エリザベス1世とはどんな女王?【家系図、名言や功績も紹介】

エリザベス1世の生涯年表

1533年 – 0歳「エリザベス1世誕生」

女の子の赤ちゃん

エリザベス1世誕生

1533年、エリザベス1世はイングランド国王であるヘンリー8世とアン・ブーリンとの間に生まれます。母アンは2番目の妃であり、最初の妃は男児を産めなかったという理由で離婚されていました。

そこで、愛人であるアンと当時の宗教を改革して無理矢理結婚したのです。しかし、それでも生まれてきたのは最初の妃と同じく女児エリザベスでした。

王位相続人となる

望んでいた男児ではなかったものの、エリザベス1世はヘンリー8世の子供としてイングランドの王位推定相続人となります。その一方で、異母姉妹である姉メアリーは地位を奪われてしまいました。

そして、エリザベスを産んだ後、アンは男児を妊娠しましたが流産してしまいます。ヘンリー8世の望む男児を産めなかったことから、彼女もヘンリー8世の寵愛を失ってしまいました。

1536年 – 2歳「母アン・ブーリン斬首」

母アン・ブーリンが斬首される

二度の流産をした母アンが不義密通(現在でいう不倫)という免罪を受けて、1536年にロンドン塔にて斬首されます。エリザベス1世は僅か2歳8か月で母親を失いました。

母を失っただけでなく、エリザベス1世は王女としての称号も剥奪。ヘンリー8世の正真正銘の嫡出子でありながら、庶子(本妻以外から生まれた子)とされてしまったのです。父ヘンリー8世の横暴さが分かりますね。

父に振り回される日々と高等教育

最初の妃と無理矢理離婚し、2番目の妃を斬首させてもヘンリー8世は懲りません。すぐに新しい女性と結婚し、念願の男児を授かります。しかし、その後も離婚と再婚を繰り返し、合計で6人もの妻を持ちました。

エリザベス1世は、母を処刑した上に何度も婚姻を繰り返す父を疎ましく思いつつ、日々を過ごします。しかし、最後の王妃キャサリン・パーの助力により、1543年に王位継承権を取り戻すことができました。

キャサリン・パー

それに加えて、キャサリンはエリザベス1世によって素晴らしい教育を受けます。学問に興味があったエリザベス1世にとってこの時期は幼少期の中で唯一穏やかな日々でした。この高等教育と勤勉な性格おかげで、エリザベス1世は多くの多言語や音楽、文学、文化の知識を身につけたのです。

1547年 – 14歳「父ヘンリー8世死去」

ヘンリー8世

父ヘンリー8世の死

エリザベス1世とイギリス王家を多大に振り回したヘンリー8世が55歳で死去。イングランド王位は異母兄弟のエドワード6世へと移りました。彼も父と同じように宗教改革などの政策に取り組みましたが、1553年に15歳の若さで亡くなります。

エリザベス1世はエドワード6世の治世の間、父ヘンリー8世の最後の王妃キャサリンに引き取られました。

継母の再婚相手との恋

自分を救ってくれたキャサリンとの関係は、エリザベス1世にとって非常に大切なものでした。しかし、その関係にヒビをいれる人物が登場します。キャサリンの再婚相手であるトマス・シーモアです。

トマス・シーモア

彼はすでに40歳でしたが、野心家であり、王位継承権を持つエリザベス1世に魅惑的に近づきました。その当時、エリザベス1世は思春期真っ盛りの14歳。トマスの思惑など気づきもせず、彼と親密な関係になります。そして、それに気づいたキャサリンによって屋敷を追い出されてしまったのです。

その上、トマスはキャサリンが病で亡くなると図々しくもエリザベス1世に結婚を望みますが、反逆罪に問われ斬首されました。この思春期の苦い恋の経験は、後々のエリザベス1世の恋愛観に大きな影響を与えたという説があります。

1553年 – 20歳「メアリー1世が即位」

メアリー1世

異母姉妹のメアリー1世が女王として即位

エドワード6世が亡くなり、その後後を継いだジェーン・グレイも9日間の在位で終わりました。そして、その後にイングランド女王として即位したのが、エリザベス1世の異母姉妹であるメアリー1世です。

