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日本で実際にあった怖い事件について21選【事件の謎や犯人について分かりやすく解説】


今まで、日本では数多くの怖い事件が起きてきました。そのほとんどュースでも報道されてきましたが、時間が経つにつれ私達の記憶から風化されていきます。

そのため、

「過去、日本ではどんな怖い事件が起きたの?」
「事件の内容を詳しく知りたい」

と興味を持つ人もいますよね。

そこで、今回は日本で実際にあった怖い事件や事故21選を解説します。この記事を読めば、過去起きてきた事件の概要やその怖さを知ることができますよ。

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この記事を書いた人

Webライター

吉本 大輝

Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。

日本で実際にあった怖い事件21選

三毛別羆事件 – 1915年

事件の跡地に再現された巨熊の姿
出典:Wikipedia

三毛別羆事件は1915年12月に北海道の苫前村三毛別で起きた熊害(ゆうがい)事件です。冬眠に失敗したヒグマが餌を求めて開拓民の村を襲撃。5日間のうちに7人の死者と3人の重症者を出す日本史上最悪の熊害となりました。

通常の雄のヒグマの体長は2.0-2.8m、体重は250-500kg程です。この時のヒグマは2.7m、340kgとかなりの大柄な体格でした。最終的にヒグマは伝説の猟師である山本兵吉により射殺されています。

一度風化された三毛別羆事件ですが、事件から50年を経て、ノンフィクション作家の木村盛武の手により証言録がまとめられました。1994年には書籍としてまとめられ、現在ではネット上でもこの熊害事件の凄惨さが語られるようになったのです。

津山事件 – 1938年

犯人の都井睦雄
出典:Wikipedia

津山事件は1938年5月21日未明に現在の津山市にあった貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件です。わずか2時間のうちに30人が殺害され(うち2人は重症ののちに死亡)、3人が重症を負っています。

犯人の都井睦雄は改造猟銃と日本刀で集落の住人を次々と虐殺し、犯行を終えた後に集落から3.5km離れた荒坂峠の山頂で猟銃で心臓を撃ち抜いて自殺。都井が自殺したため、事件については生存者による証言しか残っていません。

貝尾集落は現在は限界集落となり、事件当時から貝尾に居住している一族は1人もいません。現地では風化されつつある津山事件ですが、横溝正史の小説「八つ墓村」のモデルになる等、未だに多くの人達の心に強烈に焼きついているのです。

ひかりごけ事件 – 1944年

知床にある番屋(事件のものとは別)
出典:Wikipedia

ひかりごけ事件は1944年5月に発覚した死体損壊事件です。1943年12月に7人の乗組員を乗せた日本陸軍の徴用船が知床岬で座礁。猛吹雪の中、番屋にたどり着いたのは29歳の船長と18歳の乗組員の2人だけでした。やがて18歳の乗組員は1ヶ月後に死亡します。

船長は乗組員の遺体を食べて生き延び、2月に無事に生還。船長は「奇跡の人」と呼ばれるものの、警察や軍部は船長の言動や生還の状況の不自然さから食人を疑いました。5月には番屋で乗組員の遺体が見つかり、船長は殺人と死体遺棄の容疑で逮捕されました。

船長は殺人は否定したものの、食人は認めており、懲役1年の判決が下りました。刑法には「食人」の規定がなく、行為自体は罪に問われていません。1954年には武田泰淳が本事件をモチーフにした「ひかりごけ」を執筆しています。

船長は1989年に死去するまで、事件の事を多くは語りませんでした。「自分は死刑でも足りない」と自殺未遂を図った事もあり、噂が一人歩きする中でもそれらを否定する事なく、罪の意識を背負いながら生き続けたのです。

長岡京ワラビ採り殺人事件 – 1979年

被害者のポケットから見つかったメモ
出典:恐怖体験や殺人事件都市伝説ほかの駄文

長岡京ワラビ採り殺人事件は1979年5月23日に京都府長岡京市の山林でワラビ採りをしていた主婦(43歳と32歳)が殺害された事件です。43歳の主婦は30カ所以上も殴打され、体内から犯人の体液が発見され、32歳の主婦も50カ所以上を殴打されていました。

43歳の主婦の衣類から「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と書かれたレシートが発見されています。犯人の候補は挙がるものの、1994年に事件は時効を迎えました。

この事件から5年後に同じ長岡京市で48歳の主婦が全身を滅多刺しにされ、布団を巻かれて自宅に火をつけられて殺害される事件が発生します。この主婦は長岡京ワラビ採り殺人事件で殺害された主婦の友人で、事件当日にワラビ採りをする予定だったと言われます。

2つの事件に関連性はあるのかは不明です。5年後に起きたこの事件も未解決となっています。

三菱銀行人質事件 – 1979年

犯人の梅川昭美
出典:海Cafe2

三菱銀行人質事件は1979年1月26日に大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店で起きた銀行強盗事件です。犯人の梅川昭美は15歳の時に強盗殺人の前科があり、この事件を起こしたのは30歳の時でした。

梅川は行員2人と駆けつけた警官2人を射殺。行員と客39人を人質に立てこもったのです。更に梅川は女性行員を全裸にして肉の盾にしたり、人質に死亡した(と梅川が思っていた)行員の耳を削ぎ落とすように命令するなど、猟奇的な行動を繰り返しました。

1月28日午前8時41分に警察が突入を決行。梅川は頭と首、胸に銃弾を浴び、病院に搬送されるものの午後5時43分に死亡します。この事件以降、人質の射殺により解決した立て篭もり事件はありません。

北関東連続幼女誘拐殺人事件 – 1979〜1996年

北関東の河川敷
出典:Wikipedia

北関東連続幼女誘拐殺人事件は1979年から1996年にかけて、栃木県と群馬県の県境近辺で起きた女児誘拐殺人事件の総称です。この20年の間、半径20km以内の小さな範囲で5件の誘拐事件が起きており、全てが未解決事件となっています。

全ての事件が同一犯かは不明も、3つの事件で行方不明の現場がパチンコ店であり、遺体が河川敷で遺棄されています。更に4つの事件は金曜〜日曜、祝日に起きており、共通点があります。

1990年に起きた事件は足利事件と呼ばれ、菅家利和さんが逮捕され無期懲役の判決を受けます。ただその後も事件は起きており、遺留物から発見されたDNAも別物である事が発覚。彼は2010年に釈放されています。

北関東連続幼女誘拐殺人事件は同一犯によるものなのか、犯人は今どこにいるのか、全ては闇の中です。

ホテルニュージャパン火災 – 1982年

火災の様子
出典:時事ドットコム

1982年2月8日、千代田区にあるホテルニュージャパンで大規模な火災が発生。10階建のホテルのうち7階から10階が9時間にわたり燃え続け、33人の死者と34人の重症者を出しました。

火災の宿泊客の寝タバコが原因ですが、根本的原因はオーナー兼社長の横井英樹の利益優先の経営体制です。ホテルにはスプリンクラーの設置もされず、従業員への防災教育は一切されていませんでした。後に横井は禁錮3年の実刑判決を受けています。

この事件の翌朝には日本航空350便墜落事故が発生し、マスコミや東京消防庁は対応に追われました。この火災は防災のあり方を見直す契機になったのです。

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