世界&日本の有名な死刑囚・凶悪犯罪者一覧まとめ【事件の詳細も解説】

小平義雄元死刑囚(小平事件)

小平義雄(1905年〜1949年)
出典:有名人の死

小平(おだいら)元死刑囚は1945年から1946年にかけて東京周辺で7件の強姦殺人事件を起こした人物です。彼は7人目の被害女性と交際関係にあり、それが逮捕の決めてとなりました。

彼は元海軍軍人で、1928年の山東出兵でも妊婦の殺害等をしています。また1932年に義父を殺害したものの、1940年に恩赦で出所しました。

彼は極めて危険な人物で、1949年10月5日に死刑が執行されています。事件発覚時は犯人の苗字を「こだいら」と勘違いされる事が多く、当事件を小平(こだいら)事件と呼ぶようになりました。

菊池正元死刑囚(栃木雑貨商一家殺害事件)

菊池正(1929年〜1955年)
出典:気になった事件

菊池元死刑囚は1953年3月17日に、栃木県市羽村で従業員を含む一家4人を絞殺し、金品を強奪しまさた。彼が犯罪を犯したのは、母親の白内障の手術代を捻出する為でした。ただ一連の犯行は許されるものではなく、彼は11月25日に死刑判決を受けています。

やがて母親が村八分に会っている事を知ると、菊池元死刑囚は兄の協力で1955年5月11日に脱獄に成功。逃走するものの、彼はは22日に実家の前で逮捕されます。警察の温情で10分だけ母親と面会した菊池元死刑囚は翌年に死刑が執行されたのでした。

当時は全国各地で脱獄が起きており、拘置所は徹底した改修を断行します。これらの事件を経て脱獄は大幅に減少したのです。

正田昭元死刑囚(バー・メッカ殺人事件)

正田昭(1929年〜1969年)
出典:Wikipedia

元証券会社の社員である正田元死刑囚は1953年7月27日に、新宿のバー・メッカで証券ブローカーを殺害。殺害理由は金目当てで、事件は身勝手かつ無計画に行われています。このような若者の無軌道な犯罪はアブレゲール犯罪と呼ばれました。

正田元死刑囚は10月12日に逮捕され、1963年に死刑が確定。死刑が確定した時、当初は悲観するものの、彼は文通を始めた女性に励まされる形で小説の執筆を開始。小説は「群像」の新人賞候補になります。ただ1969年12月9日に彼の刑は執行されました。

大谷高雄元死刑囚(強盗殺人事件)

犯人の顔写真は見つからず
出典:Wikipedia

大谷高雄は共犯2人と結束し、1948年に神戸市須磨市の歯科医の家に男強盗目的で侵入。駆けつけた警察官を拳銃で殺害したのです。大谷には死刑判決が下り1953年に刑が執行されます。死刑の日程が決まり、実際に死刑が行われる期間は53時間です。

この頃のラジオで「死刑について考える」という企画がありました。大谷は「この53時間の様子」を録音する事を了承し、彼が死ぬ最期の言葉は「先に行っています。極楽では私が先輩ですからね」というものでした。

奥野清元死刑囚(母親バラバラ殺人犯)

死刑囚の単独室(奥村の写真は見つからず)
出典:ニュース picks

奥野元死刑囚は1960年6月8日に母親を殺害。更に遺体をバラバラに処理して遺棄しました。犯人は内向的で母親に従属する人物でした。母親の経営する漬物屋は借金まみれで、息子は命令されるまま周囲にお金を借りていました。

借金返済に悩んだ奥野元死刑囚は、母親を殺害して家を売り、そのお金でお金を返す事を思いついたのです。彼は1年の逃亡の末に逮捕され、1964年に死刑判決がくだり、1967年に刑が執行されました。

奥野元死刑囚の最後の言葉は「お母ちゃん、今いくて、まっとれや」であり、最期まで母親に縛られた人生を送ったのです。

小林カウ元死刑囚(ホテル日本閣殺人事件)

小林カウ(1908年〜1970年)
出典:ねずみブログ

小林元死刑囚は、1952年に保険金目的で夫を青酸カリで毒殺。元々は栃木県塩原温泉郷で土産屋を経営していたものの、ホテル日本閣を乗っ取る為に1960年2月に経営者の妻を殺害。結果的にホテルの女将の座に収まりました。

彼女はホテル経営者の出資話に飛びつくものの、騙されたと知ると同年末に経営者も殺害。結果的に小林元死刑囚は1961年2月に逮捕され、女性として日本初の死刑が言い渡されています。

小林元死刑囚は1970年6月11日に死刑が執行されます。最期の言葉は「長い間お世話になりました。思い残すことは何もありません」でした。

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