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凶悪事件30選!日本&世界で起きた殺人事件まとめ【時系列順に紹介】

「過去にはどんな凶悪な殺人事件があったの?」
「その凶悪事件ってどんな経緯があって、今はどうなってるの?」
「日本事件史上一番恐ろしい事件ってなに?」

この記事では、

  • 日本の凶悪な殺人事件20選
  • 世界の凶悪な殺人事件10選(2ページ目

を時系列順に各事件の詳細をまとめました。

今回ご紹介するのは、いずれもおぞましい殺人事件ばかりです。また、あわせて関連した映画や本についてもご紹介します。それでは、どうぞ。

日本で起きた凶悪な殺人事件【時系列順に紹介】

まずはじめに、日本で起きた凶悪事件をご紹介します。

古いものから記憶に新しいものまで、全部で20件を集めました。なかには、実行犯が逮捕されていないもの、真相が不明のままの事件も。それらもふくめて、20の凶悪事件について時系列順にご紹介します。

1938年5月:津山三十人殺し

津山三十人殺しの犯人、都井睦雄

わずか2時間のあいだに、村人30人を殺害し、犯人自身も自殺を遂げた事件が「津山三十人殺し」です。現在の岡山県津山市で起きたこと、被害者が30人いることからこうよばれています。

当時、不治の病といわれた結核に感染し、それまで関係をもっていた女性たちに拒絶された都井睦雄は、自分を差別する人間を殺害することを決意。猟銃や鉈を準備し、計画的にこの事件を起こしました。

対象となった集落の人々を、斧や鉈で首を切る、のぞきこんできた人を射殺したのです。最後は都井自身も遺書を残して自殺しました。

都井が犯行におよんだ決め手となった理由は、被疑者死亡のため現在もわかっていません。また、都井が自殺してしまったため、この事件は不起訴で捜査が終了しています。

1984~85年:グリコ・森永事件

犯人「かい人二十一面相」のモンタージュイラスト

大阪・兵庫の食品メーカーを中心に実行された一連の脅迫事件の総称が、「グリコ・森永事件」。江崎グリコ社長の誘拐事件を皮切りに、「かい人二十一面相」と名乗る犯人が巻き起こした未解決事件です。

事件名にあるグリコ、森永以外にも、不二家や駿河屋などの食品メーカーの経営関係者とその周辺の人間への脅迫が主で、身代金要求を繰り返していました。しかし、受け渡し場所のこまめな変更や、一度も受け渡し場所に姿を表さなかったことから、犯人逮捕にはいたらなかったのです。

グリコ・森永事件で送られた脅迫文。ひらがなの使い方がより不気味さを増長させている。

この一連の事件には、東京・愛知の小売店をターゲットにした青酸菓子事件も含まれており、殺人未遂事件としても捜査されました。残念ながら、2000年に事件の時効が成立。警察による捜査は完全に打ち切られてしまいました。

【真相に迫る】グリコ・森永事件とは?事件の経緯や影響、犯人像も解説

1988年:東京・埼玉連続幼女誘拐事件

宮崎勤元死刑囚
出典:サイコなさえ子の日記

1988~1989年にかけて起きた、4人の幼女を誘拐し殺害した事件です。被害者は4歳から7歳までの幼女で、誘拐した後に暴行、殺害しています。そして新聞社に犯行声明文を送ったり、殺害した少女の遺骨を遺族の自宅に送り付けたりと異常性がありました。

宮崎勤は「今田勇子」と名乗り犯行声明文を送っていた
出典:Quora

犯人の宮崎勤は1989年に八王子で幼い姉妹にわいせつな行為をしているところを、被害者父親に抑えられ逮捕。逮捕後連続殺害への関与を認め再逮捕されました。宮崎勤の家を家宅捜索すると、6000本を超えるビデオテープがありジャンルはアニメ・特撮・ホラー映画などであり、その中から被害者女性へのわいせつ行為を録画したビデオテープも発見されています。

宮崎勤の部屋、事件当時話題になり「オタク」の存在が一躍有名となった
出典:瞬間マジでニュース速報

東京・埼玉連続幼女誘拐事件の影響で「オタク」「ロリコン」という言葉が生まれる社会現象が起きています。逮捕後宮崎は被害者の遺体を食べたなどと供述し精神鑑定が論点となりましたが、結局責任能力有りと判断され死刑が確定。2008年に死刑が執行されました。最後まで遺族へ反省の色がないばかりか、死刑直前に気にかけていたのは鑑賞途中のDVDだったといいます。

