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世界&日本の有名な死刑囚・凶悪犯罪者一覧まとめ【事件の詳細も解説】

世界で有名な死刑囚って誰だろう?
日本の死刑囚を一覧で知りたい!

これまで国内外問わず、数多くの凶悪な犯罪が起きてきました。

ただ、事件の詳細はもちろん、犯人が死刑判決を受けたのか気になる方も多いはず。

そこで、この記事では世界&日本で有名な死刑囚・凶悪犯罪者を、事件の詳細も交え一覧でご紹介します。

この記事を読めば、これまで凶悪な事件を起こしてきた犯罪者や死刑囚はもちろん、事件の詳しい内容も知ることができますよ。

※下記のテキストをタップすれば、それぞれの紹介欄に移動します。

日本で有名な凶悪犯罪者・死刑囚一覧

名前事件名/呼び名死刑判決
都井睦雄(といむつお)津山三十人殺し
松本太(まつもとふとし)北九州監禁連続殺人事件
緒方純子(おがたじゅんこ)北九州監禁連続殺人事件
神田司(かんだつかさ)闇サイト殺人事件
堀慶(ほりよしとも)闇サイト殺人事件
川岸健司(かわぎしけんじ)闇サイト殺人事件
かい人21面相(かいじんにじゅういちめんそう)グリコ・森永事件/かい人21面相事件
酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)神戸市連続児童殺害事件
星島貴徳(ほしじまたかのり)江東マンション神隠し殺人事件
池田容之(いけだひろゆき)横浜港バラバラ殺人事件
近藤剛郎(こんどうたけひろ)横浜港バラバラ殺人事件
角田美代子(すみだみよこ)尼崎連続変死事件
関光彦(せきてるひこ)市川一家殺人事件
大月孝行(おおつきたかゆき)光市母子殺害事件
宮野裕史(みやのひろふみ)女子高生コンクリート詰め殺人事件
湊伸治(みなとしんじ)女子高生コンクリート詰め殺人事件
小倉譲(おくらじょう)女子高生コンクリート詰め殺人事件
宮崎勤(みやざきつとむ)東京・埼玉連続幼女誘拐事件
林真須美(はやしますみ)カレー毒物混入事件
宅間守(たくままもる)大阪教育大附属池田小児童殺傷事件
小林薫(こばやしかおる)奈良小1女児殺人事件
加藤智大(かとうともひろ)秋葉原通り魔事件
植松聖(うえまつさとし)相模原障害者施設殺傷事件
小平義雄(おだいらよしお)小平事件
菊池正(きくちただし)栃木雑貨商一家殺害事件
正田昭(しょうだあきら)バー・メッカ殺人事件
大谷高雄(おおたにたかお)強盗殺人犯
奥野清(おくのきよし)母親バラバラ殺人犯
小林カウ(こばやしかう)ホテル日本閣殺人事件
小原保(こはらたもつ)吉展ちゃん誘拐殺人事件
永山紀夫(ながやまのりお)永山則夫連続射殺事件
大久保清(おおくぼきよし)連続強姦殺人犯
麻原彰晃(あさはらしょうこう)オウム真理教教祖・テロリスト
陸田真司(むつだしんじ)SMクラブ下克上殺人事件
山地悠紀夫(やまちゆきお)大阪姉妹殺人事件

日本は海外に比べ、治安が良い国だと言われていますが、これまで数多くの凶悪事件が起きてきました。記事を通じて、世間を震撼させた様々な事件を思い出してしまうかもしれません。

都井睦雄(津山三十人殺し)

都井睦雄(1917年〜1938年)
出典:昭和ガイド

都井睦雄(といむつお)は、1938年5月に岡山県西賀茂村(現・津山市)の村民30名を殺害し、うち3名に重軽傷を負わせた事件の犯人です。「津山三十人殺し」の異名でも知られていますね。

都井は肺結核を患い、徴兵に不合格になった事で精神を病んでいました。この村には夜這いの風習があり、都井は結核を経て彼女達から疎まれるようになり、犯行に及んだのです。津山三十人殺しはその凄惨さから「八つ墓村」等のモデルとなりました。

松本太死刑囚・緒方純子(北九州監禁連続殺人事件)

