【24年1月最新】日本国内の凶悪事件・怖い事件ランキングTOP50

35位:加古川7人殺害事件 – 2004年

犯人の藤城康孝
出典:すそ洗い

加古川7人殺害事件は、2004年8月2日に兵庫県加古川市(旧西住吉村区域)で、発生した連続殺人事件です。犯人の藤城康孝は両隣に住む親類8人を刃物で刺し、7人を殺害。自殺を弟に仄めかすものの、最終的には警察に逮捕されています。

藤城は幼少期から親戚から邪魔者扱いされていると感じ、恨みを持っていました。この地域では「分家する時は無償で土地や家を譲渡する」という決まりがあったものの、親類はそれを拒否。藤城の家は本家が所有し、藤原の母も陰湿なイジメを受けていたのです。

21年に死刑が執行された

ただそれを差し引いても藤城の凶暴な性格は強く、小学校時代には嫌がらせを受けた相手に包丁を持って追いかけた事もありました。この事件は地方特有の陰湿な村社会と、藤城の凶暴性が交錯した悲劇でした。藤城は2015年に死刑が確定し、21年に死刑が執行された。

34位:闇サイト殺人事件 – 2007年

犯人3名の写真
出典:過疎地の町から

闇サイト殺人事件は、2007年に名古屋市で起きた金銭目的の殺人事件です。「闇の職業安定所」で結びついた川岸健司・神田司・堀慶末の3名は「若い女性を拉致して金を奪えばよい」と強盗事件を起こしました。

彼らは帰宅途中の被害者に声をかけ、車に拉致。被害者を選んだ理由は「たまたま通ったから」でした。そして被害者から現金6万2千円とキャッシュカードを強奪。無残に殺害した後で、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に遺棄したのです。

殺害された被害者

その後主犯格の川岸健治が、死刑を免れたいという理由から自首。それから芋づる的に2人も逮捕されました。主犯格の川岸は早期逮捕に貢献したということで無期懲役、神田と堀は死刑が言い渡されましたが、後に堀は無期懲役に減刑。

しかし余罪があったために再度死刑判決が下されました。堀は現在死刑囚として拘置所に収監されていますが、神田は2015年に死刑が執行されました。

33位:宇都宮宝石店放火殺人事件 -2000年

事件を報道する新聞
出典:WONDIA

宇都宮宝石店放火殺人事件は、2006年6月11日に栃木県宇都宮市の宝石店で起きた放火殺人事件です。犯人の篠沢一男は、指輪店の宝石を奪い店内に放火し、店員店長6人を焼死させます。店員は拘束されており、遺体は炭化して性別の判別もつきませんでした。

篠沢は、産業廃棄物処理会社相談役を名乗っていましたが、実際は無職。親の脛をかじり、高級車やブランド品を買い漁り、愛人を囲むなどの生活をしていました。彼が宝石強盗を行ったのは、多額の借金で首が回らなくなった為でした。

犯人の篠沢一男
出典:WONDIA

事件の翌日に篠沢は逮捕され、2007年2月20日に死刑が確定します。2010年7月28日に刑は執行されますが、最期の言葉は「ゴルァ!おまえら、殺す気かー!?」でした。

32位:埼玉愛犬家連続殺人事件 – 1993年

夫婦が経営していたペットショップ・アフリカケンネル
出典:Wikipedia

埼玉愛犬家連続殺人事件は、1993年4月から8月に埼玉県熊谷市で発生した連続殺人事件です。ペットショップを経営する元夫婦の関根元と風間博子は、トラブルになった顧客ら計4人を殺害。この他に3人の男女が失踪していますが、立件されていません。

関根は「ボディを透明にする」として、遺体を店の役員の家で解体。肉は数cm刻みにし、骨は灰になるまで焼却し、それらは山林や川に遺棄されています。失踪者と元夫婦の関連が判明する中、マスコミは大々的に事件を報道し始めます。

関根死刑囚

結果的に事件に協力させられていた役員が犯行を供述。被害者4人の遺体の一部が見つかり、関根と風間は逮捕されました。元夫婦は共に死刑判決を受けたものの、関根は2017年に病死。風間は現在も冤罪を訴えています。

ちなみに店の役員は懲役3年の実刑判決を受けた後で1998年に出所。事件の顛末を著した本を出版しています。

31位:帝銀事件 – 1948年

凄惨な事件現場
出店:Wikipedia

帝銀事件は、1948年1月26日に東京都豊島区の帝銀事件で起きた銀行強盗殺人事件です。東京都防疫班の服を着た男は「近くの家で集団赤痢が発生した。予防薬を飲んでもらいたい」と青酸化合物を飲ませ、それを飲んだ行員や客ら12人が死亡しました。

結果的に8月21日平沢貞通という画家が逮捕されます。平沢は事件前後に詐欺事件を起こしていた他、出所不明の被害総額と同等のお金を預金していた等、不審な点はあったものの、確実な証拠と呼べるものはありませんでした。

犯人とされる平沢貞通
出典:Wikipedia

平沢は拷問のような取り調べを受けた後に犯行を自白しますが、これが警察の圧力である事は明白でした。1955年に死刑判決がくだるものの、彼が無実であるという意見は根強く、刑が執行される事のないまま1987年に95歳で死去しています。

事件当時の日本はGHQの占領下にあり、事件の影には旧軍関係者やGHQの声も疑われています。帝銀事件は戦後有数の凶悪事件であると共に闇の深い事件でもあるのです。

30位:栃木リンチ殺人事件 – 1999年

事件は当初暴走族の喧嘩と思われていたという
出典:Wikipedia

栃木リンチ殺人事件は、1999年12月4日に拉致監禁殺人事件です。犯人は19歳から16歳の少年4人(1人は後から加わった)で、主犯の萩原克彦は過去に傷害と窃盗により検挙された経歴がありました。

3人は被害者から金を巻き上げ、被害者がサラ金から拒絶されると2ヶ月にわたり拉致。「熱湯コマーシャル」と名づけた最高温度のシャワーを浴びせたり、殺虫スプレーのガスに火をつけて浴びせかけたりする苛烈なリンチをしています。

主犯の萩原克彦
出典:MATOMEDIA

被害者は絞殺され、遺体はコンクリートに流し込んで山中に遺棄されます。遺体は表皮の80%が火傷しているというひどい状況でした。犯人たちは遺棄後、「追悼花火大会」といって花火をし、「15年間逃げ切ろう」とビールで乾杯したそうです。

その後、犯人の一人が良心に耐えきれず自首し、残り3名も逮捕されました。この事件は被害者家族が9回にわたり捜査依頼するも、拒絶し続けた栃木県警の不手際が社会問題にもなりました。主犯の萩原と共犯者の梅澤昭博は無期懲役判決をうけ、現在も服役中です。

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