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日本で起きた凶悪事件10選!世界で起きた事件も時系列順に紹介

「過去にはどんな凶悪事件があったの?」
「その凶悪事件ってどんな経緯があって、今はどうなってるの?」

世間には「凶悪事件」とよばれる、恐ろしい事件があります。犯人は、さまざまな動機をもって事件を起こすのですが、なぜこのような大事件を起こしたのでしょうか。日常生活を送るうえで凶悪事件が多発すれば日々の生活も不安になりますよね。

凶悪事件とは、殺人・強盗・放火のことを指しています。今回ご紹介するのは、いずれもおぞましい殺人事件ばかりです。日本と世界の事件をあわせて、事件の概要について解説。また、あわせて関連した映画や本についてもご紹介します。

日本で起きた凶悪な殺人事件【時系列順に紹介】

まずはじめに、日本で起きた凶悪事件をご紹介します。

古いものから記憶に新しいものまで、全部で10個を集めました。なかには、実行犯が逮捕されていないもの、真相が不明のままの事件も。それらもふくめて、10個の凶悪事件について時系列順にご紹介します。

1938年5月:津山三十人殺し

津山三十人殺しの犯人、都井睦雄

わずか2時間のあいだに、村人30人を殺害し、犯人自身も自殺を遂げた事件が「津山三十人殺し」です。現在の岡山県津山市で起きたこと、被害者が30人いることからこうよばれています。

当時、不治の病といわれた結核に感染し、それまで関係をもっていた女性たちに拒絶された都井睦雄は、自分を差別する人間を殺害することを決意。猟銃や鉈を準備し、計画的にこの事件を起こしました。

対象となった集落の人々を、斧や鉈で首を切る、のぞきこんできた人を射殺したのです。最後は都井自身も遺書を残して自殺しました。

津山三十人殺しの捜査をする警察関係者

都井が犯行におよんだ決め手となった理由は、被疑者死亡のため現在もわかっていません。また、都井が自殺してしまったため、この事件は不起訴で捜査が終了しています。

1984~85年:グリコ・森永事件

犯人「かい人二十一面相」のモンタージュイラスト

大阪・兵庫の食品メーカーを中心に実行された一連の脅迫事件の総称が、「グリコ・森永事件」。江崎グリコ社長の誘拐事件を皮切りに、「かい人二十一面相」と名乗る犯人が巻き起こした未解決事件です。

事件名にあるグリコ、森永以外にも、不二家や駿河屋などの食品メーカーの経営関係者とその周辺の人間への脅迫が主で、身代金要求を繰り返していました。しかし、受け渡し場所のこまめな変更や、一度も受け渡し場所に姿を表さなかったことから、犯人逮捕にはいたらなかったのです。

グリコ・森永事件で送られた脅迫文。ひらがなの使い方がより不気味さを増長させている。

この一連の事件には、東京・愛知の小売店をターゲットにした青酸菓子事件も含まれており、殺人未遂事件としても捜査されました。残念ながら、2000年に事件の時効が成立。警察による捜査は完全に打ち切られてしまいました。

1988~89年:女子高生コンクリート詰め殺人事件

事件の被害者(左)と主犯格の少年4人(右の4名)

1989年1月に、東京湾の埋め立て場からコンクリート詰めにされた女子高生の遺体が見つかったことで発覚した事件です。この事件で逮捕されたのはいずれも、当時の少年法が適用される16〜18歳の少年4人でした。

女子高生は前年の11月に誘拐されたのち、強姦され、暴行を繰り返されていました。女子高生が抵抗しようとすると激しいリンチでねじ伏せ、最後は栄養失調もあいまって死亡したのです。遺体の処理に困った少年たちは、ドラム缶に女子高生の遺体を詰め、コンクリートで固めて東京湾の埋立地に遺棄したのでした。

この事件は、当時の少年法改正への世論を強めた事件としても知られています。結局、主犯格の4人には刑法が適用され、最大で懲役20年の実刑判決が言い渡されました。

1995年3月:地下鉄サリン事件

救助にあたる消防隊員と警察関係者

カルト教団「オウム真理教」が起こした事件は数しれませんが、そのなかでも群を抜いて凶悪な事件が「地下鉄サリン事件」です。

1995年3月20日、帝都高速交通営団(現:東京メトロ)で運転中だった地下鉄の車内で、神経毒であるサリンが教団の実行役により散布されました。この事件での死者は14名、負傷者は6400名以上とされ、日本史上最悪の無差別殺人事件といわれています。また、地下鉄サリン事件は、海外でも大きく報道され、無差別テロ事件として世界を恐怖に陥れたのです。

地下鉄サリン事件の詳細を記した記念碑

地下鉄サリン事件は坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並ぶ「オウム三大事件」とよばれています。また、この事件後、不審物を早期発見するために駅からゴミ箱が撤去されるなどの対処がとられるようになったのです。

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1997年5月:神戸市連続児童殺人事件(酒鬼薔薇事件)

犯人「酒鬼薔薇聖斗」からの脅迫文。文面から中学生とは思えない点が、犯人断定の遅れの原因となった。

容疑者は14歳の中学生だった。社会に大きな衝撃をあたえ、実際に少年法改正のきっかけになったのが、「神戸市連続児童殺害事件」です。犯人が自称した名前から「酒鬼薔薇事件」ともよばれています。