松本太(1961年〜)と緒方純子(1962年〜)
出典: イノ溜め

松本死刑囚は1996年から2002年に北九州市で発生した監禁・連続殺人事件の首謀者です。人を懐柔させる能力に長け、被害者を拷問と虐待で洗脳。自分の手を汚さずに内縁の妻・緒方純子の家族に殺人や死体処理を命じています。

この時に緒方は松本死刑囚の意向に協力していました。ちなみにこの事件は判明後も残虐性から報道規制が敷かれました。松本死刑囚は2011年に死刑、緒方は2007年に無期懲役の判決が確定しています。

松本死刑囚は福岡拘置所に収監されているものの、糖尿病を患い目が見えなくなっています。緒方は洗脳が解けたものの、当時の事はほとんど覚えていないとの事です。

神田司元死刑囚・堀慶末死刑囚・川岸健司(闇サイト殺人事件)

神田司(1971年〜2015年)・堀慶末(1975年〜)・川岸健司(1966年〜)
出典:cotton85の言いたい放題

神田元死刑囚、堀死刑囚、川岸の3人は闇サイト「闇の職業安定所」で知り合い、金目当てに強盗を行う為に結束しました。2007年8月24日に名古屋市で帰宅途中の会社員女性を拉致した上に殺害し、遺体を山中に遺棄する事件を起こします。

当初は3人に死刑判決が下るものの、川岸は自首による反省が認められて無期懲役に減刑。神田元死刑囚は控訴を取り下げて死刑が確定し、2015年に刑が執行されました。堀死刑囚は余罪が発覚し、2019年に上告での死刑判決が確定。名古屋拘置所に収監中です。

かい人二十一面相(グリコ・森永事件)

かい人二十一面相の似顔絵
出典:自転車屋男2

かい人21面相は1984年から1985年に大阪や兵庫で食品会社を標的にした脅迫事件を起こしました。自らを「かい人21面相」と名乗り、1984年3月18日にグリコの社長を誘拐(社長は自力で脱出)。その後もグリコ本社の放火、不二家や森永にも脅迫を行います。

警察も犯人と思しき人物を目撃した事はあれど、捕まえる事は出来ませんでした。1985年8月7日に犯人を取り逃した滋賀県警本部長が焼身自殺し、5日後に犯人から「香典代わりの終息宣言」が送りつけられ、犯人の動きはなくなります。

結果的に2000年2月13日に事件の時効は成立。犯人は今でもどこかで生きているのかもしれません。

【真相に迫る】グリコ・森永事件とは?事件の経緯や影響、犯人像も解説

酒鬼薔薇聖斗(神戸市連続児童殺害事件)

事件を起こした頃の酒鬼薔薇聖斗(1982年〜)
出典:アノ人の現在

酒鬼薔薇聖斗(当時14歳)は1997年5月24日に男児を殺害し、神戸市須磨区の中学校正門に男児の頭部を放置した人物です。口に「酒鬼薔薇聖斗」と書いた犯行声明文を挟ませ、国内を震撼させます。酒鬼薔薇聖斗はこの事件の前にも殺人事件を起こしていました。

酒鬼薔薇聖斗は逮捕されて少年院に入った後、2005年に本退院となりました。32歳となった彼は2015年に手記である「絶歌」を刊行。内容の是非をめぐり、絶歌のHPは間もなく閉鎖されます。彼が今どこで何をしているのか、全ては謎に包まれているのです。

星島貴徳(江東マンション神隠し殺人事件)

星野貴徳(1975年〜)
出典:英字新聞社で働くプログラマのブログ

星島は2008年4月18日に、性奴隷目的で拉致した女性を口封じに殺害。更に遺体を切り刻んで処理しました。事件は江東区の某マンションで起こり、女性が神隠しのように消えた事から、大きな騒ぎとなったのです。

星島は四肢切断に異様な執着を見せ、mixiや同人誌でもそれらを題材にした女性を描いていました。星島は逮捕前にマスコミのインタビューに平然と応じる等、無関係のフリを装っていました。2009年9月に無期懲役が確定し、現在は服役中です。

池田容之死刑囚・近藤剛郎(横浜港バラバラ殺人事件)