1988~89年:女子高生コンクリート詰め殺人事件

事件の被害者(左)と主犯格の少年4人(右の4名)

1989年1月に、東京湾の埋め立て場からコンクリート詰めにされた女子高生の遺体が見つかったことで発覚した事件です。この事件で逮捕されたのはいずれも、当時の少年法が適用される16〜18歳の少年4人でした。

女子高生は前年の11月に誘拐されたのち、強姦され、暴行を繰り返されていました。女子高生が抵抗しようとすると激しいリンチでねじ伏せ、最後は栄養失調もあいまって死亡したのです。遺体の処理に困った少年たちは、ドラム缶に女子高生の遺体を詰め、コンクリートで固めて東京湾の埋立地に遺棄したのでした。

この事件は、当時の少年法改正への世論を強めた事件としても知られています。結局、主犯格の4人には刑法が適用され、最大で懲役20年の実刑判決が言い渡されました。

1995年3月:地下鉄サリン事件

救助にあたる消防隊員と警察関係者

カルト教団「オウム真理教」が起こした事件は数しれませんが、そのなかでも群を抜いて凶悪な事件が「地下鉄サリン事件」です。

1995年3月20日、帝都高速交通営団(現:東京メトロ)で運転中だった地下鉄の車内で、神経毒であるサリンが教団の実行役により散布されました。この事件での死者は14名、負傷者は6400名以上とされ、日本史上最悪の無差別殺人事件といわれています。また、地下鉄サリン事件は、海外でも大きく報道され、無差別テロ事件として世界を恐怖に陥れたのです。

地下鉄サリン事件の詳細を記した記念碑

地下鉄サリン事件は坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並ぶ「オウム三大事件」とよばれています。また、この事件後、不審物を早期発見するために駅からゴミ箱が撤去されるなどの対処がとられるようになったのです。

地下鉄サリン事件とは?経緯や目的、犯人まとめ【被害者の後遺症も紹介】

1997年5月:神戸市連続児童殺人事件(酒鬼薔薇事件)

犯人「酒鬼薔薇聖斗」からの脅迫文。文面から中学生とは思えない点が、犯人断定の遅れの原因となった。

容疑者は14歳の中学生だった。社会に大きな衝撃をあたえ、実際に少年法改正のきっかけになったのが、「神戸市連続児童殺害事件」です。犯人が自称した名前から「酒鬼薔薇事件」ともよばれています。

事件が起きた「タンク山」の貯水タンクと、そこに立つ被害者の墓

「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物による、小学生2名が殺害された事件。警察は当初、脅迫状の内容などから、成年を容疑者として捜査をしていました。しかし、実際に逮捕されたのは、地元の当時中学2年生であった少年だったのです。少年は、「人間を解体してみたかった」という猟奇的な犯行理由を供述。容疑者の正体もあいまって、世間に大きな波紋を広げたのはいうまでもありません。

この事件をきっかけに、少年法が改正されました。しかし、すでに事件を起こした少年にはこれが適用されず、これもまた大きな話題となったのです。現在、少年は少年院を退院し、更生指導員とともにとある団地で平穏に暮らしているといわれていますが、真偽は定かではありません。

1998年7月:カレー毒物混入事件

事件発生直後に発行された新聞。世間に衝撃をあたえたのはいうまでもない。

1998年に、和歌山県の夏祭り会場で起きた無差別殺人事件が「カレー毒物混入事件」です。本来楽しいはずである夏祭りの会場が、殺人の現場にされてしまった悲しい事件でした。

事件発生当初、警察は食中毒が原因の集団食中毒として捜査をしていました。しかし、被害者の嘔吐物を検証したところ、中から毒物である青酸が検出され事態が一変。別の詐欺事件で逮捕された林が逮捕されました。

林真須美死刑囚。しかし、この事件には冤罪の可能性が残されており、真相は不明なまま。

判決が死刑を言い渡されるまで、林は無罪を主張し続けていましたが、高等裁判所・最高裁判所が上告を棄却したため死刑が確定しました。しかし、林は現在も特別抗告を申請しています。そもそも林が容疑者であるという決定的な証拠がいまだ見つかっていないため、今後の審理がどう動くのか、注目に値します。

1999年4月:光市母子殺害事件

犯人の少年に死刑判決が下ったことを報じる新聞記事。中央の男性は被害者の夫。

強姦致死事件として世間に衝撃をあたえ、さらに被告側弁護団に対する波紋を広げたのが「光市母子殺害事件」です。

容疑者の18歳の少年は、23歳と生後11ヶ月の母子が済むアパートに強姦目的で侵入。抵抗されたことに対して少年は、母親の首を絞めて殺害後に屍姦しました。そして、泣き止まない子どもに腹を立て、子どもも殺害。殺害後は遺体を隠し、財布を持ち去って逃げ去ったのです。

