死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

35位:小林カウ-連続殺人犯

小林カウ
出典:昭和ガイド

「長い間お世話になりました。思い残すことは何もありません」

小林カウは、日本で初めて死刑となった女性です。1952~1961年にかけて愛人と結託し、夫やホテル経営者夫婦合わせて3人を殺害しています。

そんな女性の最後の言葉は意外に普通ですが、他にも「捕まったのは事業に失敗したことと同じ」とも語っていたそうです。カウにとって殺害し財産を築くという目標は、人生をかけた大仕事をした感覚だったのかもしれません。

34位:杉村サダメ-連続殺人犯

農薬は毒薬にもなりうる
出典:岡山の街角から

「あの世では被害者の皆さんに会って罪を償いたいと思います」

杉村サダメは1960年に3人の女性を毒殺し、1人を毒物で植物人間にした人物です。彼女は夫と死別後に愛人と暮らすものの、その愛人は実子の養育費を払っていた為、2人の生活は困窮します。

サダメは姑や隣人、行商人に農薬を飲ませて金品を奪うものの、司法解剖で体内から農薬が見つかり反抗を自供。1970年にサダメの刑は執行されます。彼女は小林カウに続く、戦後2番目の女性死刑囚でした。

33位:クレアレンス・レイ・アーレン-連続殺人犯

クレアレンス・レイ・アーレン
出典:Wikipedia

「私の最後の言葉はこれだ。ホカヘーイ、死ぬには良い日だなぁ」

クレアレンス・レイ・アーレンは、1978年にカリフォルニア州で強盗殺人を起こし、更に3人を殺害した罪で死刑判決を受けた人物です。彼は1930年生まれであり、死刑が執行されたのは2006年の事でした。

彼は、高齢を理由に死刑に対する穏便な対応を望みましたが、それは叶いませんでした。死刑を彼は、身勝手ではあるものの、全ての恵みに感謝しながら死んでいったのです。

32位:ベニー・デンプス-連続殺人犯

ベニー・デンブス
出典:世界の猟奇殺人者

「わたしはここで切り刻まれた。ものすごい痛さだ。彼らはももに切り込みを入れ、足に切り込みを入れ、血は吹き出まくっている。こんなのは処刑じゃない。殺人だ」

ベニー・デンプスは1971年にフロリダ州で、強盗目的で2人を殺害し、1976年に刑務所で囚人1人を殺害した人物です。

2人を殺害して逮捕された頃のアメリカは死刑制度を廃止しており、彼は死刑を回避し終身刑になりました。

アメリカは1976年から死刑が復活しており、彼は囚人殺しが要因で死刑となります。彼の死刑は2000年に致死量の注射による方法で執行されますが、それは強い恐怖と痛みを伴うものでした。

31位:ウェストリー・アラン・ドッド-幼児連続殺人犯

ウェストリー・アラン・ドッド
出典:エディターズチョイス

「以前、性犯罪者は更生できるのかという質問にノーと答えたが、わたしは間違っていた。性犯罪者には希望も平穏もないと言ったが、それも間違いだ。私はイエス・キリスト、神を通して希望と平穏を手に入れた。心の平和を、平穏が欲しければ神を頼ればよい」

ウェストリー・アラン・ドッドは、1989年にアメリカで3人の少年を性的暴行で殺害した罪で死刑判決を受けた人物です。この他にも、30人以上の少年少女が被害を受けていました。

彼は幼少期に育児放棄で虐待されながら育ち、少年達に性的興奮を覚えるようになります。刑は1993年に執行されましたが、最後まで被害者達に対する謝罪はなく、自分が行った罪の数々を誇らしげに語っていたのです。

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