池田容之(1978年〜)、近藤の写真は見つからず
出典:ACADEMIC BOX

池田死刑囚は2009年6月18日、麻雀店経営の男性と会社員を生きたままチェンソーで切断し、遺体を横浜港に遺棄。池田が所属していた犯行グループはベトナムから覚せい剤を密輸する組織でした。ちなみにグループのグループの元締めが近藤です。

池田は男性達の命乞いに「動くと首が切れないじゃないか」と述べる等、耳を傾ける事はありませんでした。池田は2010年11月16日に死刑判決を受けて収監中です。元締めの近藤は国外逃亡し、所在は全く分かっていません。

角田美代子(尼崎連続変死事件)

角田美代子(1948年〜2015年)
出典:時事 ドットコム

角田は些細な弱みにつけこみ、様々な家庭を乗っ取りながら生きてきました。1987年から2011年にかけて、複数の家族が暴行や虐待により死亡しており、判明している犠牲者行方不明者は10人以上。一連の事件は角田が家族に命じる形で行われていました。

角田は2011年11月に被害者の監禁容疑で逮捕されるものの、一連の事件が発覚するのは2012年の10月頃。角田以外にも10名以上の関係者が逮捕起訴されています。角田は12月12日に留置所で自殺。結果的に事件の全貌は分からなくなりました。

関光彦元死刑囚(市川一家殺人事件)

関光彦(1973年〜2017年) 出回っている写真のうち、一枚は偽物の可能性が濃厚
出典:生い立ち〜今

当時19歳の関元死刑囚は1992年3月6日に、1ヶ月前に強姦した少女(当時15歳)の住むマンションに押し入り、一晩で両親と祖母、妹の4人を殺害。更に殺害現場で1人残された少女を強姦しています。

関は金銭トラブルを抱えており、事件後に少女宅の金品を奪いました。2001年12月21日に死刑判決が下り、2017年12月19日に刑は執行されました。被害者少女は後に結婚し、現在はヨーロッパに住んでいます。

大月孝行死刑囚(光市母子殺害事件)

大月孝行(1981年〜)
出典:管理人のぼやき特集.com

大月死刑囚は1999年4月14日に山口県光市のアパートに侵入し、主婦を殺害した後で強姦。犯行の発覚を恐れ、同室にいた11ヶ月の乳幼児も殺害しました。事件はすぐに発覚し4日後に大月は逮捕されています。逮捕当時の大月死刑囚は自らの非を認めています。

大月死刑囚は当時18歳の少年であった為、世間は「大月が死刑になるのか否か」に注目しました。大月は裁判中に「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」等の供述を繰り返します。

この言動が弁護士の入れ知恵かは不明なものの、大月死刑囚の訴えは認められず、2012年に死刑が確定。現在も服役中です。

宮野裕史・湊伸治・小倉譲(女子高生コンクリート詰め殺人事件)

宮野裕史(1970年〜)・湊伸治(1972年〜)・小倉譲(1971年〜)
出典:academic-box

宮野、湊、小倉の3人は1988年11月から足立区の住宅に女子高生を拉致監禁し、凄惨なリンチを続けて殺害しました。リンチは40日にわたり続き、死体はコンクリート詰めにされて東京湾に捨てられています。

彼らは懲役3〜20年の刑を受けて服役しました。ただ宮野は2013年に振り込め詐欺の受け子、湊は2018年に殺人未遂、小倉は2004年に監禁致傷事件を起こして逮捕されています。少年法に守られた結果、彼らは更生していなかったのです。

宮崎勤元死刑囚(東京・埼玉連続幼女誘拐事件)

宮崎勤(1962年〜2008年)
出典:デイリー新潮

宮崎元死刑囚は1988年8月から1989年6月にかけて、東京や埼玉で4歳から7歳の少女を誘拐。更に少女達を殺害したのです。彼は被害者の遺骨を遺族に送る等、異常な行動を繰り返しました。

7月23日に宮崎元死刑囚は別件で逮捕され、この時に事件の関与を認めました。彼は完全な小児性愛者ではなく、代替的に少女を狙ったとされます。2006年1月17日に死刑が確定し、2008年6月17日に刑は執行。最後まで遺族への謝罪はありませんでした。

林真須美死刑囚(カレー毒物混入事件)

