実在した有名な忍者や集団、流派を徹底解説

「忍者は本当に実在したの?」
「フィクションじゃないの?」

偉人の影で暗躍したとされる忍者。日本のみならず、海外でも「ニンジャ」という単語が広まるほど、世界的に人気を博している存在です。

ただ、実在したかどうかに関して問われると、あいまいな人も多いのではないでしょうか。

結論からいえば、忍者は実在していました。しかし、その実態は我々の想像と大きくかけ離れたものだったのです。

今回は、忍者の実在を歴史上の出来事や伝承、忍者といわれた人物の紹介も交えて解説します。この記事を読めば、忍者に関してより理解を深められますよ。

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

忍者は実在したのか?

葛飾北斎が描いた『北斎漫画』に登場する忍者
出典:Wikiwand

冒頭でも述べた通り、忍者は実在していました。しかし、現代の我々が想像するような「黒装束に手裏剣を使って戦う忍者」ではありません。

忍者とは、日本各地の大名に仕える者であり、主な活動は敵側の情報を探る諜報活動でした。普段は農民や商人として働いており、一般市民と変わらない生活をしていたのです。唯一、異なるのは常に情報を集めていたことでしょうか。

つまり、現代の人が思い浮かべる「忍者」は小説などから創られた架空の存在であり、本物の忍者の実態とはかけ離れているのです。ここでは、架空の忍者ではなく日本史に実在した「忍者の本当の姿」を紹介していきます。

平安時代から存在

源平合戦を描いた屏風絵
出典:Wikiwand

忍者が誕生した時期には諸説ありますが、歴史的文献において忍者の集団や流派が登場するのは平安時代末期です。飛鳥時代に聖徳太子が忍者を使っていた言われていますが定かではありません。そのため、ここでは忍者の誕生は平安時代として解説していきます。

平安時代末期の源平合戦では源義経の影で忍者が暗躍しました。鎌倉時代南北朝時代を経て、室町時代や戦国時代になると各地で権力を巡った争いが勃発。敵側の策略や兵糧*に関する情報を得るために忍者は必要不可欠な存在となります。

忍者が仕えた徳川将軍の一覧
出典:Wikiwand

しかし、江戸時代では徳川幕府に仕えた者以外は別の仕事をするようになりました。そして、明治時代になると陸海軍や警察が組織されたことで忍者の時代は終わりを告げたのです。

*兵糧(ひょうろう)

兵糧とは、戦争が起こった際に軍隊に支給される食糧のことです。兵士が食べる食事用のお米や塩などのほかに、兵力として使用していた馬用の餌も兵糧であり、必要不可欠なものでした。

侍から諜報員という職業に

忍者の姿をした男性
出典:Wikiwand

約1000年前には誕生していた忍者という存在。では、そもそも忍者とはどのような形で誕生したのでしょうか?

忍者のルーツは2つあります。1つは農業を営みながら大名と主従関係を結ぶ「地侍」、もう1つは、山に籠って厳しい修行を行う「山伏」という修験道*の道者です。

大名に仕える地侍と厳しい修行を積んだ山伏。この2つの要素が、侍という身分から諜報員に適した人材である忍者という職業を誕生させました。

*修験道

修験道とは、古来より伝わる山岳信仰をもとに悟りを開くため山で修行するという宗教のひとつです。山岳信仰とは、山を神聖なものとして崇拝する信仰。そのため、修験道の修行場所である山には神社や鳥居が設けられている場合があります。

実在した有名な忍者集団と流派

伊賀流が発展した三重県伊賀市の様子
出典:Wikiwand

忍者には、71以上の異なる流派がありました。そして、その流派ごとに忍者集団を結成していたのです。下の表は、有名な戦国大名と彼らに仕えていた忍者集団をまとめたものになります。

戦国大名の名前忍者の流派
尼子経久
(あまご つねひさ)
鉢屋衆(はちやしゅう)
得意技:奇襲

上杉謙信
(うえすぎ けんしん)
軒猿(のきざる)
得意技:暗殺
武田信玄
(たけだ しんげん)
三ツ者(みつもの)
得意技:情報収集
伊達政宗
(だて まさむね)
黒脛巾組(くろはばきぐみ)
得意技:探索、変装
徳川家康
(とくがわ いえやす)
伊賀衆・甲賀衆(いがしゅう・こうかしゅう)
得意技:戦闘、薬学
北条早雲
(ほうじょう そううん)
風魔党(ふうまとう)
得意技:潜入、騙し討ち
毛利元就
(もうり もとなり)
座頭衆・世鬼一族(ざとうしゅう・せきいちぞく)
(得意技:情報操作)

この中でも、特に有名な伊賀衆と甲賀衆について解説します。

伊賀衆(いがしゅう)

伊賀流忍者博物館
出典:Wikiwand

伊賀衆とは、現在の三重県伊賀市・名張市を拠点としていた忍者集団です。奇襲などのゲリラ戦法を身につけた領民が伊賀忍者になったとされており、体術や火薬玉を使う火術に優れた人材が多い集団でした。

