【24年1月最新】日本国内の凶悪事件・怖い事件ランキングTOP50

44位:三菱銀行人質事件 – 1979年

犯人の梅川昭美

三菱銀行人質事件は、1979年1月26日に大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店で起きた銀行強盗事件です。犯人の梅川昭美は行員と客30人以上を人質に立てこもり、警察官2名と支店長と行員、計4名を射殺。国内の人質事件では初の死者が出た事件となりました。

梅川は犯行当時は30歳ですが、15歳で強殺事件を起こした前科がありました。梅川が少年院に入る時、裁判官は「少年が今後社会に出れば、再び犠牲者が出る可能性があるが、少年であるがゆえに処罰しえない」と発言。その懸念は現実となったのです。

当時の新聞

梅川は三菱銀行人質事件で女性行員を全裸にして肉の壁にした他、死亡したとされた行員の耳を切り落とさせる等の猟奇的な行動を命じ続けました。立て篭もりは42時間にわたり、最終的には梅川が射殺される事で事件の幕は閉じています。

43位:奈良小1女児殺人事件 – 2004年

犯人の小林薫元死刑囚

奈良小一女児殺人事件は、2004年11月17日に奈良県奈良市で当時小学1年生だった女児が誘拐の末に殺害された事件です。犯人は新聞販売店の従業員・小林薫であり、女児に対する強制わいせつ行為で懲役刑に処された過去がありました。

小林は「女の子に悪戯をしたい」という欲求に駆られ、7歳の女子児童を誘拐。自宅に連れ込んで湯船に沈めて殺害し、わいせつな行為や歯を折る等の死体損壊行為を繰り返しました。

被害者の有山楓さん

小林は女児の携帯電話で「娘はもらった」などの趣旨のメールと少女の写真を母親に送り付けた他、女児の遺体を自宅から離れた場所に遺棄。その後母親の携帯に再度「次は妹を狙う」とメールを送っています。

しかしメールの送信履歴から小林容疑者が浮上し、逮捕にいたっています。逮捕された小林容疑者の自宅からは幼児ポルノのビデオが大量と盗まれたものとみられる女子の下着が沢山あったそうです。小林薫は死刑判決が下り、2013年に死刑が執行されました。

42位:横浜港バラバラ殺人事件 – 2009年

逮捕された池田容之

横浜港バラバラ殺人事件は、2009年6月18日に横浜市で発生したバラバラ殺人事件です。犯人グループはベトナムから麻薬の密輸を行なっており、トラブル関係にあった麻雀店の経営者と従業員をホテルに呼び出し、生きたままチェーンソーで首を切断しました。

犯人グループは8人いて、計画を構想したのはグループの主犯である近藤剛郎、実行犯は池田容之という人物です。被害者が「家族に電話させてください」と懇願する中、池田は「動くと切れないじゃないか」と冷徹な言葉を発しています。

a person holding a chainsaw
池田は生きたままチェーンソーで被害者をバラバラにした

その後犯人たちは遺体を解体し、横浜港や山梨県の山に遺棄。そして池田容之は当初2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後強盗殺人容疑で再逮捕されました。

犯行の動機は、近藤剛郎という男が池田に殺害を依頼、理由は麻雀店の経営を被害者に取られ邪魔な存在だったからだといいます。そのため近藤は池田に殺害を依頼。池田は組織での地位を高めるために犯罪を決行したというのです。

その後池田は逮捕され死刑判決が下され、近藤は逮捕されておらず海外に逃亡。2021年現在も逮捕されておらず国際指名手配されています。

41位:武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 – 2001年

火災で燃え広がる武富士弘前支店
出典:マトリョーシカ 凶悪事件のデータベース

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件は、2001年5月8日に消費者金融会社「武富士」の弘前支店で起きた強盗殺人事件です。武富士に強盗目的で侵入した男が、カウンター越しに混合油を撒き、金銭を要求。店長は要求を拒否した為、男は火をつけて逃走しました。

この放火で5人が死亡し、何とか脱出した4人が重傷を負いました。警察は2002年3月に、小林光弘というタクシー運転手を逮捕します。小林は巧みにアリバイ工作を行い捜査を撹乱していましたが、捜査から逃れる事はできませんでした。

犯人の小林光弘
出典:マトリョーシカ 凶悪事件のデータベース

彼は借金の保証人となり多額の借金を抱え、ギャンブルにも金を注ぎ込んでいました。2007年3月に死刑が確定し、2014年に刑は執行されます。3度にわたり、再審請求を行いましたが、全て棄却。死刑執行時は泣き喚き、糞尿をもらしたとされます。

最期の言葉は『オラは悪ぐね』と、自己本位なものでした。

40位:大阪養子縁組連続殺人 – 2007~2010年

犯人の宇野ひとみ
出典:いもづる新聞.net

さ大阪養子縁組連続殺人は、大阪府高槻市で起きた保険金詐欺殺人事件です。宇野ひとみとその養夫は、知人ら約10名で結成された詐欺グループの主犯。短期間で何度も保険金を得るのは怪しまれる為、結婚・離婚・養子縁組を繰り返していました。

彼女の周辺では養父の交通事故(後に殺害される)、実母の転落死、養女(宇野ひとみの1歳下)の絞殺遺体、夫の自殺など、不審な死が相次ぎました。宇野は養女の殺害と死体遺棄に関与した罪で懲役23年の判決が下り、事件に加担した6人も次々と逮捕されます。

事件には複雑な人間関係があった
出典:広部ハウジング

一連の交通事故や謎の死で、詐欺グループは巨額の保険金を受け取りました。この事件では実母の転落死は刑事事件になっていません。また夫の死は練炭による自殺と判断されますが、夫は宇野の言いなり。全ての罪をなすりつけられた可能性が高いでしょう。

宇野は裁判でも「夫が首謀者で自分は無実」と主張。そのサイコパスぶりから、「平成の毒婦」とも呼ばれています。

39位:永山事件 – 1968年

永山則夫が逮捕された時の写真
出典:いやしの法科大学院

永山事件は、1968年10月から11月に東京・京都・北海道・愛知で起きた4件の殺人事件の総称です。犯人の永山則夫は事件当時19歳。複雑な家庭環境で育ち、中学校の頃には窃盗を繰り返していました。

1968年10月8日、永山は在日アメリカ海軍・横須賀基地内で拳銃を盗み、11日に東京プリンスホテル、14日に京都の八坂神社で警備員を射殺。26日に北海道で11月5日に愛知県でタクシー運転手を射殺。警察は一連の事件を広域重要指定108号事件に指定しました。

永山の著書・無知の涙

1969年4月7日に永山は逮捕され、21年の歳月を経て死刑判決が確定しました。獄中で永山は執筆活動に邁進し、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。才能を開花させます。その後、永山の刑は1997年8月1日に執行されました。

ちなみに永山事件の裁判では、「永山を死刑にする理由」として犯罪の性質や犯行の動機などの9つの要因が提示されました。これを「永山基準」と呼び、死刑を下す基準となっています。

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