林真須美(1961年〜)
出典:芸能人のあれこれ

1998年7月25日、和歌山市で行われた夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入。67人が搬送され、4人が死亡する事件が起こります。10月25日に知人男性の殺人未遂容疑と保険詐欺で林真由美が逮捕され、12月9日にはカレー事件の件でも再逮捕されました。

林死刑囚は2009年5月16日に死刑判決が確定し、現在も大阪拘置所に収監されています。ただ毒をカレーに混入する動機が林死刑囚にはなく証拠も乏しい為、カレー毒物混入事件については冤罪も疑われています。

宅間守元死刑囚(大阪教育大附属池田小児童殺傷事件)

宅間守(1963年〜2004年)
出典:カミカゼニュース

宅間守元死刑囚は2001年6月8日に附属池田小学校に侵入。刃物で8人を殺害した上、15人に重軽傷を負わせました。宅間元死刑囚は気性の激しい人物で過去に15回の逮捕歴の他、地域住民ともトラブルを引き起こしていました。

消費者金融で借金もあった宅間は世の中に失望し、死刑になる為に無差別殺人を決意。2003年9月10日に死刑が確定し、僅か1年後の2004年9月14日に刑は執行されました。なお死刑確定期間中に宅間は支援者の女性と獄中結婚し、吉岡と名を変えています。

小林薫元死刑囚(奈良小1女児殺人事件)

小林薫(1968年〜2014年)
出典:日本都市伝説.com

小林元死刑囚は2004年11月17日に、奈良市で帰宅途中の女児を誘拐した後で殺害する事件を起こします。彼は幼女へのわいせつ事件を起こした前科があり、出所後は職を転々としていました。事件を起こす前には会社の金を持ち逃けし、逮捕状も請求されています。

小林元死刑囚は口封じの為に女児を殺害し、女児が所有していた携帯電話で家族に電話をかけた他、遺体の写真を社メールで送りつけています。12月30日に小林は逮捕され、2006年10月11日に死刑が確定しました。その後、2013年2月21日に刑が執行されています。

加藤智大死刑囚(秋葉原通り魔事件)

加藤死刑囚は2008年6月8日、秋葉原の交差点に2tトラックで突入し、歩行者5人を撥ねました。更にトラックから降りて、救護する通行人や警察を次々と殺傷。7人が死亡し、10人が重軽傷を負いました。加藤死刑囚はその場で現行犯逮捕されています。

彼は厳しく閉鎖的な母親の教育を受けて育った他、インターネットの掲示板でもトラブルを起こしていました。2015年2月17日に死刑が確定し、現在は服役中です。加藤元死刑囚の家族も厳しい批判に晒され、判決確定前の2014年2月に弟は自殺しています。

植松聖死刑囚(相模原障害者施設殺傷事件)

植松聖(1990年〜)
出典:ニュース速報 Japan

植松死刑囚は2016年7月26日、相模原市にある知的障害者施設・やまゆり園に侵入しました。そして入居者19人を刺殺した上、入居者・職員26人に重軽傷を負わせる事件を起こします。

植松死刑囚はやまゆり園の元職員でしたが、学生の頃から障害者を否定する発言を度々行なっています。更に刺青や大麻を使用した他、事件の前にも暴行事件を起こして書類送検されていました。

植松死刑囚は2020年3月に死刑判決が下され、現在は服役中です。彼は現在に至るまで、障害者に対する差別的な発言を繰り返しており、反省の余地は全く見られていません。

小平義雄元死刑囚(小平事件)

小平義雄(1905年〜1949年)
出典:有名人の死

小平(おだいら)元死刑囚は1945年から1946年にかけて東京周辺で7件の強姦殺人事件を起こした人物です。彼は7人目の被害女性と交際関係にあり、それが逮捕の決めてとなりました。

彼は元海軍軍人で、1928年の山東出兵でも妊婦の殺害等をしています。また1932年に義父を殺害したものの、1940年に恩赦で出所しました。

彼は極めて危険な人物で、1949年10月5日に死刑が執行されています。事件発覚時は犯人の苗字を「こだいら」と勘違いされる事が多く、当事件を小平(こだいら)事件と呼ぶようになりました。

菊池正元死刑囚(栃木雑貨商一家殺害事件)