彼女の即位によってイングランドの情勢は勢いよく変化します。彼女はカトリック教徒だったことから、同じカトリック教徒のスペイン王の息子フェリペ2世との結婚を望みました。父ヘンリー8世の宗教改革を止め、カトリックを復活させようとしたのです。

ワイアットの乱が勃発

急速な宗教転換の方法にイギリス国民には不満が募り、反乱が起こります。ワイアットの乱です。

首謀者はトマス・ワイアット。イングランドがスペインの影響を受けてカトリック化することへの脅威から反乱を起こしたとされています。また、宗教とは関係なくイングランドが外国に支配されることを嫌ったことも反乱理由の一つです。

トマス・ワイアット

しかし、3000人の兵を率いて反乱を起こしたものの鎮圧され、トマス・ワイアットは斬首されます。そして、この反乱によってエリザベス1世にも思わぬ火の粉が降りかかりました。

1554年 – 21歳「エリザベス1世、ロンドン塔へ収監」

ロンドン塔

エリザベス1世がロンドン塔へ収監される

ワイアットの乱の後、エリザベス1世は反乱に加わったとしてロンドン塔に収監されます。彼女は非常に怯えながらも、無実を訴えました。

エリザベス1世は1年間幽閉され、あわや処刑されるところでしたが、無事に解放されます。父に母を処刑され、今度は異母姉に自分が処刑されかけたエリザベス1世。この恐怖の出来事は彼女の心に深く刻まれました。

女王メアリーの失敗

エリザベス1世を処刑しなかった女王メアリーですが、望み通りスペイン王の息子フェリペ2世と結婚します。しかし、国民からの信頼は最悪なものでした。

メアリーの夫フェリペ2世

メアリーは敬虔なカトリック教徒であり、プロテスタントを厳しく弾圧したのです。女性や子供も関係なく、300人ものプロテスタント派を処刑し、「血まみれのメアリー」と呼ばれるようになりました。

その上、妊娠したかに見えたのも想像妊娠であり、これによって夫の関心もエリザベス1世へと移ってしまいます。極め付けとばかりに、フェリペ2世と結婚したがためにフランスとスペインとの戦争に巻き込まれて、海外の唯一の領土であるカレーを失いました。

1558年 – 25歳「イギリス女王として即位」

戴冠式の時のエリザベス1世

エリザベス1世、イギリス女王として即位

1558年、メアリーが卵巣腫瘍によりこの世を去り、エリザベス1世がイギリス(イングランド)女王として即位。25歳の聡明で美しい女王の誕生に、イングランド中から喜びの声が上がります。

戴冠式前日に市内を練り歩く勝利の行進では、国民からの嘆願や祝いの言葉に耳を傾け、優しく返事をしていました。

そして、ウェストミンスター寺院で戴冠式を執り行ったエリザベス1世は名実ともにイギリス(イングランド)の女王として道を歩み出したのです。

1559年 – 26歳「統一法を制定」

カンタベリー大聖堂の内観

宗教問題を解決するため統一法を制定

女王となったエリザベス1世は、まず国民を悩ませていた宗教問題へと取り組みました。父ヘンリー8世と異母姉メアリーから続く、根深いこの問題を解決するべく、新しい法律を制定します。それが「統一法」でした。

カトリックとプロテスタントの要素を両方とも取り入れたもので、礼拝や祈祷の統一基準が定めてあります。これによって、表面的には宗教的な対立がおさまりました。

カトー・カンブレジ条約の締結

メアリーの代の時に唯一の海外領土を失い、海外におけるイギリスの影響力は弱まりました。エリザベス1世はこれを解決すべく、外交政策に取り組みます。

カトー・カンブレジ条約の締結

まず、フランスとスペインとの戦争を終わらせることが先決でした。そこで、エリザベス1世はフランス側との間でカトー・カンブレジ条約を締結します。これは、フランスがイタリアでの権益を放棄する代わりにカレーをはじめとする領土をフランス領有とするものでした。

