューターへ復帰
1996年12月20日、アップル・コンピューターは次期OSの基礎技術としてジョブズが設立したNeXTが開発するNEXTSTEPを採用することを決定。NeXTを買収し、ジョブズもアップル・コンピューターに復帰することになりました。
1998年 – 43歳
iMacを発表
1998年、アップル・コンピューターからiMacが販売。これまでのコンピューターの見た目を一新したトライスルーセント(日本ではスケルトン)と呼ばれる筐体デザインはコンピュータ以外の分野へも影響を及ぼすほどに大ヒットしました。
2001年 – 46歳
iTunes、iPodで音楽事業に参入
2001年、アップル・コンピュータは「iTunes」と[iPod」を発表し、本格的に音楽事業に参入ししていきます。当時、多くの歌手や音楽レーベルからの反発が起こりましたが、ジョブズ自ら説得するなど基盤整備に奔走したそうです。

2003年 – 48歳
膵臓ガンの宣告を受ける
iMacのヒットやiTunesの発表など世界を騒がせていたスティーブ・ジョブズでしたが、2003年に膵臓ガンの宣告を受けます。当初は手術など頑なに断り民間療法での完治を試みましたが、診断から9ヶ月後には摘出手術を受けることになりました。
2007年 – 52歳
初代iPhoneを発表。携帯電話を再定義
2007年1月9日、サンフランシスコで開催されたマックワールドにて「携帯電話を再定義した」として初代iPhone」を華々しく発表。全世界の反響を呼びました。
2010年 – 55歳
初代iPadの発表。電子書籍ビジネスが活性化
2007年1月27日、「魔法のような革命的なデバイス」として、iPhoneの機能をベースに画面を雑誌サイズにしたiPadを発表。特に電子書籍ビジネスを活性化させる大きな影響を与えました。

2011年 – 56歳
iPhone4Sの正式発表直後に死去
2011年10月5日、膵臓がんの転移による呼吸停止によりパロアルトの自宅で家族に看取られながら死去しました。前日(10月4日)の午前中に行われたiPhone 4Sの正式発表を見届けたところでした。
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