菊池正(1929年〜1955年)
出典:気になった事件

菊池元死刑囚は1953年3月17日に、栃木県市羽村で従業員を含む一家4人を絞殺し、金品を強奪しまさた。彼が犯罪を犯したのは、母親の白内障の手術代を捻出する為でした。ただ一連の犯行は許されるものではなく、彼は11月25日に死刑判決を受けています。

やがて母親が村八分に会っている事を知ると、菊池元死刑囚は兄の協力で1955年5月11日に脱獄に成功。逃走するものの、彼はは22日に実家の前で逮捕されます。警察の温情で10分だけ母親と面会した菊池元死刑囚は翌年に死刑が執行されたのでした。

当時は全国各地で脱獄が起きており、拘置所は徹底した改修を断行します。これらの事件を経て脱獄は大幅に減少したのです。

正田昭元死刑囚(バー・メッカ殺人事件)

正田昭(1929年〜1969年)
出典:Wikipedia

元証券会社の社員である正田元死刑囚は1953年7月27日に、新宿のバー・メッカで証券ブローカーを殺害。殺害理由は金目当てで、事件は身勝手かつ無計画に行われています。このような若者の無軌道な犯罪はアブレゲール犯罪と呼ばれました。

正田元死刑囚は10月12日に逮捕され、1963年に死刑が確定。死刑が確定した時、当初は悲観するものの、彼は文通を始めた女性に励まされる形で小説の執筆を開始。小説は「群像」の新人賞候補になります。ただ1969年12月9日に彼の刑は執行されました。

大谷高雄元死刑囚(強盗殺人事件)

犯人の顔写真は見つからず
出典:Wikipedia

大谷高雄は共犯2人と結束し、1948年に神戸市須磨市の歯科医の家に男強盗目的で侵入。駆けつけた警察官を拳銃で殺害したのです。大谷には死刑判決が下り1953年に刑が執行されます。死刑の日程が決まり、実際に死刑が行われる期間は53時間です。

この頃のラジオで「死刑について考える」という企画がありました。大谷は「この53時間の様子」を録音する事を了承し、彼が死ぬ最期の言葉は「先に行っています。極楽では私が先輩ですからね」というものでした。

奥野清元死刑囚(母親バラバラ殺人犯)

死刑囚の単独室(奥村の写真は見つからず)
出典:ニュース picks

奥野元死刑囚は1960年6月8日に母親を殺害。更に遺体をバラバラに処理して遺棄しました。犯人は内向的で母親に従属する人物でした。母親の経営する漬物屋は借金まみれで、息子は命令されるまま周囲にお金を借りていました。

借金返済に悩んだ奥野元死刑囚は、母親を殺害して家を売り、そのお金でお金を返す事を思いついたのです。彼は1年の逃亡の末に逮捕され、1964年に死刑判決がくだり、1967年に刑が執行されました。

奥野元死刑囚の最後の言葉は「お母ちゃん、今いくて、まっとれや」であり、最期まで母親に縛られた人生を送ったのです。

小林カウ元死刑囚(ホテル日本閣殺人事件)

小林カウ(1908年〜1970年)
出典:ねずみブログ

小林元死刑囚は、1952年に保険金目的で夫を青酸カリで毒殺。元々は栃木県塩原温泉郷で土産屋を経営していたものの、ホテル日本閣を乗っ取る為に1960年2月に経営者の妻を殺害。結果的にホテルの女将の座に収まりました。

彼女はホテル経営者の出資話に飛びつくものの、騙されたと知ると同年末に経営者も殺害。結果的に小林元死刑囚は1961年2月に逮捕され、女性として日本初の死刑が言い渡されています。

小林元死刑囚は1970年6月11日に死刑が執行されます。最期の言葉は「長い間お世話になりました。思い残すことは何もありません」でした。

小原保元死刑囚(吉展ちゃん誘拐殺人事件)

小原保(1933年〜1971年)
出典:ASAGEI+

小原元死刑囚は1963年3月31日に、東京台東区に住む4歳の男児を誘拐し、身代金を家族に要求した人物です。身代金を要求した事件で男児は誘拐に殺害されていました。事件解明までに2年3ヶ月を要した事から、当時は戦後最大の誘拐事件と呼ばれました。