この条約によって、フランスとスペインの戦争は終わり、イギリスが巻き込まれることはなくなったのです。

1562年 – 29歳「天然痘に罹り、生死を彷徨う」

天然痘ウイルス

エリザベス1世、天然痘を患う

29歳になったエリザベス1世に突然の病が降り注ぎました。天然痘です。現在でこそ、天然痘は根絶した病となっていますが、エリザベス1世が生きていた16世紀時代は猛威を奮っていました。

天然痘の主な症状は高熱や頭痛、そして膿疱という皮膚疾患です。無事に回復した後も、体に痘痕(あばた)が残ります。女性にとっては、とても辛い病気ですね。

特に、女王として人前に出ざる得ないエリザベス1世にとっては大変な事態です。天然痘を患った後、顔や頭皮に痘痕が残ったため、彼女は化粧やカツラで常に痕を隠していました。

1587年 – 54歳「エリザベス暗殺計画が発覚」

メアリー・スチュアート

エリザベス1世の暗殺計画が発覚する

1587年、とんでもない事が発覚しました。エリザベス1世の暗殺計画です。国民から信頼を得ている女王を誰が殺害しようとしたのでしょうか?

実は、この計画にはスコットランド女王メアリーが大きく関わっていました。彼女はフランス王妃でしたが、夫と死別後に故郷のスコットランドへ帰国し、再婚します。しかし、その夫が殺害されてしまい、その殺害に関与しているとされスコットランドを追われてしまったのです。

そこで、エリザベス1世はメアリーをイングランドへと迎え入れました。しかし、メアリーはカトリック教徒であり、自分こそがイングランド女王にふさわしいと主張していたために周囲の反感を買ってしまったのです。議会はメアリーを処刑するようにと求めましたが、エリザベス1世は同じ女王であったメアリーの処刑を躊躇います。そんな中で、女王暗殺計画が発覚したのです。

スコットランド女王メアリー・スチュワートが処刑される

メアリー・スチュアートの処刑を描いた絵

発覚された女王暗殺計画には、メアリーも関わっていたという証拠がありました。それを受けて、処刑を躊躇っていたエリザベス1世も渋々に処刑執行状に署名します。

しかし、それでもエリザベス1世には躊躇いがあり、国務次官には「早すぎる!」と抗議していました。その抗議も虚しく、1587年にメアリーは斬首されます。44歳でした。

1588年 – 55歳「アルマダ戦争勃発」

アルマダの海戦

メアリーの処刑で諸外国が激怒!?

スコットランド女王メアリーの処刑後、イギリスはスコットランドやフランスをはじめとする諸外国から猛烈な非難を受けました。その中でもスペインのフェリペ2世は強く憤ります。

彼はエリザベス1世の前の女王メアリー1世の夫でしたが、妻の死後に即位したエリザベス1世の統治を快く思っていませんでした。そのため、出来ればメアリー・スチュワートをイングランド女王にしたかったのです。

しかし、そのメアリーも処刑され、エリザベス1世は前から行なっていたスペインに対する海賊行為もやめない。これに業を煮やしたフェリペ2世は、イギリスを征服しようと過激な行動に打って出ます。アルマダの戦争です。

アルマダ戦争が勃発

スペインと海戦を行うことになった、イギリス。しかし、当時のスペイン艦隊は数も多く、その大きさも群を抜いていることから無敵と言われていました。

それに対抗するため、エリザベス1世は当時スペイン船に対して海賊行為を行なっていたフランシス・ドレイクを大英帝国艦隊の司令官に任命。小型で速いイギリス船を用いて、スペイン艦隊と戦いました。

敵船に火を放つ様子

戦いは1週間も続きましたが、イギリス艦隊がスペイン艦隊を狭い海域に誘い込み、火を放ったことでイギリスの勝利に終わります。これがきっかけで、イギリスは海洋において諸外国から恐れられるようになりました。

1603年 – 69歳「エリザベス1世死去」

エリザベス1世の葬送行列

エリザベス1世の死去

独身を貫き、生涯を国のために尽くしてきたエリザベス1世。そんな彼女も迫りくる歳には勝てませんでした。

親しかった友人も次々とこの世を去り、独身のため家族もいないエリザベス1世は徐々に鬱状態になっていきます。そして、遂に1603年69歳でこの世を去りました。

ウェストミンスター寺院

小雨の降る春、エリザベス1世の棺は霊柩車に乗せられ、4頭の馬によってウェストミンスター寺院へと運ばれていきました。ロンドン市民たちは1ヶ月間喪に服し、エリザベス1世を弔ったのです。

