「死刑囚が残した最期の言葉って何だろう?」
「残した言葉にはどんな意図や背景があったの?」
今回は、そんな疑問を持つ人に向け、日本と海外の死刑囚が残した最期の言葉をランキング形式でまとめました。残した言葉の意図や背景も合わせて紹介します。
この記事を書いた人
某週刊誌の元記者
Rekisiru編集部、東条りな(とうじょうりな)。新卒で某有名週刊誌を運営する出版社に入社。8年勤務したのち結婚を機に退社。芸能ネタとネットゴシップ収集が生き甲斐であり趣味であり仕事。現在はWeb系メディアを中心にメディア編集業に従事。
100位:バーバラ・グレアム-強盗殺人犯
「善良な人たちは、常に正しいのですとも」
バーバラ・グレアムは、アメリカの死刑囚です。
1953年に仲間で強盗を行い、住民の未亡人を殺害。後に事件は密告され、彼女たちを含めた3人が死刑判決を受けました。
刑が執行された時、彼女は僅か31歳。3度の結婚を経て3人の子供を授かっていた他、娼婦としての顔もありました。彼女の数奇な運命は、『私は死にたくない』というタイトルで2回にわたり映画化されています。
99位:ジョナサン・グリーン-死体遺棄殺人犯
「俺は無実だ。誰も殺していない。あんたらは無実の人間を殺すのか?この左腕のせいで俺は殺される。ひどく痛い。」
ジョナサン・グリーンは、2000年にテキサス州で12歳の女の子を誘拐し、自宅でレイプした上で殺害した人物です。彼は遺体を自宅の庭に埋めたものの、後に遺体を掘り返して、自宅の椅子に放置しています。
彼は死刑判決が下るものの、最後まで無実を主張。左腕が勝手に犯行を起こしたと述べたものの、その主張は認められる事はなく、刑は執行されました。
98位:佐藤虎美 – 強姦殺人犯
「殺られてたまるかーー!」
佐藤虎美は、1967年に神奈川県藤沢市で女子高生を強姦絞殺の末に死体を遺棄した人物です。
彼は過去に逮捕歴があり、死刑確定後も何度も再審請求を行っていました。ただ1982年に刑は執行されています。
佐藤は体重が100kg以上ある巨漢で、刑の執行時には激しく抵抗し、上記の言葉を遺しています。予定の時間を数分過ぎた(50分も超過した説あり)後に、刑は執行されたのです。
97位:ジョージ・アペル(アップル)-警察殺害犯
「さて、紳士、あなたは焼きたてのアペルを見ようとしています。」
ジョージ・アペルは、1920年代に警察官を殺害し、死刑判決を受けた人物です。当時の処刑は電気椅子が一般的で、皮膚や頭髪の一部は電流で焼かれます。
アペルは駄洒落が好きな男でした。自らの名前であるアペル(アップル)と、電気椅子で焼かれる体をなぞらえて上記の言葉を残したのです。
96位:坂巻脩吉-強姦致死犯
「お先に、先生!お世話になりました。元気でね!」
坂巻脩吉は、1954年に小学2年生の細田鏡子ちゃんを校内で絞殺した人物です。
当時の学校は開かれた空間で、学校のトイレが公衆便所の代用にされていました。事件を契機に、学校の安全対策が推進されます。
坂巻は結核で療養中もヒロポンを常用していました。死刑宣告時は「先生、おれ、死刑になっちゃった」と他人事のように弁護士に話をし、刑が執行される時も無邪気な様子でした。
彼は知的障害も持っていたのかもしれません。