判決で少年は死刑が確定したものの、この裁判の家庭で弁護団が少年の主張と異なることを弁論したため、世間に波紋を広げました。一部では弁護士の懲罰請求運動の動きも見られるほどになり、弁護士の職務に対する問題提起ともなった事件となったのです。

1999年:市川一家殺人事件

当時19歳だった加害者S
出典:SHIRITGIRL

市川一家殺人事件は1999年、千葉県市川市で起きた一家4名殺害事件です。犯人の加害者少年S(19歳)は、行きずりの少女を強姦し後日金目当てで少女宅を侵入、一夜で一家4名を殺害しました。

加害者Sは夜にコンビニに買い物に来ていた高校生の少女を車で引いて、全治2週間の怪我を負わせた上2回強姦、その後手足を縛り付け生徒手帳と金品を強奪しました。そして後日生徒手帳から身元を辿って少女宅に潜入。自宅には少女の祖母がおり、脅して金品8万円を強奪。その後祖母が警察に通報しようとしたため、絞殺してしまいました。

殺人事件が起こった現場
出典:SHIRITGIRL

その後少女の母が帰ってくると刃物で殺害し、少女が帰ってくると脅して再び強姦しています。そして少女の父が帰ってきても同じように刺殺し、少女に父親の勤め先にお金を要求させに向かわせています。そして少女が帰ってくると何度も強姦し、迎えに来ないために保母に連れられて帰宅した少女の妹も殺害しました。その後父親の会社の従業員が不審に思い警察に通報。警察が被害者宅に向かい、逮捕に至りました。

裁判により加害者Sは死刑判決が下り、控訴しますが判決は覆ることはありませんでした。そして2017年死刑執行されています。

1999年:栃木リンチ殺人事件

事件は当初暴走族の喧嘩と思われていたという
出典:Wikipedia

1999年に栃木県で某自動車会社に勤務する当時19歳の少年が殺害された事件です。発見時、表皮の80%が火傷しているというひどい状況で発見されました。事件の犯人は4名で、そのうちの3名は16歳から19歳という未成年でした。

4人は被害者から金を巻き上げ、金が尽きると「熱湯コマーシャル」と名づけた最高温度のシャワーを浴びせたり、殺虫スプレーのガスに火をつけて浴びせかけたりする苛烈なリンチをしています。

その後被害者をネクタイで絞殺し、コンクリートに流し込んで山中に遺棄しています。犯人たちは遺棄後、「追悼花火大会」といって花火をし、「15年間逃げ切ろう」とビールで乾杯したそうです。

しかしその後、犯人の一人が良心に耐えきれず自首し、犯罪を自供。その後残り3名が逮捕されました。4名中2名は無期懲役、1名は懲役5年~10年が課せられています。この事件は被害者家族が9回にわたり捜査依頼するも、拒絶し続けた栃木県警の不手際が社会問題にもなりました。

2000年12月:世田谷一家殺害事件

事件の舞台となった被害者宅は、老朽化が進んでいるが現在も残されている。

まもなく21世紀に変わろうかという2000年12月31日、東京都世田谷区の民家で、家族4人が殺害されているのが見つかりました。世にいう「世田谷一家殺害事件」の発生です。

この事件は、犯人の正体はもちろん、殺害の動機や経緯まで、すべてが謎に包まれた未解決事件です。犯人のものと見られる遺留品が見つかっているにも関わらず、捜査は2021年現在も続けられています。状況証拠から、犯人がしばらく家に滞在していたことはわかっていますが、それ以外が一切不明の、非常に気味の悪い事件でもあるのです。

犯人と思われる人物の特徴は、現在も警視庁のホームページに掲載されている

警視庁にプロファイリングされたDNAデータでも犯人は一致せず、なぜこの一家は殺されなければならなかったのかは謎のままです。現在も遺族による活動で、情報提供がよびかけられています。

2001年6月:大阪教育大附属池田小児童殺傷事件

事件の舞台となってしまった、大阪教育大学附属池田小学校

学校の防衛問題に一石を投じた凶悪事件が、宅間守によって起こされた「大阪教育大附属池田小児童殺傷事件」です。

白昼堂々、小学校に侵入した宅間は、もっていた凶器で次々と児童・教師を殺傷。小学1年生1名、2年生7名が殺害されたほか、取り押さえようとした教師含め15名が怪我をしたのです。宅間は公判中も謝罪の言葉を述べることはなく、2004年9月14日に死刑が執行されました。