1965年7月5日に小原元死刑囚は逮捕され、供述で男児の白骨死体も発見されます。彼は金目当てで裕福そうな子供を狙い、逮捕される期間にも窃盗で逮捕されています。1967年10月13日に死刑が確定し、1971年12月23日に刑が執行されました。

永山紀夫元死刑囚(連続射殺犯)

永山紀夫(1949年〜1997年)
出典:ASAGEI+

永山元死刑囚は1968年10月から11月にかけて、4都道府県で警備員やタクシー運転手ら4人を射殺した人物です。複雑な生い立ちで生まれ育ち、犯行当時は19歳の少年でした。彼は海軍基地から拳銃を窃盗した経歴があり、それがバレる事を恐れて犯行を重ねました。

彼の死刑判決が下るのは1990年5月9日で、1997年8月1日に刑が執行されます。1970年から永山元死刑囚は獄中で文筆活動に励み、数々の賞を受賞。文壇で一定の地位を得ました。生まれた環境が違えば、永山も違う生き方があったのかもしれません。

大久保清元死刑囚(連続強姦殺人犯)

大久保清(1935年〜1976年)
出典:怖い話ネット【厳選まとめ】

大久保元死刑囚は1971年3月から5月の間に、群馬県で8人の若い女性を次々と殺害しました。彼が逮捕されたのは5月13日の事。事件の前にも強姦で逮捕された経歴があり、結婚後も妻に素性を偽って生活していました。

ただ1965年に恐喝未遂で執行猶予判決、1967年に婦女暴行を起こして実刑判決を受けており、この頃から妻との関係は破綻します。大久保元死刑囚は裁判で一切弁明する事はなく、1973年3月9日に死刑が確定。2年半後の1976年1月22日に刑が執行されています。

麻原彰晃元死刑囚(松本智津夫)(オウム真理教教祖・テロリスト)

麻原彰晃(1955年〜2018年)
出典:exciteニュース

麻原元死刑囚はオウム真理教の教祖で、一連のオウム事件を起こした人物です。麻原は日本を乗っ取り、自らが新たな王に君臨する事を画策。教団と対立する人物の殺害や、無差別テロを信者に命じました。

一連の事件の犠牲者は29人、負傷者は6000人以上とされます。1995年5月16日に逮捕されますが、その後は奇行が目立ち、意思疎通が困難となりました。2006年に死刑が確定し、2018年に刑が執行されます。

検察からは「犯罪史上、最も凶悪な犯罪者」と称されました。オウムの団体は生き残った信者により、今も名を変えて存続しています。

オウム真理教とは?起こした事件や幹部、修行法を解説【現在の活動も紹介】

陸田真司元死刑囚(SMクラブ下克上殺人事件)

睦田真司(1970年〜2005年)
出典:new see

品川区でSMクラブを経営していた陸田真志は、1995年7月21日に経営方針で対立する経営者と店長を兄や従業員らと共に殺害。遺体を他の者に命じてコンクリート詰めにして茨城県の鹿島港に遺棄しました。彼らは金品を下ろした事で足がつき、自首しています。

獄中で睦田元死刑囚は自分達が起こした罪の重さに気づき、裁判でも反省の意を述べました。しかし計画性や残忍性から2005年10月17日に死刑が求刑され、2008年6月17日に刑は執行されました。

獄中の彼の生き方に影響を与えたのが、哲学者の池田晶子です。両者の対話は「死と生きる-獄中哲学対話-」として書籍化されています。

山地悠紀夫元死刑囚(連続殺人犯)

山地悠紀夫(1983年〜2009年)
出典:青春complex

山地元死刑囚は2005年11月17日に、大阪府浪速区でマンションに住む姉妹を殺害します。彼は2000年(当時16歳)の頃に母親を金属バットで殺害した前科がありました。今回の犯行も「人を殺した快感が忘れられない」という理由でした。

公判で山地は「物を壊す事と人を殺す事同じ」と主張。反省の気持ちは全くないまま、2006年12月13日に死刑判決が下り、2009年7月25日に死刑は執行されます。25歳での死刑執行は37年ぶりの事でした。山地は反省の意味を知らぬまま、死刑台に立ったのです。

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