事件が起きた「タンク山」の貯水タンクと、そこに立つ被害者の墓

「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物による、小学生2名が殺害された事件。警察は当初、脅迫状の内容などから、成年を容疑者として捜査をしていました。しかし、実際に逮捕されたのは、地元の当時中学2年生であった少年だったのです。少年は、「人間を解体してみたかった」という猟奇的な犯行理由を供述。容疑者の正体もあいまって、世間に大きな波紋を広げたのはいうまでもありません。

この事件をきっかけに、少年法が改正されました。しかし、すでに事件を起こした少年にはこれが適用されず、これもまた大きな話題となったのです。現在、少年は少年院を退院し、更生指導員とともにとある団地で平穏に暮らしているといわれていますが、真偽は定かではありません。

1998年7月:カレー毒物混入事件

事件発生直後に発行された新聞。世間に衝撃をあたえたのはいうまでもない。

1998年に、和歌山県の夏祭り会場で起きた無差別殺人事件が「カレー毒物混入事件」です。本来楽しいはずである夏祭りの会場が、殺人の現場にされてしまった悲しい事件でした。

事件発生当初、警察は食中毒が原因の集団食中毒として捜査をしていました。しかし、被害者の嘔吐物を検証したところ、中から毒物である青酸が検出され事態が一変。別の詐欺事件で逮捕された林が逮捕されました。

林真須美死刑囚。しかし、この事件には冤罪の可能性が残されており、真相は不明なまま。

判決が死刑を言い渡されるまで、林は無罪を主張し続けていましたが、高等裁判所・最高裁判所が上告を棄却したため死刑が確定しました。しかし、林は現在も特別抗告を申請しています。そもそも林が容疑者であるという決定的な証拠がいまだ見つかっていないため、今後の審理がどう動くのか、注目に値します。

1999年4月:光市母子殺害事件

犯人の少年に死刑判決が下ったことを報じる新聞記事。中央の男性は被害者の夫。

強姦致死事件として世間に衝撃をあたえ、さらに被告側弁護団に対する波紋を広げたのが「光市母子殺害事件」です。

容疑者の18歳の少年は、23歳と生後11ヶ月の母子が済むアパートに強姦目的で侵入。抵抗されたことに対して少年は、母親の首を絞めて殺害後に屍姦しました。そして、泣き止まない子どもに腹を立て、子どもも殺害。殺害後は遺体を隠し、財布を持ち去って逃げ去ったのです。

判決で少年は死刑が確定したものの、この裁判の家庭で弁護団が少年の主張と異なることを弁論したため、世間に波紋を広げました。一部では弁護士の懲罰請求運動の動きも見られるほどになり、弁護士の職務に対する問題提起ともなった事件となったのです。

2000年12月:世田谷一家殺害事件

事件の舞台となった被害者宅は、老朽化が進んでいるが現在も残されている。

まもなく21世紀に変わろうかという2000年12月31日、東京都世田谷区の民家で、家族4人が殺害されているのが見つかりました。世にいう「世田谷一家殺害事件」の発生です。

この事件は、犯人の正体はもちろん、殺害の動機や経緯まで、すべてが謎に包まれた未解決事件です。犯人のものと見られる遺留品が見つかっているにも関わらず、捜査は2021年現在も続けられています。状況証拠から、犯人がしばらく家に滞在していたことはわかっていますが、それ以外が一切不明の、非常に気味の悪い事件でもあるのです。

犯人と思われる人物の特徴は、現在も警視庁のホームページに掲載されている

警視庁にプロファイリングされたDNAデータでも犯人は一致せず、なぜこの一家は殺されなければならなかったのかは謎のままです。現在も遺族による活動で、情報提供がよびかけられています。

2001年6月:大阪教育大附属池田小児童殺傷事件

事件の舞台となってしまった、大阪教育大学附属池田小学校

学校の防衛問題に一石を投じた凶悪事件が、宅間守によって起こされた「大阪教育大附属池田小児童殺傷事件」です。

白昼堂々、小学校に侵入した宅間は、もっていた凶器で次々と児童・教師を殺傷。小学1年生1名、2年生7名が殺害されたほか、取り押さえようとした教師含め15名が怪我をしたのです。宅間は公判中も謝罪の言葉を述べることはなく、2004年9月14日に死刑が執行されました。

宅間守死刑囚の死刑執行を報じる新聞記事。判決からわずか1年以内の執行という異例の早さであった。

この事件をきっかけに、各地の学校では放課後には生徒を残さず下校させる、侵入者があればただちに警察に通報するなどのマニュアルが作成されました。幼い命が大量に奪われたこの事件は、学校という施設の安全性を社会に投げかけたのです。

2012年10月:尼崎連続変死事件

主犯である角田美代子。何が目的で事件を起こしたのかは、彼女の自殺により分からなくなってしまった。

奇妙な人間関係を形成した犯人による猟奇的殺人事件が、まだ記憶に新しい「尼崎連続変死事件」です。

この事件は1987年に起きた、女性の失踪事件に端を発し、容疑者の角田美代子を取り巻く人間が殺されていた事件のことです。被害者は全員、角田と血縁を結ばされた人間ばかりでした。角田による奇妙な共同生活・親戚関係を強いられ、洗脳されていったものと思われます。

事件に関わる角田との関係性の図。非常に複雑だが、何らかの血縁関係があることはたしかである。

主犯である角田は逮捕されたものの、2012年12月に留置所で自殺しているのがみつかり、真相は闇の中へと葬られました。この一連の事件で亡くなった人数は、わかっているだけで8名、逮捕されたのは自殺した角田を含め11名におよびます。

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