テューダー朝の終わりと新しい国王

エリザベス1世の死去とともに、もう一つ終わりを迎えたものがありました。テューダー朝という時代です。テューダー朝は120年間続いた王朝でしたが、エリザベス1世が独身でこの世を去ったため、終わりを迎えました。

そして、新しい国王が誕生します。それは、なんとスコットランド女王であったメアリーの息子ジェームズ6世でした。彼はスコットランドの国王でもありましたが、エリザベス1世の死去によってイングランドの国王にも即位。

ジェームズ6世
(イングランド王ではジェームズ1世)

スコットランド王ジェームズ6世でありながら、イングランドとアイルランド国王ジェームズ1世として即位したのです。こうして、エリザベス1世の時代は幕を閉じ、新しいジェームズ1世の時代が幕を開けました。

エリザベス1世の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

エリザベス1世

16世紀当時のイングランドの時代背景とともに、エリザベス1世の生涯を非常に細かく説明しています。彼女の政治的手腕や一人の人間としての葛藤も書かれていることが魅力です。

特に、エリザベス1世の有名な演説を二つ紹介しており、彼女の言葉や弁論術を知りたい人にはおすすめです。

女王エリザベス 上下

上下巻にわたって、エリザベス1世の真実の顔を分かりやすい文章で紹介しています。彼女の生い立ちから性格、食事の好みまで、エリザベス1世という一人の女性について掘り下げて書かれている伝記です。

図説 エリザベス一世

肖像画や写真などを載せて、エリザベス1世の生涯を分かりやすく解説しています。イギリス史を初めて学ぶ人やエリザベス1世を初めて知った人におすすめの本です。

おすすめの動画

エリザベス1世(Histora Mundi の世界人物史)

学校の歴史の授業のように黒板を用いて、エリザベス1世の人物像について詳しく解説しています。

赤と白のチョークで色分けして見やすく、用語や人物像ついての表現も分かりやすいことが魅力的です。

おすすめの映画

エリザベス

「ロード・オブ・ザ・リング」で有名なケイト・ブランシェットが演じた『エリザベス』。作中では愛人のロバート・ダドリーとの恋に揺れ動く様子や次々と命を狙われる様子が描かれています。

史実と異なる部分もありますが、全体を通してエリザベス1世の人柄や苦悩が伝わる作品です。

エリザベス:ゴールデンエイジ

こちらは『エリザベス』の続編です。作名通り、イギリスの黄金期を築いてきたエリザベス1世を描いています。

主演は前編と同じくケイト・ブランシェットが演じており、女王即位後のエリザベス1世の葛藤をよく表現していました。

ふたりの女王 メアリーとエリザベス

『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』は言うまでもなく、スコットランド女王メアリー・スチュワートとエリザベス1世の関係を描いた映画です。この映画は『エリザベス』『エリザベス:ゴールデンエイジ』を製作したスタッフにより作られました。

キャストは変更していますが、複雑な二人の女王の関係性や男社会で生き抜く強さが見られる作品です。

エリザベス1世についてのまとめ

いかがでしたでしょうか?エリザベス1世は16世紀イギリスの黄金期を生きた女王と称されることが多い人物ですが、その生涯を辿ってみると別の側面が見えてきますね。

父によって母が殺される悲劇、思春期の苦い恋、投獄という事件、女王としての辛い決断、親しい人たちとの別れなど波乱万丈の生涯を送っていました。

エリザベス1世は「女王」としての顔を国民に見せながらも、その裏では一人の「女性」として苦悩していたのです。女王となると少し遠い存在に思えますが、この記事を読んでエリザベス1世を少しでも身近に感じて興味を持っていただけたら幸いです。

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5 COMMENTS

京藤 一葉

コメントありがとうございます!記事を執筆する励みになります。引き続き宜しくお願い致します。

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スナズリ

Wikipediaなど本にあるエリザベスとメアリーの歴史の話しとは、
ここに書いてある内容が違うのは何故ですか?

メアリーは死刑になったとどこも書いてある。

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