また、伊賀衆は本拠地が京都に近く、多くの流浪人が伊賀衆のもとへやって来ました。読み書きのできる者、政治関連に詳しい者、呪術が得意な者など幅広い人材を伊賀衆は何なく揃えることができたのです。

伊賀衆は雇い主と報酬のみの気薄な関係を保っていましたが、各地の大名に重宝されました。しかし、仲間の裏切りによって織田信長と対立し「天正伊賀の乱」が勃発。最終的には和解しましたが、甚大な被害を受けました。

甲賀衆(こうかしゅう)

甲賀流忍者屋敷
出典:Wikiwand

甲賀衆とは、現在の滋賀県甲賀市辺りを拠点としていた忍者集団です。伊賀衆とは1つの山を垣根とした隣人同士になります。小説や漫画では甲賀衆と伊賀衆は対立して描かれることが多いですが、実際は対立関係にありませんでした。

奇術や薬学を得意とし、山中でのゲリラ戦で活躍したとされています。加えて、甲賀衆は当時としては珍しい民主的な組織でした。物事の判断には多数決を採るなど、組織全体に平等性を持たせていたのです。

また、地侍の血が濃い流派だったため、伊賀衆とは異なり特定の大名に忠誠を誓っていました。特に近江国(現在の滋賀県)に勢力を持っていた六角氏に仕え、数々の戦いで共闘しています。

実在した有名な5人の忍者

ここでは、実在した忍者の中でも有名な下記5人を紹介します。

  • 霧隠才蔵のモデル「出浦盛清」
  • 武田氏に仕えた「沢玄蕃」
  • 伊賀忍者の子孫「服部半蔵保長」
  • 後北条氏に仕えた「風磨小太郎」
  • 甲賀忍者を指揮した「鵜飼孫六」

小説のモデルになった者から有名な戦国大名の家臣だった者もいます。実在した忍者の真の姿を見ていきましょう。

霧隠才蔵のモデル「出浦盛清」

出浦盛盛が仕えた武将「真田昌幸」
出典:Wikiwand

出浦盛清(いでうらもりきよ)とは、武田信玄に仕えた忍者集団「三ツ者」の頭領です。武田氏や真田氏といった名将たちに仕えていました。

忍城を巡る豊臣秀吉と後北条氏との戦いでは真田軍として豊臣側に参戦し活躍。部下による偵察の正確さを自ら確認するほど、仕事熱心な人でした。それゆえか、真田信繁に仕えた伝説上の人物「霧隠才蔵」のモデルともされています。

武田氏に仕えた「唐沢玄蕃」

沢玄蕃が仕えた武将「武田信玄」の像
出典:Wikiwand

沢玄蕃(からさわげんば)とは、武田氏に仕えた上野国(現在の群馬県)出身の忍者です。跳躍による潜入が得意で「飛び六法」というあだ名で呼ばれていました。

織田軍・徳川軍と武田軍が激突した「長篠の戦い」や豊臣秀吉が後北条氏と戦った「小田原征伐」に従軍し、多くの功績をあげています。

伊賀忍者の子孫「服部半蔵保長」

服部半蔵をモチーフに結成された服部半蔵忍者隊の演舞
出典:Wikiwand

服部半蔵保長(はっとりはんぞうやすなが)とは、戦国時代に活躍した伊賀忍者の子孫です。元々は伊賀衆の村で暮らしていましたが、生活が困窮したため村を出て大名や将軍に仕えながら暮らしました。

その中には、室町幕府の将軍足利義晴や徳川家康の祖父である松平清康もいます。最終的には徳川家に仕えることとなり、息子の正成は徳川家の旗本*にまでなりました。

*旗本

旗本とは、将軍直属の家臣のことです。当時では高収入かつ他の武士よりも高い身分をもつ存在でした。

後北条氏に仕えた「風魔小太郎」

物語『北条五代記』に描かれた風磨小太郎
出典:Wikiwand

風魔小太郎(ふうまこたろう)とは、後北条氏に仕えた忍者集団の頭領です。当時は「乱波(らっぱ)」と呼ばれていました。

風魔小太郎率いる風魔一族は忍者集団の中でも荒っぽい者たちが多いのが特徴です。そのため、情報収集よりも戦闘の方が得意でした。後北条氏が滅亡した後は、盗賊となり処刑されています。

甲賀忍者を指揮した「鵜飼孫六」

鵜飼孫六が指揮した甲賀忍者の村の様子
出典:Wikiwand

鵜飼孫六(うかいまごろく)とは、戦国時代に活躍した甲賀忍者の1人です。徳川家康公による三河国(現在の愛知県)の勢力拡大を援護した忍者としても知られています。

今川義元が桶狭間の戦いで討死後、多くの武家が家康の勢力下に入りました。しかし、今川氏を支持する鵜殿長照だけは服従しません。そこで、家康は彼の城である上ノ郷城を落城させるよう孫六に命じたのです。

孫六はわずか200人の甲賀忍者を指揮し、守りが堅固な上ノ郷城に挑みました。城内に火を放ち敵が混乱したと同時に城に攻め入り、みごと落城させたのです。

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