5位:野口英世 – 明治時代
野口英世は、明治時代から大正時代にかけて活躍した人物です。細菌学者として、アフリカや中南米で猛威を振るった黄熱病の研究に従事。研究中に黄熱病で亡くなったことは有名ですね。
後に野口が在籍していたロックフェラー研究所は、野口のことを「古今を通じて最大の細菌学者の1人」と評しました。
また、黄熱病の研究に携わった1人として南米では野口の名前を用いた施設が多数あります。多くの命を救おうと奮闘した野口の姿に、世界中が心打たれました。
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4位:杉原千畝(すぎはら-ちうね) – 昭和時代
杉原千畝は、昭和時代に活躍した人物です。杉原は、ドイツからの迫害を逃れるユダヤ人にビザを発行したことで知られていますね。
第二次世界大戦中、リトアニアの日本領事館領事代理だった杉原は、迫害を逃れて日本領事館までやってきたユダヤ人難民を目撃。ユダヤ人難民を救うため、ビザを発行しました。
命令に背いてまでユダヤ人難民6000人の命を救ったビザは、「命のビザ」と呼ばれています。また、杉原はユダヤ人1200人を救ったドイツ人オスカー・シンドラーにちなんで、「東洋のシンドラー」と呼ばれました。
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3位:本田宗一郎 – 昭和時代
本田宗一郎は、昭和時代に活躍した人物です。本田の名前からわかるように、有名自動車メーカーホンダの創業者。本田は、1948年に本田技研工業株式会社(ホンダ)を設立しました。
ホンダでは、オートバイを中心に世界展開を果たします。1970年代には低公害車用のエンジンを開発し、アメリカの大気浄化法案を世界に先駆けて達成しました。
そのような功績から1989年に、アメリカの自動車殿堂入りを果たします。これは本田がアジア人初のことで、「世界のホンダ」として更なる発展を遂げる機会となりました。
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2位:宮崎駿(みやざき-はやお) – 平成時代
宮崎駿は、昭和時代から現代にかけて活躍している人物です。ジブリ作品の生みの親として知られ、『もののけ姫』や『となりのトトロ』といった子ども向けのアニメ映画を多数手がけました。
また、2001年に公開した『千と千尋の神隠し』が大ヒット。日本の興行収入1位を2020年まで記録しました。
世界的にも『千と千尋の神隠し』が人気となり、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞します。さらには、アカデミー賞の1つアカデミー長編アニメ映画賞も受賞しました。
ちなみに、2017年にはニューヨークタイムズが選定した21世紀最高の外国語映画ランキングで、2位に選ばれています。
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1位:黒澤明 – 昭和時代
黒澤明は、昭和時代に活躍した人物です。1943年に映画監督デビューを果たした黒澤。1950年に公開した『羅生門』が、1951年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、国際的に日本映画が認知されるきっかけを作りました。
1954年に公開された『七人の侍』は、世界で最も有名な映画の1つとして知られています。その証拠として、2018年に英国放送協会が発表した史上最高の外国語映画ベスト100で、1位を獲得しました。
さらには、ハリウッドを含む全ての映画の中での最高の映画100選で7位に選ばれています。このような背景から「世界のクロサワ」と呼ばれ、映画監督初の国民栄誉賞を受賞する栄誉を受けました。
世界に誇れる日本人偉人に関するまとめ
今回は、世界に誇れる日本の偉業を持った日本人偉人たちをランキング形式で紹介しました。紹介した偉人たちの偉業を振り返ってみると、日本人は海外から影響を受けているばかりでなく、海外に大きな影響を与えたことがわかります。
例えば、ジャポニスムのきっかけになった浮世絵。できて間もないハリウッドで大活躍したスター等々、私たち日本人に誇ってもいいくらいです。まだまだ世界に誇れる偉業を遂げた日本人が多くいますので、これをきっかけに調べてみるのもいいかもしれませんね。
この記事を通して世界に誇れる日本人偉人について興味や関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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