宅間守死刑囚の死刑執行を報じる新聞記事。判決からわずか1年以内の執行という異例の早さであった。

この事件をきっかけに、各地の学校では放課後には生徒を残さず下校させる、侵入者があればただちに警察に通報するなどのマニュアルが作成されました。幼い命が大量に奪われたこの事件は、学校という施設の安全性を社会に投げかけたのです。

2002年:北九州監禁連続殺人事件

犯人の松本太と緒方純子
出典:Sharetube

福岡県北九州市で7人が監禁・殺害された事件です。犯人は松永太死刑囚と緒方純子受刑者の2名です。松本は内縁の妻・純子と共に被害者を監禁した上でマインドコントロール下におき、自らは手を下さずに殺し合いをさせました。

2002年監禁されていた17歳の女性により事件が発覚。内縁の妻純子の両親や妹、妹の夫、子供に至るまで計7名が殺害されました。この事件で有名なのが内縁の妻純子を含めた監禁者に行った「通電」で、電気コードの先に金属製のクリップをつけ、体に接触させて1000ボルトの電流を流していました。

松本は純子にも通電を繰り返し、純子の右足の薬指と小指は火傷で癒着しているほどだったといいます。松本は監禁している人たちに、通電で脅し殺害を強要。遺体はお風呂で解体させていました。逮捕後松本は2011年に死刑判決、内縁の妻純子には無期懲役の判決が下されています。

2004年:奈良小1女児殺人事件

犯人の小林薫元死刑囚
出典:NeeSee

2004年に奈良県で当時小学1年生だった女児が誘拐・殺害された事件です。犯人は新聞販売店の従業員・小林薫で家宅捜索により女児のランドセルや衣服が見つかり逮捕されました。

ことの経緯は女児が誘拐された後、女児の携帯電話で「娘はもらった」などの趣旨のメールと少女の写真を母親に送り付け、翌日女児は道路側溝にて水死体で発見。その後母親の携帯に再度「次は妹を狙う」とメールを送っています。

しかしメールの送信履歴から小林容疑者が浮上し、逮捕にいたっています。逮捕された小林容疑者の自宅からは幼児ポルノのビデオが大量と盗まれたものとみられる女子の下着が沢山あったそうです。小林薫は死刑判決が下り、2013年に死刑が執行されました。

2007年:闇サイト殺人事件

犯人3名の写真
出典:過疎地の町から

闇サイト殺人事件は2007年に名古屋市で起きた金銭目的の殺人事件で、「闇の職業安定所」で結びついた川岸健司・神田司・堀慶末の3名が「若い女性を拉致して金を奪えばよい」と強盗事件を提案し起こったといわれます。驚くべきことに殺害した3名は何の接点もなかったことです。

犯行は帰宅途中の被害者に声をかけ、車に拉致しました。被害者を選んだ理由は「たまたま通ったから」でした。そして被害者から現金6万2千円とキャッシュカードを強奪。その後無残に殺害しています。犯人たちは遺体を岐阜県瑞浪市の山中に死体を遺棄。

その後主犯格の川岸健治が、死刑を免れたいという理由から自首。それから芋づる的に逮捕されました。主犯格の川岸は早期逮捕に貢献したということで無期懲役、神田と堀は死刑が言い渡されましたが、後に堀は無期懲役に減刑。しかし余罪があったために再度死刑判決が下されました。

堀は現在死刑囚として拘置所に収監されていますが、神田は2015年に死刑が執行されました。

2008年:秋葉原通り魔事件

秋葉原の犯行が行われた通り
出典:Wikipedia

秋葉原通り魔事件は、秋葉原の歩行者天国で起こった無差別殺人事件です。犯人は派遣社員の加藤智大でした。

事件の経緯は、歩行者天国に2トン大型トラックが潜入。多くの人をはねた後に犯人は降り、奇声を発しながら次々に通行人に切りつけていきました。その後秋葉原交番の警官に取り押さえられました。発生から逮捕は十数分の出来事だったといいます。

犯人の加藤智大
出典:アノ人の現在

犯人は掲示板で犯行を予告していますが、誰も気に留めず成りすましも現れたために「俺が本物だ」と最後の殺害予告して秋葉原の無差別殺人を犯しています。表向きの殺害動機はネットがらみとされていますが、「若者の労働環境の悪化」も問題視された事件となりました。加藤は2015年に死刑が確定、現在拘置所に服役しています。

