「過去、日本で起きた凶悪事件って何だろう?」
「犯人は事件後どうなったの?」
今回は、そんな疑問を持つ人に向け、日本で起きた凶悪事件30選をランキング形式でまとめました。事件の詳細はもちろん、犯人のその後についても解説します。
世界の凶悪事件ランキングは下記の記事で紹介しています。
この記事を書いた人
某週刊誌の元記者
Rekisiru編集部、東条りな(とうじょうりな)。新卒で某有名週刊誌を運営する出版社に入社。8年勤務したのち結婚を機に退社。芸能ネタとネットゴシップ収集が生き甲斐であり趣味であり仕事。現在はWeb系メディアを中心にメディア編集業に従事。
50位:ルフィ事件 – 2022~2023年
2022-23年広域強盗事件は、2022年5月から全国で発生している同一グループによる連続強盗事件です。犯行は指示役(ルフィ)の指示に従い、狙いを定めた住宅に侵入して強盗を行うというもの。犯行は非常に雑であり、素人による犯行である事は明白でした。
2023年1月19日には、狛江市の住宅が被害に遭い、住人の90歳の女性が金品を奪われた末に殺害されました。女性は縛られたまま暴行を受けており、左肘の開放骨折等の跡が確認されています。この事件以外に、16件程の事件が同一グループによるものとされます。
ルフィの名を語る指示役は少なくとも4人。本名は今村磨人、藤田聖也、渡辺優樹、小島智信です。彼らはフィリピンに滞在していましたが、逮捕収監の末、2023年2月に日本に強制送還されました。
また狛江市の事件では永田陸人や野村広之、大学生が逮捕されています。彼ら以外に他の事件の実行役として逮捕された者は70人以上に登ります。事件の全貌はまだ掴めておらず、逃げ切る実行役や指示役もいるかもしれません。
49位:川崎市登戸通り魔事件 – 2021年
川崎市登戸通り魔事件は、2019年5月28日に神奈川県川崎市の登戸駅で起きた通り魔事件です。この場所で、私立・カリタス小学校のスクールバスを待っていた児童とその保護者達が、刃物を持っていた男に次々と襲われました。
結果的に保護者の男性1人と女児1人が死亡。18人が重軽傷を負いました。犯人の岩崎隆一は、犯行後に自らの首をナイフで切り自殺します。結局、被疑者死亡のまま不起訴となりました。
岩崎は幼少期に両親が離婚しますが、親権を得た父親は蒸発し、父の実家に預けられます。中学卒業後に仕事を転々としますが、事件の10年以上前から叔父夫婦の家で引きこもり生活を続けました。自室にネット環境もなく、彼は社会から隔絶されていたようです。
岩崎が入学した小学校は地元の公立小学校ですが、同居する従兄弟が入学したのは被害に遭った私立カリタス小学校でした。この辺りに事件を起こした動機がありそうですが、既に岩崎は死亡している為、事件の真相はわからないままです。
48位:茨城一家殺傷事件 – 2019年
茨城一家殺傷事件は2019年9月23日に、茨城県境町に住む一家が襲われた事件です。この家に住む夫婦が殺害され、中学1年生の長男は腕に重傷を、小学6年生の次女が軽傷を負いました。夫婦は10ヶ所以上も刺され、肺にまで達する傷もありました。
捜査は難航しましたが、2021年5月7日に埼玉県三郷市在住の岡庭由征が逮捕されます。彼は16歳の頃に、中学3年生の女子生徒や小学生の女児をナイフで刺して重症を負わせています。幼少期から猫を殺害する等、猟奇的な行動を繰り返していました。
2018年に医療少年院を出所しましたが、その後は家族のいる自宅で生活しています。2020年11月には硫黄約45kgを貯蔵した罪、2021年2月には警察手帳を偽造して逮捕される等、危険な人物としてマークされていました。
岡庭の実家は地元でも有名な地主です。両親は息子が猟奇的なサイトを見ていても放任しており、ナイフ等も買い与えていました。茨城一家殺傷事件も快楽的な犯行である事が判明しており、両親の教育も犯行の原因になった点は否めません。
47位:新居浜3人殺害事件 – 2021年
新居浜3人殺害事件は、2021年10月13日に愛媛県新居浜市の民家で起きた殺人事件です。この家に住む80代の夫婦と、50代の息子が包丁で相次いで刺されて死亡。警察は現場にいた無職の河野智を現行犯逮捕しました。
河野と殺害された50代の息子は、前の職場で面識がありましたが、2019年7月以降トラブルを抱えていました。河野は妄想で精神不安定になっており、「電磁波を当てられている」などの訴えを警察に相談していました。
事件の2年前に、河野は被害者宅に押しかけていますが、警察は口頭での注意喚起にとどめています。更にはインターネットの掲示板に、被害者を中傷する書き込みをしていた事も判明しています。事件の前から予兆はあった為、警察の日和見な対応に批判が集まりました。
なお、2023年4月時点で裁判の判決は出ていません。
46位:名張毒ぶどう酒事件 – 1961年
名張毒ぶどう酒事件は、1961年3月28日に三重県名張市葛尾の公民館で集落の懇親会で出されたワインを飲んで5人が死亡し、17人が中毒症状を起こした事件です。混入された毒物はニッカリンTという毒物でした。
結果的に逮捕されたのは奥西勝という鉄道会社の職員でした。決め手は被害者の中に奥西さんの妻と愛人がいた為であり、警察は「三角関係を解消する為の犯行」と判断。奥西さんは1972年の最高裁判所で死刑判決が下ったのです。
警察は執拗な自白を強要したとされ、奥西さんと支援団体は生前9度にわたる再審請求を要求。彼は無実を訴え続けたものの、死刑判決から43年後に89歳で死亡しています。
当事件を題材とした出版物も数多く出ていますが、その殆どが「奥村さんは冤罪」という主張に則ったものです。奥村さんが犯人ではない場合、誰がこのような凄惨は事件を起こしたのでしょうか。凶悪事件ではあるものの、事件の全貌は未だ不明です。
名張毒ぶどう酒事件の真犯人は?会長が犯人?真相や冤罪の可能性を考察
45位:夕張保険金殺人事件 – 1984年
夕張保険金殺人事件は、1984年5月5日に北海道夕張市で起きた保険金目的による放火殺人事件です。この日、日高興業の炭鉱員用宿舎で火災が発生し、従業員と家族の6人が焼死しました。
事件から2ヶ月後、火災で2階から飛び降り両足骨折の重傷を負った24歳の石川清という作業員が、火災が放火である事を自供。放火を指示したのは、日高興業の社長・日高安政とその妻・日高信子。日高安政は初代誠友会日高組の顔を持ち、石川はその組員でした。
日高夫妻が放火を指示した理由は「保険金」です。夫妻はかつて「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」で約6000万円の保険金を得ましたが、僅か2年で使い果たしています。借金の返済の為、今回は人為的に保険金を得ようとしたのでした。
1987年3月に夫婦は死刑判決が下り控訴しますが、1988年に控訴を棄却。当時は昭和天皇が重篤の身にあり、天皇の崩御に伴う「恩赦」を狙ったのです。しかし明治天皇や大正天皇の時と異なり、昭和天皇の崩御を経ても恩赦は行われず、1997年に2人の刑が執行されました。
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