世界&日本の有名な死刑囚・凶悪犯罪者一覧まとめ【事件の詳細も解説】

テッド・バンディ元死刑囚(アメリカ:連続強姦殺人事件)

デッド・バンディ(セオドア・ロバート・バンディ)(1946年〜1989年)
出典:Wikipedia

バンディ元死刑囚は1974年から1978年の間に7つの州で30人以上を殺害。バンディは端正な容姿を利用して女性を人里離れた場所に連れて行き、強姦の末に殺害を繰り返していました。更に女性を殺害した現場に再び現れ、再度の強姦や遺体の損壊も行っています。

彼は法学を学んでおり、法廷では自らが弁護人を担当。その容姿から刑務所にラブレターが届いた他、無罪を信じる女性と獄中結婚もしています。1892年には子どもも産まれたものの、1989年に電気椅子による刑が執行されました。

彼は複数の人間を一定の期間を空けて、淡々と犯行を繰り返しました。シリアルキラーという言葉はバンディを表現する為に生まれた言葉だったのです。

テッドバンディってどんな人?映画のあらすじや連続殺人鬼の犯行、生い立ちについても解説

アルバート・フィッシュ元死刑囚(アメリカ:グレース・バッド殺人事件)

アルバート・フィッシュ(1870年〜1936年)
出典:Wikipedia

彼は1910年から1934年の間に400人(正確な人数は不明)の児童を殺害した人物です。肉を食べる為に殺害されたケースもありました。満月の夜に殺害を行った経緯もあり「満月の狂人」の異名を持っています。アメリカ犯罪史最悪の殺人鬼とも呼ばれています。

彼は精神疾患患者の多い家系で生まれ、鞭打ちの体罰のある孤児院で育ちます。この環境が彼に極度のサドマゾ嗜好を与えました。後に彼は逮捕され、1936年に死刑が執行されます。死刑を彼は「一生に一度しか味わえない、最高のスリル」と述べたとも言われます。

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アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ(ソ連:連続殺人犯)

アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ(1939年〜1994年)
出典:Wikipedia

1978年から1990年にかけてソ連で52人を殺害した人物です。当時のソ連は社会主義国で「連続殺人は資本主義の弊害」という考えが一般的でした。チカチーロ元死刑囚の存在は崩壊寸前のソ連に大きな衝撃を与えています。逮捕から1年後にソ連は崩壊しました。

チカチーロ元死刑囚は妻子を持ち、ある程度の社会的地位を保ちつつも、青年期から性的不能に悩まされていました。これらの抑圧された感情が犯行に繋がったのです。彼は1992年に死刑判決を受け、1994年2月14日に銃殺刑に処されています。

ペーター・キュルテン元死刑囚(ドイツ:連続強姦殺人犯)

ペーター・キュルテン(1883年〜1932年)
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キュルテン元死刑囚は「デュッセルドルフの吸血鬼」として知られ、1929年1月から11月の間にドイツのデュッセルドルフで9人を殺害した人物です。ハンマーによる撲殺やナイフによる刺殺等、殺害方法は様々で、ヨーロッパ全土を恐怖に陥れました。

彼の最初の犯行は9歳の時に川で友達を溺死させた時です。青年期には動物虐待を繰り返していたものの、欲求は人間に向けられていきました。最後まで妻を愛していた事は間違いなく、逮捕直前には自身を通報して報奨金を老後の蓄えにするよう促しています。

キュルテン元死刑囚は1932年にギロチン刑が執行されます。最後の言葉は「私の最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫を噴き出す音をこの耳で聴く事です」というものでした。

カール・パンズラム元死刑囚(アメリカ:連続強姦殺人犯)

カール・パンズラム(1891年〜1930年)
出典:Wikipedia

1920年から1928年の間にニューヨークやアンゴラ等で22人を殺害。遺体をワニに食べさせた事もありました。彼は窃盗などで少年院に入る事もあり、素行の悪さから体罰を受けています。その過程で「力こそ正義」と社会に恨みを向けるようになりました。

パンズラム元死刑囚は1928年に逮捕されるものの、これは窃盗によるもの。殺人を自白するものの立証はされず懲役25年の判決を受けます。収監中に彼は看守の優しさに触れ、涙を流しました。その数ヶ月後に刑務所で殺人を犯し、1930年に絞首刑となります。

1970年に彼が生前に執筆した自伝が出版され、様々な事件の全貌が発覚。ロングセラーとなり、映画化もされているのです。

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