2008年:江東マンション神隠し殺人事件

犯人の星島貴徳
出典:ザ・ミステリー体験

江東マンション神隠し殺人事件とは、星島貴徳という派遣社員の男が同じマンションに住む交流のない女性を殺害しバラバラにした上でトイレに流すなどした陰惨な事件です。

2008年に自宅マンションで被害者女性がまるで神隠しにあったかのように消えてしまったことから「神隠し事件」といわれています。当時23歳だった被害者は帰宅後に行方不明となり、女性が帰宅した様子は防犯カメラに写っていたものの出ていく姿はありませんでした。

そのため警察は同じマンション内の犯行と判断し、1か月後に被害者の2部屋隣に住んでいた星島貴徳を逮捕しました。犯人は被害者宅で待ち伏せし、殴打して気絶させ自分の部屋に連れ込み自分の性奴隷にするために監禁。しかし独身だと思っていた女性に姉が同居していたため警察に通報、そのことを知り発覚を恐れた犯人は強姦後殺害しました。

犯人は被害者を解体し、トイレに流したり生活ごみにだしたりして遺体を遺棄しています。一度遺体が自宅にあるときに警察が家宅捜索していますが、堂々と振舞っていたため遺体が入っていた段ボールを調べられずにすんでいます。その後逮捕され、無期懲役が確定されてました。

2009年:横浜港バラバラ殺人事件

逮捕された池田容之
出典:elife

2009年に被害者を生きたままチェーンソーでバラバラにして殺害し1300万円を強奪した殺人事件です。犯人は池田容之とその共犯者で、元暴力団員で麻雀店の経営者をホテルに呼び出し殺害に及んでいます。

最初犯人たちは被害者を監禁し、被害者が「家族に電話させてください」「殺さないでください。それかせめて殺してから切ってください」と懇願する中、チェーンソーで生きたまま首を切断しました。

その後犯人たちは遺体を解体し、横浜港や山梨県の山に遺棄しました。そして池田容之は当初2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後強盗殺人容疑で再逮捕されました。

犯行の動機は、近藤剛郎という男が池田に殺害を依頼、理由は麻雀店の経営を被害者に取られ邪魔な存在だったからだといいます。そのため近藤は池田に殺害を依頼。池田は組織での地位を高めるために犯罪を決行したというのです。その後池田は逮捕され死刑判決が下され、近藤は逮捕されておらず海外に逃亡。2021年現在も逮捕されておらず国際指名手配されています。

2012年10月:尼崎連続変死事件

主犯である角田美代子。何が目的で事件を起こしたのかは、彼女の自殺により分からなくなってしまった。

奇妙な人間関係を形成した犯人による猟奇的殺人事件が、まだ記憶に新しい「尼崎連続変死事件」です。

この事件は1987年に起きた、女性の失踪事件に端を発し、容疑者の角田美代子を取り巻く人間が殺されていた事件のことです。被害者は全員、角田と血縁を結ばされた人間ばかりでした。角田による奇妙な共同生活・親戚関係を強いられ、洗脳されていったものと思われます。

事件に関わる角田との関係性の図。非常に複雑だが、何らかの血縁関係があることはたしかである。

主犯である角田は逮捕されたものの、2012年12月に留置所で自殺しているのがみつかり、真相は闇の中へと葬られました。この一連の事件で亡くなった人数は、わかっているだけで8名、逮捕されたのは自殺した角田を含め11名におよびます。

2016年:相模原障害者施設殺傷事件

犯人の植松聖死刑囚、現在も考えを改めていないという
出典:JapaneseClass.jp

2016年に神奈川県相模原市にある「やまゆり園」の入居者19名が刃物で刺殺され、入所者・職員合わせて26名に重軽傷を負わせた事件です。犯人は元職員の植松聖で、「安楽死した方が良い」を動機に施設に侵入、殺害したのです。

植松は深夜に施設の裏口から侵入し、ハンマーで窓ガラスを割り1階に侵入。職員を結束バンドで拘束し、ベッドに寝ている入居者を次々と刺していったといいます。そして鉢合わせになった職員らに「障がい者を殺しに来た、邪魔をするな」などと脅しています。その後植松は津久井警察署に「私がやりました」と出頭し、逮捕されました。

植松は逮捕後、考えを改めていないといいます。遺族に対する謝罪も、反省の意を伝えたこともないそうです。事件当初植松は「自己パーソナリティー障害」と診断されましたが、責任能力があると判断され2020年に死刑判決が確定しました。

殺害人数19名と第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件の中で人数が最も多く、日本社会に大きな衝撃を与えた事件となっています。

日本事件史上一番恐ろしい事件20選【時系列順に紹介】
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